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元茨城アストロプラネッツ、現西武育成担当の伊藤悠一さんに会いに行く

NHKで一緒に仕事をした伊藤悠一さん。公募で独立リーグの監督に挑戦すると聞いた時も驚きましたが、その後も挑戦を続けています。たまに話を聞きにいくと、めっちゃ刺激をもらえるのです。

出張で泊まってる亀戸から西武球場までの道のりを検索する。今日は独立リーグ茨城アストロプラネッツの監督を経て西武3軍の育成担当の仕事をしている伊藤悠一さんを訪ねに行く。今となっては、前の前の前の上司くらいの間柄だけど。

池袋経由かなと思っていたらgoogle先生は国分寺経由多摩湖線で行けという。90年代の一橋生としては甘酸っぱい思い出、というか酸っぱい胃液の匂いというか、色々な情緒がよみがえる多摩湖線。google先生は何を知っているんだろう。

ずいぶん変わってしまった国分寺の様子を車窓に見ながら多摩湖駅へ。乗り換えて西武球場前へ。真夏の西武球場と言えば、PRIDE9か10か。暑い暑いスタジアムの空気を一瞬止めて熱狂に変えた桜庭和志のアームロック。変な方向に曲がった自分の腕を見て、まいったなと笑うヘンゾ・グレイシー。あの頃、桜庭和志は周囲の期待を軽々と担いで、並み居る強豪をひょいひょいと極めていった。

西武の室内練習場はプロスピトレーニングセンター。バスケかスケートのアリーナのように真四角な建物。見学スペースからぼんやりと中を覗いていると「前田さん」と声をかけられた。低いけれど、よく通る声。伊藤さんの声だ。ユニフォームっぽいけどユニフォームではない。強いていうならホテルの部屋着のようなハーフパンツ笑。でも胸にはあのLIONSの筆記体。様になっている。はい、と言ってスタッフ帽のようなキャップをもらった。ありがとう!

室内練習場で、若手の練習を見ながら少し話をした。独立リーグとは設備から待遇から段違いだと言うこと。それは嬉しいことだけど、若者が勘違いしないといいなと思うこと。育成コーチの仕事は練習後のフィードバック。気付きを与える仕事。それにはやりがいを感じているようだった。

高校野球の監督になるのが夢だと言う伊藤さん。
今年のオフには教育実習をするのだと言う。指導教官が年下なんですよ、と笑う。

野球には夢がある。みたいなコピーがどこかにあったような気がするけれど、もう少し丁寧に言うと、「野球には(わかりやすい形での)夢がある」という事かもなと最近思う。多くの人が共有できる、挑戦と成長、成功の物語。

今年の甲子園の戦いは素晴らしかった。大舞台を目指してきた鍛錬の日々がプレイから見えて、そしてその大舞台で若者たちが見せるさらなる成長。感動をもらった、なんて絶対に口にしたくは無いけれど、それでも心は動かされた。努力するに値する高い目標。すべての人に開かれたチャンス。敗北すら美しい物語となり、人生の糧となる。100年の時間をかけて築かれた、見事なシステムだなと。

独立リーグと西武のファームとの待遇の違いを伊藤さんは繰り返し語った。彼が去年見てきた若者の憧れの舞台であるNPB。そこに立てた人と立てない人との違いは何だったのか。それはある種の運や巡り合わせではないのか。そんな事を考えているようだった。高校野球の美しい世界の先にある、簡単ではない社会と人生。

独立リーグの監督の時はかなり痩せたけど、今は太ったとも言っていた。たしかに身体は厚みを増している。弱音は吐かない人だけど、それなりにプレッシャーもあったのだろう。だからこそ得られない喜びもあっただろうけど。食堂も無料で美味しいんです、と。鍛えてもいるのだと言う。

20分くらいの時間が過ぎて、僕は写真を撮って別れる。午後からは豊田自動車東日本との練習試合があるという。伊藤さんは、ベンチの端の方で毎打席ごとにノートに何かメモを取っていた。炎天下の対策をほとんどしてこなかった僕は3回でギブアップ。スタジアムを離れた。

遠くに見える伊藤さん



多摩湖線を一橋学園駅で降りて、大学時代に下宿してた街を歩いた。色々な景色が変わっていたけれど、懐かしい店もあった。汗だくになりながら、国分寺への道を歩く。あの頃、僕の夢は何だっただろう。そして今の夢は?

前に進む人に会いたくなったのは、前に進もうとする気持ちを思い出したかったから。なのか。僕は自分が停滞していると感じているのだろうか。

でも、前ってどっちだろう?

もらった帽子 ありがとう!

(伊藤さんに会いに行くシリーズ、過去作はこちら)

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