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大豊泰昭の一本足はびくともしなかった。
去年「文春野球フレッシュオールスター」に応募して、入選した文章です。
アクセス数で順位を決めるイベント。結果は最下位でしたが、選ばれたのは嬉しかったです。懐かしい大豊さんとの思い出。
それは1999年の春。まだ阪神が高知県安芸市でキャンプを張っていた頃。
「おい、門倉くん。ちょっと押してみろよ」
焼肉を食べて大豊さんが泊まるホテルの部屋にお邪魔すると、大豊さんはそう言って一本足打法で構えて見せた。
僕らがどんなに押しても、一本足で立つ大豊さんはびくとも動かなかった。
根を張った大樹のようだった。
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野村克也が阪神の監督となり、低迷するチームをどう変えるのかに注目が集まっていた頃。大豊さんはホームランばかりを狙って、チームバッティングをしない利己主義的な選手だと、野村監督から公然と批判されていた。
その「一本足打法」をやめろ、と。
台湾で生まれ育ち、王貞治に憧れてプロ野球の世界にやってきた大豊さんにとって、一本足打法でホームランを狙うことは、アイデンティティのようなものだった。
キャンプでは、一本足をやめてすり足のようなフォームに挑戦していたけれど、本音では納得していないことは明らかだった。
「俺がホームランを打てば、チームの勝ちにもつながるのに、なんでそれじゃダメなんだ」酔うとそんな本音が飛び出した。
「そうだろ?門倉くん」
ちょっと座った目で僕を見る、その眼差しを覚えている。僕は門倉なんて名前ではない。
大豊さんはかつて中日時代にチームメイトだった門倉選手が僕に似ていると言って、いつも僕をそう呼んだ。僕はちょっと嬉しかったから、そのままにしておいた。
番記者ではないから、番組が終わると野球の現場からは離れる。それでも大豊さんのことは気になって、たまに電話で話したりした。
一緒に取材したカメラマンが異動する時、久しぶりに大豊さんと呑んだ日の事を覚えている。
草野球好きだったカメラマンへのプレゼントのキャッチャーミットに何か座右の銘を書いてくださいよ。僕は、大豊さんにそう頼んだ。
すると大豊さんはマジックで言葉を書いてくれた。
達筆で書かれたその言葉があまりに良かったから、僕は自分の取材ノートにも書いてもらった。
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得意淡然
失意泰然
物事がうまく行っている時でも、奢ることなく淡々と。そして、うまく行かない時にこそ泰然自若として生きる。
その言葉は、時に周囲と激しく衝突した大豊さんの生き方とはちょっと違って見えた。
もしかしたら「そう、ありたい」と自分に言い聞かせてきた言葉なのかなと思った。
その後の阪神でも、戻った中日でも、大豊さんは全盛期の輝きを取り戻すことはできなかった。
引退して台湾などのスカウトのような活動をしていた時も、自分の扱いについて不満をもらすこともあった。
そして病との戦い。大豊さんが亡くなった後、もっと連絡を取るべきだったと僕は後悔した。
(僕にはそんな後悔が多い)
携帯電話には、大豊さんの番号が今でも残っている。
でも、やっぱり僕が思い出すのは、お酒を呑んでご機嫌になってホテルの部屋で一本足で立つ、大豊さんの姿だ。
「門倉くん、もっと強く押してみろ」
そうやって大豊さんは笑った。
あの夜、僕らがどんなに押しても、一本足をあげて静止した大豊さんは、ぴくりとも動かなかった。太く根を張った大樹のようだった。
そうだ。
どんなに厳しい時だって、大豊泰昭の一本足はびくともしなかった。
僕はそう覚えていようと思う。