イン・ジ・イディオム/ランディ・ブレッカー
ランディ・ブレッカー1986年スタジオ録音リーダー作『イン・ジ・イディオム』を取り上げましょう。
録音:1986年 10月19, 20, 25日
スタジオ:R. P. M. スタジオ、ニューヨーク
エンジニア:ジェームズ・ファーバー
プロデューサー:ランディ・ブレッカー
コ・プロデューサー:クリスティン・マーチン
エグゼクティヴ・プロデューサー:トム・ウエノ、カツノリ・コンノ
レーベル:デンオン
(tp, flg-h)ランディ・ブレッカー (ts)ジョー・ヘンダーソン (p)デヴィッド・キコウスキー (b)ロン・カーター (ds)アル・フォスター
(1)ノー・スクラッチ (2)ヒット・オア・ミス (3)フォーエヴァー・ヤング (4)サング (5)ユーアー・イン・マイ・ハート (6)ゼアズ・ア・ミンガス・ア・モンク・アス (7)ムーンタイド (8)リトル・ミス・P
ランディ・ブレッカー、自身のリーダー・アルバムとしては第2作目に該当します。実弟マイケルとのザ・ブレッカー・ブラザーズの活動が並行していましたが、ランディ単独作品としては69年1、2月録音初リーダー作『スコア』以来、約18年振りになります。
ザ・ブレッカー・ブラザーズの諸作品、そして『スコア』も例に漏れずランディのオリジナル・ナンバーを中心に演奏しています。
トランペッターとして伝統に基づきながら、個性を発揮すべくの巧みな表現に加え、クリエイティヴにしてワン&オンリーな自作曲表出がランディの音楽活動の特徴になります。
本作『イン・ジ・イディオム』は全曲彼の秀逸なオリジナルを取り上げていますが、ブラザーズでのナンバーとの決定的な違いは”ジャズ”です。
ここで言うジャズとは主にインタープレイの事を指します。ブラザーズ諸作はオーヴァーダビング中心に録音され、インプロヴィゼーションとリズムセクションによるインタラクションは殆ど皆無、と言うよりも楽曲やアンサンブル、サウンドを聴かせる事がメインにアルバムが制作されているため、音楽的相互作用による表現は重要視されていません。
ですがライヴアルバム『ヘヴィー・メタル・ビ・バップ』や、ライヴを収録したブートレッグ盤でのインタープレイの応酬には、目を見張るものがありました。
私の経験として、81年第6作目『ストラップハンギン』リリース直後の同年5月に行われた、今は無き六本木ピットインでのブラザーズ・ライヴ、レコーディング・メンバーであるバリー・フィナティーの代役に渡辺香津美氏が参加し、連夜熱く燃える演奏が展開されました。レコーディング演奏は作品としてコンパクトに、ライヴでは委細構わずバーニングすると言うコンセプトを感じました。
ファンク・ビートを中心としたリズムに、ダンサブルな要素も加味したブラザーズの楽曲には、数多くのスタジオギグ、ポップス・ミュージシャンのサポートを経験した、例えばブラッド・スエット・アンド・ティアーズ(以下BS&T)、はたまたパーラメントのテイストを踏まえたキャッチーなナンバーもあれば、分数コード、従来の楽理を容易く通り越したハイパーなコードチェンジ、スケールの解釈を施したナンバーを、タイトなリズムでアクティヴにプレイします。
1970年代半ばに現れたブラザーズは忽ち耳目を集め、シーンを席巻します。
作品として75年『ザ・ブレッカー・ブラザーズ』、 76年『バック・トゥ・バック』、77年『ドント・ストップ・ザ・ミュージック』、78年『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』、80年『デタント』、81年『ストラップハンギン』の6作をほぼ連年続け様に、アリスタ・レーベルからリリースします。
その後ブラザーズは休止状態に入ります。本作『イン・ジ・イディオム』は、この間にジャズミュージシャンとしてのランディをアピールすべく制作されました。
そしておよそ11年のブレーク間にランディは音楽的に十分なチャージを得て、幾多のギグを経た事で成長を遂げます。
新たなバンドコンセプトについて、メンバーやプロデューサーと徹底的にディスカッションを行った事でしょう、アリスタ・レーベル6作での音楽性の基本的な部分を残しつつ、ワールドミュージック等の異なる音楽性を導入しながら、ブラザーズは92年メンバーを一新し、傑作『リターン・オブ・ザ・ブレッカー・ブラザーズ』をGRPレーベルからリリースします。彼らはワールド・ツアーを挙行し、完全復活を遂げました。
ブラザーズもう一つの特徴として、4歳違いの弟マイケルのテナーサックス・プレイが挙げられます。彼の素晴らしい演奏があったからこそのザ・ブレッカー・ブラザーズとも言えましょう。
革新的にして驚異的な次元での演奏はジョン・コルトレーン出現以来のトピックス、ブラザーズ諸作の演奏でテナーサックス・シーン、いやシーンに限らず音楽全般の常識を覆したと言っても過言ではありません。
前人未到のサックス・テクニック、泉の如く湧き出るアイデア、次から次へと尽きることの無い斬新なアプローチ、申し分の無い理想的なタイム感、アグレッシヴなテイストに於る他を圧倒するストーリー・テラー振り、魅力的な音色と豊かなニュアンス付け。
ルーツとしてコルトレーンやジョー・ヘンダーソンの奏法、アプローチを分析吸収し、発展深化させ新たな語法として再構築する。誰も成し得なかった、これは言ってみればフレージングに於けるフロンティア・スピリットと言えましょう。
一方メロウな表現では徹底した唄心とオシャレな都会的センスを発揮し、オーディエンスを桃源郷に誘うが如しですが、それらを包括して淀みなく、完璧なバランス感を伴っての表現。
他にもキャノンボール・アダレー、ジョージ・コールマン、スタンリー・タレンタイン、またキング・カーティスを筆頭とするホンカー・テナーマン達、フレディ・ハバード、様々なジャズピアニスト、ロックギタリストからの影響も垣間見る事が出来るのですが、新たなサックス表現を成し得るために吸い取り紙の如く、彼が興味関心のある、ありとあらゆるプレイやスタイルを吸収し、メルティングポット状態から新たなるプレイを生じさせたのです。しかも作為的な匂いは皆無、至極自然発生的に。
ブラザーズの作品を重ねる毎に、マイケルは見違える程にステップアップして行きます。
ディスクユニオンDU BOOKSから出版された、ビル・ミルコウスキー著、山口三平翻訳のマイケル・ブレッカー伝『テナーの巨人の音楽と人生』にブラザーズ時代の彼についてが詳細に記されていますので、こちらも併せてお読みください。私も監修者に名を連ねております。
マイケルの話から離れ、この後は本稿主人公ランディのバイオグラフィーを紐解く事にしましょう。
45年11月27日米国フィラデルフィア、チェルトナム生まれ。父ボビーはジャズピアノを弾く弁護士、母シルヴィアは肖像画家という芸術家の家庭環境で育ちます。
ランディ曰く父親はセミプロ級のジャズピアニスト、そしてトランペットをこよなく愛していました。8歳の時に学校でトランペット、若しくはクラリネットと勧められトランペットを選び、家でディジー、マイルス、クリフォード、チェット・ベイカーを聴くようになりました。弟のマイケルは私と同じ楽器を選びたくは無く、3年後に彼はクラリネットを選択しました。
マイケルがリード楽器を選択したのは兄のお陰とも言えましょう、その後サックスに移行した形ですが、ミュージシャンの原形が作られるには環境が大切なのだと感じます。
また父親のボビーは作曲家、歌手でもあり、前述のマイルス、ディジー、ブラウニーのレコードを愛聴していました。父親は息子たちを連れてマイルス、セロニアス・モンク、デューク・エリントンほか多くのジャズ・ジャイアンツの演奏を聴きに行きます。
父親のコンポーザー、シンガーのDNAはランディにしっかりと受け継がれ(ブラザーズのアルバムで人を食ったようなヴォーカルを披露していますが、父親も同様の歌唱であったように想像しています)、子供の頃に触れた巨匠たちの演奏がその後のブレッカー兄弟の音楽形成に反映されたのは言うまでもありません。
その後地元チェルトナム高校、そしてインディアナ大学に入学し音楽を学び、卒業後はニューヨークに移り、クラーク・テリー・ビッグバンドを皮切りにデューク・ピアソン、サド・ジョーンズ/メル・ルイス・オーケストラに参加します。
67年にBS&Tに加入し、バンド初作品『チャイルド・イズ・ファザー・トゥ・ザ・マン』のレコーディングに参加し、ジャズロックの世界に進出しようとしますが、程なくホレス・シルヴァー・クインテットに加入するため脱退します。
因みにランディの後釜にはルー・ソロフが加入し、第2作目『ブラッド・スエット・アンド・ティアーズ』を録音します。アルバムは69年グラミー賞最優秀アルバム賞を獲得、収録スピニング・ホイールは全米シングルチャート1位を記録、BS&T代表曲となります。
シルヴァーの作品ではマイケルも参加した72年録音『イン・パーシュート・オブ・ザ・27thマン』が挙げられます。
直後の68年に前述の初リーダー作『スコア』をレコーディング、弟マイケルをフィーチャーします。
マイケルは当時19歳、殆ど経験の無いニューカマーが抜擢された形です。縁故関係での採用は否めませんが、弟の才能を見抜いていた兄ならではの采配と解釈しています。
まだまだ未熟なプレイですが、きらりと光るセンスを感じさせ、同時に危ないまでの猛烈なテンションの高さを認める事が出来ます。
レコーディングが行われたスタジオが名門ヴァン・ゲルダー・スタジオ、エンジニアも巨匠ルディ・ヴァン・ゲルダーと言うシチュエーション、そこは数多くの名盤を生み出した言わばジャズの聖地、ヴァン・ゲルダー録音作品を数多く聴いて育ったマイケルにとって、聖地での演奏は天にも昇る気持ちと同時に大変な緊張感が支配した事でしょう、早い話いっぱいいっぱい、それ故の演奏であったと思います。
その後マイケル、バリー・ロジャース、ビリー・コブハム、ジョン・アバクロンビー、ドン・グロルニック、ウィル・リーらとドリームスを結成、計2作をリリースしますが、コブハムがマハヴィシュヌ・オーケストラに参加するため脱退したのに加え、ミュージシャンとプロデューサー間の見解の相違から空中分解を起こし、活動は頓挫します。
ヒット作を生み出したシカゴや前述のBS&Tのような、売れ筋のブラスロック・バンドとして彼らを扱いたかったのだと思います。
しかしザ・ブレッカー・ブラザーズ・バンドの前身としての、意義あるバンド活動を展開しました。
それでは『イン・ジ・イディオム』収録曲について触れて行きたいと思います。 参加メンバーはランディ他、テナーサックス、ジョー・ヘンダーソン、ピアノ、デヴィッド・キコウスキー、ベース、ロン・カーター、ドラムス、アル・フォスター。
全曲ランディの作曲、アレンジからなります。
1曲目ノー・スクラッチ、ジャズロック風のリズムはかつてランディが在籍したホレス・シルヴァー・クインテットを彷彿とさせますがそこはランディ、一筋縄では行かないメロディラインと付加されたコードの楽理的高度さが光ります。
恐らく録音に際してクリックは使わず、スタジオ・ライヴ感覚で演奏していますが、特にこのテイクに関して、フォスター、カーターを迎えた割にはリズムが然程タイトでは無く、期せずしてシルヴァーのブルーノート時代の作品をイメージさせます。
他のテイクに比べて、ランディの吹奏に心なしかタイムのラッシュを含めた不調を感じます。ここに起因してリズム隊が足を引っ張られたのかも知れません。
難解さとレイジーさを湛えたナンバー、収録曲にはよりオープニングにふさわしいテイクも存在しますが、かつてのリーダーに敬意を払うべく、アルバム冒頭にシルヴァー・クインテットの雰囲気を据えたかった故の選曲と想像しています。
切り込み隊長はランディが務めます。知的にして先鋭的なフレージングは彼ならではのもの、短めに切り上げジョーヘンのソロへ。本作メンバーの中で最もランディの楽曲を理解し、時として作曲者よりもディープな表現を行っています。
ランディのオリジナルにはワンモア・ヴォイス、特にテナーサックスのサウンドが彼の頭の中で鳴っていると想像出来ますが、さすがに実弟は起用せず、そのルーツであるジョーヘンをチョイスしました。適切な人選だと思います。
2曲目ヒット・オア・ミスはこれまた凝りに凝ったメロディラインと構成のナンバー、どこかフレディ・ハバードのコンポーズ・テイストを感じます。
先発はジョーヘン、楽曲に張り巡らされた陥穽を、オリンピック級のスキーヤーがスラロームを巧みに滑り降りるかの流暢なプレイを聴かせます。
続いてランディ、ジョーヘンのトリッキーなアプローチを受け継いでソロが開始されます。
前曲よりも流麗さを感じさせるアプローチから、リラックスしたプレイを聴かせていますが、リズム隊は比較的静観状態です。
キコウスキーのソロはチック・コリアのスタイルを内包したプレイ、ランディはキコウスキーを2001年から暫く継続したアコースティック・ブレッカー・ブラザーズ・バンドでも起用しました。バッキングにも端正な味わいを感じさせます。
カーターの短いソロを経てラストテーマへ。
3曲目フォーエヴァー・ヤングは録音当時41歳を迎えようとしていたランディが、不惑を過ぎての想いに駆られて作曲したのでしょう、かのボブ・ディランのナンバーに同名のヒット曲がありますが、ディランの方は32歳の時にレコーディングを行いました。
ランディのトランペットが主旋律を吹く美しいバラード、ジョーヘンがハーモニーと対旋律を奏でます。
そのジョーヘンがまずソロを行います。ここではフォスターのドラミングが俄かにアクティヴになり、カーターも連れ添ってテナーソロをインスパイアし、ジョーヘンも的確に応えます。
その後再びテーマメロディが演奏され、ランディのソロへ、グルーヴがスイングに変わります。テーマの中に織り込まれたかの短さでソロは終了し、楽曲をFineすべくのラストテーマが演奏されます。
4曲目サングはダークなムードを湛えたスイング・ナンバー、ここでも超難解なメロディラインをランディと確実にプレイするジョーヘンの読譜力、アンサンブル能力に感心させられます。
ジョーヘンはランディが在籍したBS&Tに72年頃、短期間参加していました。
勿論ホーンセクションの一員としても演奏を行った事でしょう、ジョーヘン自身もビッグバンドを率いていた事があり、超個性的なインプロヴァイザーですが、アンサンブルにかけて高い能力を併せ持つ事になります。
ソロの先発はキコウスキーから、ランディがその才能を認めるだけの打鍵を聴かせますが、些かリック、パターンに依存するきらいがあります。初期のコリアのテイストをここでも強く感じました。
トランペットのソロに続きますが、フォスターのカラーリングにアグレッシヴさを見出せます。ランディはイメージを膨らませ、フレッシュなテイストによるアプローチを行うべくの奮闘を感じます。楽器のトーンにも特に艶やかさが認められ、音量のダイナミクスの振れ幅にも抑揚が見られます。
続くジョーヘンのソロには場面を刷新すべくの強い意志を感じ、フォスターはジョーヘンのコンセプトを汲み、的確にレスポンスを行います。
キコウスキーのバッキングにも、より積極的な寄り添いを覚えます。
その後ラストテーマへ、エンディングは比較的シンプルでしたが、フェルマータ後のカデンツァで、もうひと盛り上がりします。
5曲目ユーアー・イン・マイ・ハートはランディのかつてのパートナー、ブラジル人ピアニスト、イリアーヌ・イリアスに捧げられたバラード。
二人が出会って間も無く、イリアーヌが1, 2週間ブラジルで仕事があり離れ離れになった時に書いたナンバーだそうで、蜜月時代を物語っています。
基本ワルツ・ナンバーですが様々な要素が込められた、美しくロマンチックな中にもランディらしい捻りがスパイス的に効いており、些か趣を異にする所もありますが、愛する女性に対する想いを感じさせるラヴソングに仕上がりました。
キコウスキーのソロから始まります。テーマの雰囲気を保ちながら次第に展開しますが、表現し尽くさない、次のソロイストへの伸び代を残した辺りで管楽器のアンサンブルが入ります。
楽曲のテーマ、アンサンブル、ソロ中のセカンドリフ等の込み入った構成は、個人的にやや盛り過ぎのきらいを感じます。ブレッカー・ブラザーズを離れてから生じたインスピレーション、新たなアイデアをこれでもか、と満載させたのでしょうが、一般オーディエンスにはトゥ・マッチの感は否めません。
ランディのソロはフリューゲルホーンを用い、メロウさを表現します。
ここではカーターのベースワークが中心となり、様々なアイデア、そこから生み出されるグルーヴからバンドを活性化させます。終盤に加わる管楽器アンサンブルには、フォスターのカラーリングが推進力の一つとしてワークします。
その後ラストテーマを迎えヴァンプが繰り返され、フォスターのカラーリングが一層冴え渡り、ランディもフィルを交えます。
6曲目ゼアズ・ア・ミンガス・ア・モンク・アス、ユニークなタイトルのナンバーです。ホーンとリズムセクションのコール&レスポンスも含めたアンサンブルを聴かせ、バンド演奏は本作中白眉の仕上がりです。
チャールス・ミンガスとセロニアス・モンクはジャズ演奏を志す者なら決して払拭する事が出来ない、寧ろ魅力的なテイストですが、プレイすればそのカラーに染まり切り、そこから抜け出る事が困難です。
ランディのソロから、好調振りはリズム隊をしっかりと巻き込み素晴らしいグルーヴを聴かせます。特にフォスターには彼本来のスピード感溢れるオントップなビートが認められます。
続くジョーヘンはまさしく水を得た魚のよう、手が付けられないほどに魅力的な独自の節回しを繰り出します。ソロを終えた際に誰かの声援が聴こえました。
ジョーヘンのフレーズを受け継ぎ開始されたキコウスキーのソロにもスイング魂が乗り移り、打鍵にはフレッシュなテイストが盛り込まれます。
ピアノソロに被るようにラストテーマが始まりますが、フォスターのドラミングが若干溢れ気味にブレークが行われます。
初めのテーマとテンポは然程変わっていませんが、ラストテーマのグルーヴ、スピード感には別曲と思わせる程に充実したものが認められます。
エンディングはリタルダンドして比較的ストレートにFineを迎えます。
この演奏がアルバム冒頭に置かれたならば随分と作品の印象が変わったように思います。1曲目のインパクトは大切ですから。
7曲目ムーンタイドは本作中、最もランディの作曲に於ける音楽性が高く表出された佳曲、ジューイッシュ的なハーモニーとメロディラインが見事に結実したナンバーです。
イーヴン8thのリズム、トランペット、テナーサックスのアンサンブルとラインの交錯感に目覚ましいものを感じ、このままブラザーズの作品に収録しても問題はなさそうです。
先発はジョーヘン、極小の音量から始まります。全くの即興と思いますが、途中に繰り出されるメロディアスなライン、ここでのセカンドリフの如き、若しくは裏メロディを感じさせるセンスには脱帽させられました。
その後展開されるジョン・コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドにも匹敵されるウネウネ、ウニウニの如きジョーヘン・フレーズの妙、これは堪りません!
カーター、フォスター共にステイしていながらも時としてアクティヴに、放置と介入が絶妙です。
テナーソロのラストに於ける咆哮と超絶音塊に反応するリズム隊の的確さには、聴き手の魂を揺さぶるジャズの魅力を感じます。
ジョーヘンはジューイッシュではない筈ですが、ユダヤ系ミュージシャンのミュージック・テイストと絶妙に合致します。これはフォスター、カーターにも当て嵌まり、更には例えばエルヴィン・ジョーンズ、ビリー・ハート、何よりジョン・コルトレーンの音楽がジューイッシュ・ミュージシャンの創作活動と切っても切り離せない関係である事に、大変興味を覚えます。
その後ピアノソロが続きますが、トランペットソロは本編では行われませんでした。ラストテーマ後のヴァンプでランディがフィルイン程度にプレイし、次第にFade outします。
ラストを飾る8曲目リトル・ミス・P、アップテンポのナンバー、8分の6拍子、スイングが交差する複雑さ、メロディラインも難易度高いですが、最も容易くプレイするフロント二人に拍手をお願いします。
ファーストソロはジョーヘンが担当、カオスの中から真実を見出すべくのアプローチには、クリエイティヴさを痛く感じさせられます。
続くランディのソロにも同様です。両者のソロ中ピアノのバッキングが皆無であるのも、創造性を際立たせています。
ベースのウォーキング・ソロへ、フォスターのカラーリングにも興味深いアプローチが認められます。
フェルマータし、ベース・パターンを従えながらのドラムソロが始まります。
次第に場を整えながらラストテーマへ、音楽的でナチュラルな展開です。
最後は高度テクニックを要するメインテーマが演奏され、無事Fineを迎えます。