タップ・ステップ/チック・コリア
チック・コリア1979年12月、80年1月録音リーダー作『タップ・ステップ』を取り上げましょう。
コリアの豊かな音楽性とアレンジ、複雑なコードワークやリズム・パターンが随所に使われているにも関わらず、メロディアスさが優先となり、サンバを筆頭にした様々なリズムが用いられる事でダンサブルを掲げ、ヴォーカルやコーラス、コリア自身のヴォコーダーも用いたサウンドを巧みに管楽器と併用し、誰もが口ずさめる旋律を有するナンバーから、コアなコリア・ファンにまでアピールする楽曲を配した、大変にバランスの取れた作品に仕上がっています。
それまでの彼の基本コンセプトは南欧スペインでしたが、本作1曲目で南米ブラジルにチャレンジしています。
加えて収録曲各々に対してトリビュート・ミュージシャンがクレジットされています。彼の作品中、収録各曲に対するデディケーションの掲載は本作だけの模様ですが、楽曲の雰囲気に対し意外なミュージシャンや、然もありなんと納得する名前もあり、興味は尽きません。
ジャケット写真に見られる、コスチュームを纏ったコリアが(とても似合っています)、ブラジルの打楽器であるスルドを、タルバラチと呼ばれるストラップで左肩から吊るし、ポーズを決めてこちらを横目で見ています。
ジャケット・ライナーにはこの写真のヴァージョン違いが幾つもレイアウトされ、本人のお気に入りなのでしょう、アルバム出色の出来栄えを自画自賛しているかの様です。
マセタと呼ばれるバチを右手で持ち、コリアが今まさに演奏するかの様ですが、実際に本作でスルドを演奏するのはブラジル、リオデジャネイロ出身のパーカッション奏者ラウヂール・ヂ・オリヴェイラ、彼は70年代に名門ロックバンド、シカゴのメンバーとして大活躍しました。
まずは本作『タップ・ステップ』にまで至る、コリアの作品群の主要なものについて、時系列として触れて行きましょう。
66年11, 12月録音初リーダー作『トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ』にて新鋭ピアニスト、コンポーザーとしてジャズ界に狼煙を上げます。
68年3月ベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウス、ドラマー、ロイ・ヘインズを擁した名高いトリオにて傑作アルバム『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』を録音、ピアニスト、バンドリーダーとしての力量を高らかに宣言します。
71年4月コリアの代表作となる『リターン・トゥ・フォーエヴァー』を録音します。以降もずっと継続するスパニッシュ指向のオリジナルを綿密にアレンジし、パーマネント・グループでライヴ活動を行い、サウンドを深めて行くスタイルの先駆けとなりました。収録名曲ラ・フィエスタは数多くのミュージシャンに取り上げられます。
アルバムタイトルを自身のバンド名とした作品第一弾、72年10月録音『ライト・アズ・ア・フェザー』、こちらに収録されている傑作ナンバー、スペインはコリアの代表曲となりました。
曲中オーディエンスと手拍子のコラボレーションを行える部分を有するこのナンバー、聴衆参加型楽曲の定番となり、彼のコンサートでは必ず演奏される事になります。
と言うよりも、リスナーは作曲者自身が打鍵するスペインの演奏がお目当てに違いなく、彼らは本命を聴かずして帰途に就く事は出来ません。
コリア自身あまりにも同曲の演奏を繰り返したためでしょう、一時期彼の率いたエレクトリック・バンドで、トリッキーにアレンジを変えたヴァージョン違いのスペインをプレイしていました。
76年10月録音『マイ・スパニッシュ・ハート』はコリアのスパニッシュ・ミュージックに対する総決算と言える作品です。収録ナンバーは名曲、名アレンジ揃いにして名演奏の数々、参加ドラマー、スティーヴ・ガッドとのコンビネーションは密にして闊達、既に不動のものとなっています。
ルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」を題材とした77年11月録音作品『マッド・ハッター』はコリアの音楽性が一段と深まり、コンセプト・アルバムとして楽曲を作り上げ、オーケストレーションやアレンジ、適材適所を図るべくのメンバー采配に絶妙なセンスを発揮します。
当時の音楽シーンでの良きライヴァル、ハービー・ハンコックをゲストに迎え、ラスト・ナンバー、ザ・マッド・ハッター・ラプソディにてハンコックのフェンダー・ローズをフィーチャーし、コリアのキーボードソロにハンコックがバッキングを施し、ハンコックのソロ時にはコリアがアコースティック・ピアノでバッキングを行うと言う、スリリングな展開を聴かせます。
この作品のもう一つのトピックスとして、ネオ・フォービートを宣言したかの収録アコースティック・ナンバー、ハンプティ・ダンプティ、ガッド、エディ・ゴメス、ジョー・ファレルらカルテットで新感覚のジャズ演奏を行います。コリア自身の以降の方向性を決定付けたと同時に、ジャズシーンに旋風を巻き起こし、新たな展開をもたらします。
その後ネオ・フォービートを一枚の作品に具現化したのが78年録音『フレンズ』です。収録曲は常に佳曲揃いのコリアですが、更に粋を極めたナンバーばかりで構成されます。
リズム隊ガッド〜ゴメスのコンビによるグルーヴは、まさしくニュー・ジェネレーションの幕開け、特にガッドがリードする斬新なアイデア満載のリズム、フレージング、且つ一触即発のインタープレイの連続には、あまりのインパクトに開いた口が塞がりませんでした。
このコンビにマイケル・ブレッカーが参加したバンド『ステップス』での80年12月、六本木ピットインでの壮絶なライヴレコーディングに発展します。
78年にはもう一作コリアのアルバムが録音されます。『シークレット・エージェント』はブラスセクションによる重厚なアンサンブルを全面的にフィーチャーしたフュージョン作品で、彼の音楽的特徴であり、作品群に脈々と続いたスパニッシュ・テイストを敢えて排除したコンセプトです。
これはフュージョン全盛期の成せる技とも言えましょうし、新たなる表現方法、アプローチを常に模索し続けるコリアの一つのプロセスであったとも考えられます。
本稿『タップ・ステップ』に参加のフレットレス・ベース、バニー・ブルネル、ドラムス、トム・ブレックラインのコンビによるグルーヴを、既にこの作品で聴く事が出来ます。
そして翌79年12月、80年1月録音の本作品『タップ・ステップ』に繋がります。
それでは収録曲について触れて行くことにしましょう。
1曲目サンバ・L.A.は参加メンバーにもクレジットされている、アイアート・モレイラとフローラ・プリム夫妻に捧げられています。
まるで遠くからサンバ・カーニヴァルのダンサーたちが打楽器隊を引き連れながら、こちらに向かって来るが如く、フェードインしながら次第に音楽が聴こえて来ます。
通常パレードでは聴かれないシンセサイザーの音色がリズミックに響きます。
プリム、コリアの奥方ゲイル・モラン、ブルネル夫人ナニ・ヴィラ・ブルネル、シンガー・ソングライターであるシェルビー・フリントら女性ばかりの4人のヴォーカリストを迎え、はじめは路上でガールトークが行われているかの雑談風ですが、様々にリズムを発しながら始まります。
アイアート・モレイラの演奏するパーカッション群〜スネア・ドラム、タンバリン、ホイッスル、パンデーロ、そこにラウヂール・ヂ・オリヴェイラが叩くスルド、アゴゴ、ガンザ、タンバリンが合わさり、極上のサンバ・リズムが繰り広げられます。
コリアのシンセサイザーによるシングルノートで呼び込みフレーズが提示され、コーラスによるテーマ演奏が始まります。
スルドがベース音域を担当しています。弱拍と裏拍にアクセント付けが行われますが、低音域ドローンの如くに響き、その上にアンサンブルとして乗る、レンジが広くピッチやリズムが正確なコーラス隊と、コリアが弾くシンセサイザーが必要最小限にコード感を出す仕組みになります。
立ち上がって踊り出したくなるほど小気味よいリズムがそこに加わる事で、ベースやコード楽器不在でも、過不足なく音楽の三要素(メロディ、ハーモニー、リズム)が成り立ちます。
このまま何時間でも音楽に浸り続けていたくなる気持ち良さですが、程良きところでFade out、アルバム冒頭の掴みは完璧にしてキャッチーです。
コリアの狙い所は的中しましたが、このコンセプトの延長でアルバム全編を貫き通しても良かったと思います。
モレイラが主になり多彩なリズムを繰り出し、プリムがコーラスのリードを担当していると推測出来ますが、コリアはこの楽曲を作品として二人に捧げたと言うよりも、演奏の大役を担った彼らの労をねぎらう意味での、デディケーションと感じます。
2曲目ジ・エンブレイスはクラシックの作曲家、ロベルト・シューマンに捧げられたナンバー、ドイツ・ロマン派を代表する彼をイメージした、エンブレイス=抱擁のタイトルに相応しいリリカルな楽曲です。
ピアノ曲に評価の高いシューマンに捧げるべくコリアはアコースティック・ピアノを中心に演奏し、その美しいタッチを遺憾なく発揮しながら、楽曲メロディをヒューバート・ロウズのフルートに委ねつつユニゾンを華麗に打鍵します。
ブルネルの良く伸びるトーンを有するフレットレス・ベースに、フィルインやグリッサンド、ハーモニクスを存分に行わせ、隠し味としてドン・アライアスのパーカッションにカラーリングを行わせます。
ブレックラインのドラミングはアンサンブルに対する抜群のセンスを発揮します。常に堅実なサポート・プレイを展開する彼はコリア自身の評価も高かったのでしょう、以降も事あるごとにレコーディングやコンサートに起用されますが、コリアのアコースティック、エレクトリック両バンド兼任のドラマー、デイヴ・ウェックルにも共通するテイストを確認する事が出来ます。
アル・ヴィズッティの多重録音によるトランペット、フリューゲルホルンのセクションは時にピアノと同期し、またオブリガート的に響き、対旋律や裏メロディとしても伴奏を行います。
複雑な楽曲構成は様々なモチーフを展開させ、参加楽器のソロを巧みに組み合わせながら、モランのヴォーカルでのメロディ奏へと繋げます。
シューマンの音楽に見られる技巧的で、例えば本演奏でも聴かれるリズムに対するトリッキーさを重んじ、交響曲を始めとする大編成作曲への意欲、また普遍性を持った作曲家であろうとする生涯の願望は、コリアに確実に受け継がれていると感じます。
3曲目タイトル曲タップ・ステップはモダンジャズの開祖チャーリー・パーカーに捧げられています。
ジョー・ファレルとヴィズッティの2管編成による、比較的ストレート・アヘッドなテイストを内包したナンバー、メロディ・ラインにビバップ的要素を感じますが、パーカーへのでディケーションはここに起因するようにイメージしています。
フェンダー・ローズのリズミックなパターンから始まります。ベース、ドラムスが加わり、マーチング的なグルーヴを感じさせつつ、程なくホーンズによるテーマが開始されます。
曲を通し、ブレックラインのスネアロールを中心としたドラミングが、軽快さと楽曲のムード作りに貢献しています。
リズムパターンとメロディライン、コリアらしい複雑なシンコペーションを含んだシカケを経て転調しますが、同じリズムパターンが継続し異なったテーマが現れます。ホーンズとシンセサイザーによるメロディは緻密にしてスリリング、一貫してキープされるリズムパターンと複数からなるメロディとの対比に、楽曲の持つクオリティの高さ、コリアの音楽的捻りを感じます。
何と楽しい音楽なのでしょう、共すればテクニカルな表現に陥りやすい高度で難解な楽曲を、コリアのリーダーシップのもと演奏者全員が一丸となり、数段階超えの卓越したプレイを、しかもリラックスしながら行なっています。参加ミュージシャンの秀逸な音楽性を痛感しました。
ソロはコリアのシンセサイザーから。インプロヴィゼーションを行うためのナンバーですが、凝った構成のテーマ演奏時点で、既に楽曲が出来上がったとさえも感じます。
コリアの即興は流麗に、リズミックに、ワン・コードから成るソロ・パートですが、12音全てが均等に存在するかの様にアドリブを行なっています。ソロ終盤にはフェンダー・ローズも用いて収束感を醸し出します。
再度テーマ演奏が行われ、ヴィズッティのトランペットソロが登場です。コリア、ブルネルはカラーを変えるべく、様々な音のフィギュアを効果的に用います。
ヴィズッティはリズム隊をリードすべく健闘し、インスパイアされたメンバーとインタープレイを展開します。しかしコリアのプレイ後なのでソロの構成、ストーリーの設定、タイム感、音符の長さには聴き劣りを否めません。
再びテーマが演奏され、ファレルのテナーソロです。野太い音色でファレル節を繰り出し、場を活性化すべく奮闘します。
ヴィズッティがソロ時に用いた際はリズム隊にスルーされましたが、同じシングル・タンギング連続フレーズ、ここではブレックラインが即座に、思いっきりレスポンスし、順次ピアノ、ベースと呼応します。その後のインタープレイはヴィズッティの時とはまた異なった側面を示し、彼らの音楽的な懐の深さを感じさせますが、ブルネル、ブレックラインの類型的なアプローチに比べて、コリアのバッキングは自由自在で遊び心満載、大空を舞うペガサスの如き奔放さを再認識する事が出来ます。
その後ラストテーマをプレイしますが、エンディングには更に異なったラインが用意され、楽曲の確実な終止感を得ることが出来ます。
それにしてもこの難しいナンバーをホーンズ二人は良くぞ巧みに演奏しました!
4曲目マジック・カーペット、マイルス・デイヴィスを始めとして多くのミュージシャンに敬愛されるピアニスト、アーマッド・ジャマルに捧げられたナンバー。
冒頭シンセサイザーのサウンドが組み合わさった荘厳なアンサンブルから、リズムセクションが加わり8分の6拍子のリズムが演奏されます。
その後アライアスによるコンガと、ドラムスだけが残りリズムを刻みます。
ピアノがそこに破り入り、新たなグルーヴを提示し、楽曲が本格始動します。
コンガが中心となり8分の6拍子をキープし、リズムセクションが演奏するリズムと合わさる事でポリリズムとなり、その上でコリアがタイトにしてスピード感が半端ないタイム感で打鍵します。
所々にトランペット、テナーのホーン・セクションがアクセント的にプレイされます。
ブルネルのベースはコリアにインスパイアされたラインを発し、ブレックラインはどちらかと言えばキープに回りながら演奏が展開します。
複雑なリズムの上でコリアが縦横無尽に打鍵するフォーマットの演奏となり、次第にディミニュエンドしFineを迎えます。
5曲目ザ・スライドはオーストリア出身の作曲家、無調音楽を経て十二音技法による作品を残したアルバン・ベルクに捧げられました。
ドラムソロからモレイラによるクイーカ、アライアスのコンガ、オリヴェイラによるアゴゴがプレイされ、ラテン・フレーヴァーが華やかになります。
イントロはベースとフェンダーローズの輪唱からユニゾンへ、スリリングなメロディラインが提示されます。そのままコリアのインタールード的ソロへ、その後再びメロディが登場します。
その間クイーカやパーカッションが継続して鳴り響き、エキゾチックなムードを醸し出します。
再び登場するコリアのソロは次第に熱くなり、バンド全員を巻き込んでのアクティヴな展開になりますが、彼の驚異的タイトさを持つタイム感に驚きを隠せません。一体どれだけのトレーニングを積んだのでしょうか、前人未到の境地です。
途中から登場するジャミー・ファウントの演奏するピッコロ・ベースが、エレクトリック・ギターの如くサウンドし、コレクティヴ・インプロヴィゼーションの密度を濃くさせますが、次第にバンドはクールダウンしFineを迎えます。
6曲目グランパ・ブルースはコリアが最も敬愛するピアニストのひとり、セロニアス・モンクに捧げられたナンバー。
ドラムスと一緒にコリアが演奏するヴォコーダーが登場します。この楽器を使って歌っている(喋っている?)歌詞はコリア自身が書きました。
シンセサイザーや盟友スタンリー・クラークのピッコロ・ベース、トーク・ボックス(背が高く、がたいの良いクラークらしい低音の魅力)の音と合わさり、次第にコリアのシンセサイザーとの掛け合いも聴かれ、穏やかでレイジーな中にモンク的と言うべきなのでしょう、摩訶不思議なサウンドを確認する事が出来ます。
演奏自体は各人のインプロヴィゼーションが主体ではありませんが、同時進行的にカラーリングが行われるプレイとなりました。
7曲目フラメンコは文字通りフラメンコやジャズの分野で活躍したギターリスト、パコ・デ・ルシアに捧げられたナンバー、この曲のみスパニッシュ・フレイヴァーを徹底させています。
ピアノのアルペジオ、トランペットとテナーサックスのホーン・セクション、ロウズの吹くピッコロ、コリアが発するハンドクラップ、音の厚みがラストを飾るに相応しい規模から成ります。
幾つもの事象をぐっと凝縮したかのスリリングなアンサンブル、アレンジ、リズムの重なり具合はまさしくコリアならではのもの、複雑さ、難解さよりも寧ろ爽快さを表現しています。
登場するテナーソロはファレルでは無く意外にもジョー・ヘンダーソン、とは言えコリアとジョーヘンは若い頃から研鑽を重ねた仲、ジョーヘンのリハーサル・ビッグバンドでコリアは度々ピアノを弾いていました。
個性的にしてジャズの伝統を踏まえたジョーヘンの音色とプレイ、テーマ奏、短いながらもフィーチャーされたソロに於いて、効果的に響きます。
本作中最もコンパクトなテイクですが、申し分のないクオリティに仕上がりました。