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テイルズ・オブ・アナザー/ゲイリー・ピーコック
ベーシスト、ゲイリー・ピーコックの1977年録音リーダー作『テイルズ・オブ・アナザー』を取り上げましょう。
録音:1977年2月2日
スタジオ:ジェネレーション・サウンド・スタジオ、ニューヨーク
レコーディング・エンジニア:トニー・メイ
ミキシング・エンジニア:マーチン・ヴィーラント
プロデューサー:マンフレッド・アイヒャー
レーベル:ECM
(b)ゲイリー・ピーコック (p)キース・ジャレット (ds)ジャック・ディジョネット
(1)ヴィネット (2)トーン・フィールド (3)メイジャー・メイジャー (4)トリロジー Ⅰ (5)トリロジー Ⅱ (6)トリロジー Ⅲ
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/ゲイリー・ピーコック
数多くの名演奏、ジャズ史に残る名作を発表したキース・ジャレット・トリオ<ピアノキースジャレット、ベースゲイリー・ピーコック、ドラムスジャックディジョネット>グループ名スタンダーズ、本作はピーコックがリーダーとなった彼らの最初期のアルバムです。
この作品が発端となり以降スタンダーズとして動き始め、83年1月11, 12日に3作分のレコーディングを行い、同年処女作『スタンダーズ、Vol,1』、翌84年9月第2作目『チェンジズ』、85年4月第3作目『スタンダーズ、Vol.2』と続け様にリリースします。
トリオ結成に際し、ECMレーベル・プロデューサーのマンフレッド・アイヒャーの助言があったと言われています。
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/チェンジズ
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その後ECMから合計21作ものアルバムを発表します。
取り上げる楽曲はジャレットのオリジナルも交えますが、多くがスタンダード・チューン、ブロードウェイ・ミュージカルで取り上げられたナンバー、スタンダーズと言うバンド名の由来です。
古今東西のジャズ・ミュージシャンにより演奏し尽くされた、所謂手垢に汚れたスタンダード・ナンバーを、彼らがどのように料理するのか、スタンダーズの手に掛かれば凡演の筈がありません。オーディエンスは期待に胸を膨らませながら新作発表、コンサートを心待ちにします。
3人のマエストロのうち、ジャレットとディジョネットは60年代最後期でのエレクトリック・マイルス・デイヴィスのバンド在籍経験者、70年代に入ってからは研鑽を重ね、自身が率いるバンドで自分たちの音楽を探究します。
マイルスの元でプレイを行ったのもあるでしょうし、元々ポテンシャルを見出されてマイルスにスカウトされましたが、彼らの音楽性はずば抜けて優れており、他の追随を許さず圧倒的な才能を発揮します。ジャレット、ディジョネットは天賦の才を持ったジャズ界のキーパーソン、気の合う二人は互いに惹きつけられる様にプレイを共にします。
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キース・ジャレット、
ゲイリー・ピーコック
ピーコックの方は58年頃からバド・シャンク、バーニー・ケッセルら西海岸を代表する伝統的スタイルのジャズ・ミュージシャンとギグを重ね、その後クレア・フィッシャー、ビル・エヴァンス、トニー・ウィリアムスらのレコーディングに招かれます。
時代はフリージャズ旋風が吹き荒れる60年代中頃、ピーコックは前衛スタイル最先鋒テナーサックス奏者アルバート・アイラーの代表作64年7月録音『スピリチュアル・ユニティ』、同年9月録音『ゴースト』に参加します。
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/スピリチュアル・ユニティ
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/ゴースト
ピーコック同様にジャレットとの共演を頻繁に持ったベーシスト、チャーリー・ヘイデンは、フリー・ジャズの旗手オーネット・コールマンのバンドに参加し、59年5月録音『ジャズ来るべきもの』を始めとした、オーネットの多くの名作に携わります。
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/オーネット・コールマン
76年3月録音ヘイデンのリーダー作『クロースネス』、冒頭曲エレン・デヴィッドに於けるジャレットとのデュオ・コラボレーションに、深い音楽性の合致度を見出すことが出来ます。
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/クロースネス
オーネットの演奏スタイルは他のフリー・フォーム・ミュージシャンとは一線を画し、彼が唱え、後にその名が広まるハーモロディクス理論に基づく理論、思想体系で演奏に臨みました。
その片腕としてオーネットと丁々発止にプレイを渡り合ったのがヘイデンです。ヘイデンの驚異的な瞬発力を伴ったベース・ワークがあったからこそ、オーネットの音楽が活性化し、成立したと認識しています。
この事をアイラーのプレイや音楽性、ピーコックとの共演に当て嵌めて考えてみましょう。
まず印象的なのが彼のテナーサックスの音色です。只管野太く男性的、ダークにしてエッジー、深いヴィブラートを伴った発音はテナーサックスと言う楽器の魅力を振り撒きます。奏者の演奏する楽器の音色は対面第一印象の大切さと同じだと、再認識させられます。
豪快さはテナーマンの根源を表現し、基本的にはデキシーランド、スイング時代のスタイル、またホンカーのテイストを発揮します。
アイラーのスタイルはオーネットと同様のフリー・インプロヴィゼーションではありますが、フレージングを構築する際には、ジャズ的な理論、学理を有した方法論を用いた展開をさほど確認する事は出来ず、メロディ・ラインを基本とし、フリーキー、咆哮等の効果音的フレージングを用いてソロを行い、情念、個性を表現します。
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オーネットの微に入り細に入りのプレイ、ライン個々をヴァーティカルに組みながら構築するアプローチに対し、言ってみればアイラーはホリゾンタルに、横の流れとしての旋律やクラスター的な音塊を放ちながらの手法となります。
アイラーのプレイに向けて、ピーコックはセンテンスへの寄り添い、若しくは対旋律を奏るのが主となり、ソロラインとの絡み具合はオーネット〜ヘイデンの様なアクティヴさは希薄です。
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スタンダーズは形態としてピアノ・トリオですから、ジャレットのプレイがフロントに立ち、ディジョネットが主にフォロー、サポートし、ピーコックが両者の関係を円滑に保つために伴奏を行う役割分担と言えましょう。
ジャレット、ディジョネット両者名義によるデュオ作品、71年5月録音『ルータ・アンド・ダイチャ』は牧歌的な雰囲気を湛えたアルバム、幾つかの楽器を持ち替えながら、まるで家庭での団欒を音楽で表現したかの内容、ふたりの親密さが際立ちます。
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/キース・ジャレット、
ジャック・ディジョネット
ここにはゴスペル、R&B、ロック、民族音楽的なテイストをナチュラルに網羅し、ジャズ的な要素は必要最小限に抑えられ、彼らのルーツに基づきつつ、楽しみながら演奏しているのが伝わる仕上がりを見せます。
究極彼らふたりだけで音楽が成立してしまう事を証明しているとも言えますが、バンド、スタンダーズに於いては形態としてオーソドックスな表現を行うユニットです。ベーシストは必要不可欠な存在です。
スタンダーズは本作『テイルズ・オブ・アナザー』の流れでピーコックがレギュラー・ベーシスト化します。
ヘイデンを採用する選択肢もあったかも知れませんし、個人的にはその人選にも大変興味を感じます。
アルバム・リリースの流れを重視しての人事は結果良好、レギュラー・トリオとして長年に渡り創作活動を続けて行くのですが、ジャレット、ディジョネットが作る音楽に過度に介入せずに、シンプルに的確なサポートを行うプレーヤーという観点から、ピーコックが相応しかったと言えます。
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それでは演奏内容に触れていくことにしましょう。この3人の顔合わせは本作が初めて、収録ナンバーは全てピーコックのオリジナルです。
他のスタンダーズの作品に比べて重厚さと、より芸術性を感じさせるのはこれらオリジナルの秀逸さが関係しています。他のスタンダーズ・アルバムの表現が軽いという意味ではなく、表現するべきものが異なるが故です。
そしてリーダーがベーシスト、ピーコックと言う点が大きなポイント、スタンダーズとして活動してからもピーコック名義で作品をリリースしても良かったのでは、と想像しています。
本作以降もピーコックは様々なメンバーを起用し、ECMからリーダー・アルバムを本作を含め9作品リリースします。
14年7月録音『ナウ・ディス』はピアニスト、マーク・コープランドをフィーチャーし、ドラマー、ジョーイ・バロンを擁したトリオ編成、本作収録ヴィネットの再演や、ピーコックの原点とも言えるベーシスト、スコット・ラファロのオリジナルであるグロリアズ・ステップ等を演奏した意欲作です。
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/ゲイリー・ピーコック・トリオ
1曲目ヴィネット、意味は飾り模様、装飾図案です。唐草模様と言う意味もあるそうです。
陰鬱なムードを持つメロディとバッキングのパターンが印象的です。
シンバルが効果音的に用いられたイントロから始まり、徐にピアノが打鍵し始め、ベースが加わります。
1コーラスは14小節から成り、不規則な転調を伴ったコード進行、イーヴン8thのリズム、当初ディジョネットは明確にリズムを提示せず、覆い被さるようにパーカッシヴなプレイに徹します。
テーマ奏に引き続いたピアノソロがジャレット自身の唸り声と共に次第に世界を構築して行きます。
程良きところでディジョネットはスティックに持ち替え、シンバルを用いてタイムをキープし始めます。
本テイクでのディジョネットは一貫して殆どフィルインを叩かず、シンバル・レガートと時折繰り出すパーカッション音だけでの表現ですが、シャープにして繊細なアプローチには実に多様な色彩を認める事が出来ます。
1拍と言う枠から溢れんばかりに長く満ち満ちた8, 16分音符、同時にスピード感が半端ない音符を駆使したジャレットのプレイは、ストイックさを感じさせ、聴く者にある種の緊張感を強いるほどですが、真善美を備えるため説得力の方が勝ります。
ジャレットが濃密な音空間を作り上げたところでピーコックのソロへ、いきなりの饒舌なアプローチですが、実はピアノソロのバックで既に提示されていました。ピアノの左手や唸り声に被り、あまり目立ちませんでしたが、アクティヴなラインが継続していたのです。その延長線上でプレイが行われます。
ベースソロ後そのままラストテーマへ、ベースも当初のパターンに落ち着き、Fineを迎えます。
2曲目トーン・フィールドは本作中最もフリー色の強い演奏です。ピアノの独奏から始まり、柘植材の深い響きを有したベースソロが加わりピアノが伴奏に回ります。
ピアノとベースのカンヴァセーションに、ドラムスが必要最小限にして効果音的に音空間を埋めて行きます。
その後三者三様に音を繰り出しますが、互いの音を良く聴きながら、その場に相応しくかつ効果的な音を選択し続け、世界を構築して行きます。
主導権を握るのはジャレット、サウンドやコード感、メロディ、リズムの無いフリー・フォームですが、自身が発した音列、他の二人が奏た音塊を踏まえ、インスピレーションを得てプレイして行く様は、ジャズ演奏の原点であるコール・アンド・レスポンスに通じるものがあります。
音場は次第に熱を帯び、音空間は濃密度を極めますが、ディジョネット一人は退いて演奏を俯瞰しているかの対応を見せ、打楽器音を用いてジャレットのプレイをサポートしていると解釈しています。
3曲目メイジャー・メイジャーはベースの独奏から始まります。そのままベースがペダル・トーンを弾き、ドラムスがインテンポでサポートし始めます。
楽曲のテーマはユニークな発想からなるメロディラインを有しますが、ペダル・トーン上でのプレイなので、ハーモニー感も独特です。
タイトルの通りのメイジャーのサウンドが展開されますが、ここでもジャレットのピアノ演奏が中心となり、ディジョネットのドラミングがサポートし、プレイをより具体化させている様に感じます。
演奏は同様にスムーズに発展し、深い表現を繰り出し始めます。ジャレットのピアノタッチもアタックが強くなり、唸り声も同期したかのように大きくなります。
ピーコックのピチカートにも力が入り、音圧が上がりますが、ここぞと言うところでピアノの打鍵が止みベースソロに突入します。
ピアノは極小さな音量でバッキングを続け、その上で行われる力強い撥弦によるベースのインプロヴィゼーション、シンコペーションを活かしたフレージングによりソロのピークを設け、ラストテーマに繋げます。
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4曲目以降は本作の白眉となるトリロジー組曲3部作、まずはトリロジー Ⅰ から。
冒頭哀愁を感じさせるソロピアノにベースが加わります。しばしの間があり、ピアノがインテンポでパターンを提示し、ベースとピアノによるメロディ奏がスタートします。
テンポが提示されベースソロが始まります。スパニッシュ調のサウンドはジャレットのピアノの音色にマッチし、入魂の証でしょう、唸り声がフレーズとユニゾンを行いながら進行します。
ここでのイーヴン8thのリズムはミュージシャンの間ではECMボサと呼ばれ、レーベルのカラーを表す代表的なリズム形態です。
ディジョネットの繰り出すビートがグルーヴの源になりますが、比較的タイムをキープするに留まり、ここでもジャレットのプレイを立てるべく、音楽的な静観を決め込んでいるかのようです。
流麗に打鍵するジャレット、一音一音のクオリティには凄まじいものがあります。ピアノという楽器をここまで確実なレヴェルで演奏出来るプレイヤーは、全世界に数える程でしょう。
ピアノソロが佳境に達し次第に収束に向かいます。時折ピアノのフィルインも挿入されますが、バッキングが呪術的なまでに長いスパン行われ、楽曲のムードを別な世界に移行させています。その後だんだんとフェードアウト状態になり、Fineを迎えます。
5曲目トリロジー Ⅱ、ベースのソロから始まります。ピアノが割り入るように弾き始め、ベースと二重奏を行います。両者の美しい絡み具合が落ち着いたところで再びベースソロへ、ディジョネットのレガートが始まり、ジャレットが激しくもリリカルに打鍵し始めます。
♩=280程度のアップテンポ・スイング、ジャレットの猛烈な集中力と芸術表現に対する情熱、サポートするピーコックとディジョネットの伴奏での一体感、スイング感には胸の空く思いを抱きます。
ディジョネットのドラミングは以降のスタンダーズでも一貫して聴かれる、必要最小限にして最大の効果を産む、シンバル・レガートを中心としたシンプルなものです。
寧ろここぞという時のフィルイン、カラーリングが冴え渡り、メリハリが半端ありません。
ベースソロが短く行われ、その後ヴァンプ部分に突入、ディジョネットのソロが開始されます。常に最大限にイマジネーションを膨らませ、これはまるで天界から降りて来る音形、リズム・フィギュア、アイデアを両手両足に託す作業と言え、斬新でクリエイティヴなフレージングの連続となり、他のドラマーとは全く別格な表現方法による即興演奏を聴かせます。
そのままディミニュエンドとなり、フレージングを放置したかの状態で楽曲はFineとなります。
6曲目トリロジー Ⅲ、ピーコックのゆったりとしたソロから始まります。こちらもアップテンポのサンバ・ナンバー、トリロジー組曲中最もメロディラインが明確です。
前曲よりも速い♩=290で演奏され、間も無くスイングのリズムになります。ジャレットの打鍵は一層の輝き、激しさ、パッション、スピード感を呈し、どちらかと言えば不必要に聴こえた唸り声、ハミングの凄まじさに感銘さえ覚え始めます。
右手のラインに対してのユニゾン的な唸り声ですが、演奏が佳境に入り、左手が対旋律となり、左右両手、唸り声の三重奏の如く響きます。
ディジョネットのサポートは本作中最も深い次元に達し、真のスポンテニアスさを発揮しながらジャレットの打鍵を徹底的にバックアップ、鼓舞します。
ピアノソロには敢えてでしょう、テンポの揺れが生じ始め、一体感を表しながらベース、ドラムスが追従し、崩壊寸前の状態にまで達しますが、まさにここと言うポイントでジャレットがリズム・パターンを打鍵開始、ドラマチックなストーリー展開です。
エンディングは難易度高いセクションが設けられ、ピアノによるキメのフレーズにてFineです。