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ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス/チック・コリア

 ピアニスト、チック・コリア初期の代表作『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』を取り上げましょう。

録音:1968年3月14日、19日
スタジオ:A&Rスタジオ、ニューヨーク
プロデューサー:ソニー・レスター
レーベル:ソリッド・ステート

(p)チック・コリア  (b)ミロスラフ・ヴィトウス  (ds)ロイ・ヘインズ

(1)ステップス-ホワット・ワズ  (2)マトリックス  (3)ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス  (4)ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム、ナウ・ヒー・ストップス  (5)ザ・ロウ・オブ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップ

ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス
/チック・コリア

  本作『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』はコリアのリーダー・アルバム第2作目に該当します。
 初リーダー作が66年11, 12月録音『トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ』、トランペッターにウディ・ショウ、テナーサックスにジョー・ファレルを迎え、コリアのオリジナルを中心にクインテットでのバンド・サウンドを表現しています。
ここでは後年に続くコリア・ミュージックを既に聴かせていますが、緻密さや統一感がやや希薄で、結果セッション的な演奏を感じさせます。
 以降に密なコラボレーションを築いたファレルとの最初期のプレイ、スタン・ゲッツとの共演で取り上げられた名曲リサの初演、ゲイリー・バートンやパット・メセニーらともプレイした表題曲の収録に、この作品の価値を見出す事が出来ます。

トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ
/チック・コリア

 『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』はトリオ編成ゆえ自ずとコリアのピアノ奏にスポットライトが当たり、加えて当時20歳の天才ベーシストミロスラフ・ヴィトウス、伝説的な名ドラマーロイ・ヘインズ達とのアンサンブル、三者の一体感にジャズ史上有数のコラボレーションを見出せるため、実質上の初リーダー作と言えるでしょう。

 ピアノ・トリオとしての演奏に各楽器の役割、立ち位置、コンビネーションに斬新なものが表現され、シーンに於けるピアノ・トリオ表現の礎を作ったと言っても過言ではありません。

 59年末から61年6月までの短期間継続したビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンから成るエヴァンス・トリオ、ここでの演奏にもそれまでのトリオ形態によるプレイを逸脱した表現を確認する事が出来、このトリオの進化系として『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』が存在します。

ワルツ・フォー・デビー/
ビル・エヴァンス・トリオ

 タイトル『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』は約5千年前、中国で生まれた世界最古の書物である「易経えききょう」の中の言葉に由来しています。
 易経の著者は厳密には不明です。中心となる思想としては陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説き、人間処世上の指針、教訓の書とされます。語句は簡潔で含蓄があるそうです。
 現代でも多くのリーダーたちがバイブルとする書物と言われています。

 コリアは1960年代に様々な哲学や宗教を学びました。その中のひとつがこの易経です。
 個人的には彼のプレイや音楽にはこちらから影響された具体的な事柄や匂いを感じる事が出来ませんが、自己の音楽活動に集中するために、また更なる深淵な境地に至るべくの不可欠な学習だったのでしょう。

 因みに宗教に接したが故に、演奏がスピリチュアルな方向に転じたミュージシャンは少なくありません。コリアの場合は表現すべき音楽を明確に捉えているからでしょう、いわゆる宗教色が表面に出る事はありませんでした。

チック・コリア

 メンバー3人は初顔合わせ、コリアの方はヘインズ、ヴィトウス各々とは面識がありましたが、ヘインズ、ヴィトウス二人は初対面でした。
 ジャズの持つ魅力と言うべきかマジックと表現すべきか、既知の間柄でなく、全くの初共演であっても互いの音楽的センス、フィーリングが合致していれば演奏が成り立ち、更には化学反応が起こり奇跡の名演奏さえ産まれます。

 本作はその代表的な例と言えます。様々な事柄が絶妙なバランス、ブレンド感で合わさり、限りなくフレッシュにしてセンシティヴ、大胆さが半端ないプレイの連続、メンバーはさぞかしワクワクしながら演奏に臨んだ事でしょう。

 彼らはその後も断続的に演奏活動を続けます。81年11月録音『トリオ・ミュージック』、84年9月ライヴ録音『トリオ・ミュージック・ライヴ・イン・ヨーロッパ』とリリースします。

トリオ・ミュージック
/チック・コリア、
ミロスラフ・ヴィトウス、
ロイ・ヘインズ
トリオ・ミュージック
ライヴ・イン・ヨーロッパ
/チック・コリア、
ミロスラフ・ヴィトウス、
ロイ・ヘインズ

 『トリオ・ミュージック』はCD2枚組、Disc1はトリオ、デュオ・インプロヴィゼーションと題された小品から成り、三者の豊かなアイデアが満載された変幻自在な即興演奏の連続、Disc2は一転してテーマを設け、ザ・ミュージック・オブ・セロニアス・モンク、『ナウ・ヒー・シングス〜』のCD追加テイクでも演奏されていたパノニカに代表される、モンク・ナンバーに取り組んでいます。

 何しろヘインズはレジェンダリーなピアニストであるモンクと、50年代頻繁に演奏を行なっていました。モンクス・ミュージックを熟知するドラマーのひとりです。
 メンバーの自由闊達なプレイの応酬には『ナウ・ヒー・シングス〜』よりも円熟味を感じさせ、より高度で安定した即興演奏を展開しますが、初演時での新鮮さ、先を見越す事が出来ないワクワクさは流石に希薄です。
 『トリオ・ミュージック・ライヴ・イン・ヨーロッパ』は彼らのプレイの集大成的作品です。メンバー各々のオリジナルとスタンダードをバランスよく配した、スイスに於けるライヴ演奏です。

 ひとつ挙げなければなりません、ヴィトウスのベースの音色についてです。
『ナウ・ヒー・シングス〜』ではベース音収録に際し恐らくピックアップは用いず、マイクロフォンだけで録音していました。
 ヴィトウスの最大の特徴であるピチカートでの絶妙なニュアンス、音量の大小を駆使したダイナミクスが端的に表現され、弦を弾くはじく時にはヴィトウス本人、無意識に表情付けを行なっています。指先のマジックとも言えましょう。

 長身ゆえの腕の長さ、大きな掌を生かした奏法による、「唄うが如く」にニュアンスが豊富なヴィトウスのプレイは、マイクロフォン使用時に確実に発揮されます。当然録音エンジニアの腕前の良さ〜ベースの音色に対するイメージングも関係しています。
 ピックアップを使用した録音で一音一音は確実に聴こえて来ますが、ダイナミクス、表情付けはピークアウトされ均一になり、彼の良さが半減、いや何分の一以下に減衰してしまいます。
 逆に言えば作品『ナウ・ヒー・シングス〜』の鮮烈さは、ヴィトウスのベースの音色、ニュアンス、表情付けに由来するところが大だったのです。

ミロスラフ・ヴィトウス

 それでは収録曲に触れて行きましょう。全曲コリアのオリジナル、そしてCD化に際し未発表曲が多く追加されましたが、ここではオリジナル・アルバムに準拠します。

 1曲目ステップス-ホワット・ワズ、メドレー形式で演奏されます。曲間にはドラムスソロを配し、異なるタイプの2曲を上手く繋げています。

 ステップスはピアノのミステリアスなイントロに始まり、ヘインズがシンバル・スタンド等の金物を叩き、エフェクト音を入れます。収束したところでインテンポで楽曲が始まります。
 リズミックにして斬新なリズム・パターン、ピアノ左手とベースのユニゾン、ヘインズの過不足無い的確なフィルイン、トリオの優れたアンサンブルを早速聴く事が出来ます。アップテンポのスイング・リズムは猛烈なスピード感を有しながら、いきなり開始されます。

 ヴィトウスの一拍が長く、オントップなウォーキング・ベース、ヘインズが右手に握ったスティックの先端チップをライド・シンバルに振り下ろし続け、発生させる小気味よいビートとの両者の絡み具合、その上でタイトなリズムを伴いながら猛烈なスピード感での打鍵、両手自由自在に知的なライン、コードをプレイするコリア、絶妙な三つ巴と表現出来ます。

 ヴィトウスのニュアンス豊富なピチカート、ヘインズの伝統的にして鋭くも洒落たドラミングに対し、コリアは音符に敢えてでしょう、色彩を付けず無表情に打鍵します。このアプローチは生涯続き、彼の演奏スタイルの最大の特徴とも言えます。
 タイム感やライン、コードワークから生ずる高度なサウンドを聴かせる事を主眼に置いたために、音符に対する無着色を行なっているのかも知れません。
 ヒューマンなヴィトウス、ヘインズのコンビに、同傾向の表情豊かなピアニストが加われば、全く表現が異なるトリオが出来上がるでしょう。
 無彩色なコリアと色彩豊かなヴィトウス、ヘインズ達とのコンビネーション、実は異種格闘技とも表現出来、ジャズ史上稀有なバランス感を伴ったトリオと相成りました。

 楽曲のフォームは基本的にマイナー・ブルースですが、コリアの都度のアプローチにヴィトウスは瞬時に反応し、様々な代理コード、ハーモニーに置き換えます。
この事はチャーリー・ヘイデンとオーネット・コールマン二人の方法論にも通じると睨んでいます。
 うねりながら地を這う様に、そして舐るねぶるが如くまとわり付くヴィトウスのベースが強力な接着剤グルーとなり、リズムを強固にまとめ上げます。
 随所に、しかし決してトゥーマッチにならないヘインズのレスポンスがピアノ、ベースのコンビネーションを確実にバックアップし、演奏は佳境に達しながらラスト・テーマを迎えます。

 前述の通りインタールードとしてのドラムスソロに突入し、ヘインズはスペースを伴いながらインプロヴィゼーションを行います。多くのドラマーが使うリック(慣用句)を彼は極力用い無いようにしているのでしょう、クリエイティヴなフレージングが連続し、ワン&オンリーなヘインズ・ワールドを構築します。
 ソロを潔く終え、メドレー次曲に向けて極シンプルにシンバル・レガートが始まります。
続いてピアノのスパニッシュ・モードによるイントロが開始され、ベースがこれ以上は考えられない程の絶妙なバッキングを行います。
 ホワット・ワズのテーマが開始されます。印象的なメロディ・ラインは後年大ヒットしたコリアの名曲ラ・フィエスタ(72年2月録音『リターン・トゥ・フォーエヴァー』収録)に通じます。

リターン・トゥ・フォーエヴァー
/チック・コリア

 美しくも哀愁を有し、ストーリー性を含む楽曲はコリア初期の傑作と言えましょう。
89年録音ヴォーカリスト、ピアニスト、トム・レリスの作品『ダブル・アンターンドル』で当曲がカヴァーされています。所謂ヴォーカリーズでのヴァージョンですが、ジャック・ディジョネット、エディ・ゴメス達によるサポートで演奏が別次元に昇華しています。

トム・レリス/
ダブル・アンターンドル

 noteに私が『ダブル・アンターンドル』について記述しています。こちらもどうぞお読みください。
https://note.com/tatsuyasato/n/nded99a2df0e9

 楽曲の素晴らしさもありますが、コリアの入魂振りが尋常ではない打鍵、ヴィトウスの超絶技巧を駆使し、且つイマジネーションがあり得ない次元まで表出したバッキング、寄り添いつつ確実に演奏を鼓舞するヘインズのドラミングが合わさり、一瞬一瞬全ての場面がトピックスであるかの演奏を繰り広げます。

 ベースソロに替わります。コリアのソロ後ゆえでしょうか、ヴィトウスの入魂振りもこれまた特異なまでの世界に突入しており、独創性とハイパーなテクニック、前人未踏の深く豊かな音色、ニュアンス付けが聴く者を真善美の世界へと誘いいざないます。
ヴィトウスの音楽史上ベストの一つと言えるソロが展開されました。
 その後ラストテーマを迎え歴史的名演奏は次曲へと続きます。

 2曲目マトリックスもこのトリオの個性を十二分に表現しています。どこかセロニアス・モンクのテイストを感じさせる、楽曲のフォームとしてはブルース、トリオが自在に演奏を繰り広げるに打って付けのフォーム、そしてテンポです。

 ソロの出だしコリアは一瞬スロー・スタートを決め込み、ヴィトウスも2ビートで対応します。しかし2コーラス目からいきなりフルスロットル、スイングに転じ容赦のない展開を開始しますが、ヘインズが抜群のサポートを行いトリオの演奏が濃密度を記録します。
 3人の人間のグルーヴが合わさった事による、これ程にまでハイ・デンシティを聴かせる例は稀有であると思います。
この事はヴィトウスのベースプレイに負うところが大、そのヴィトウスのソロに続きます。
 ピアノ、ドラムスは伴奏を止め、ベース独奏に転じます。そのため倍音豊かにして、音量のダイナミクス、ピチカートのニュアンスの絶妙さが浮かび上がりました。

 更に無伴奏を良い事に、ヴィトウスは好き放題を絵に描いたプレイを行います。顕著なのが曲のキーがFであるにも関わらず、半音下であるE音、ベースの開放弦Eを用いてリズミックに、大胆に奏でるのですが、そのインパクトたるや猛烈、確固たる信念に基づいた確信犯の所業です。

 それにしてもここでのソロの独創性は何処からやって来るのでしょう。ヴィトウスの出身地チェコスロヴァキアの民族音楽や彼の地のスケールに由来するのか、クラシックを学んだ時点で影響を受けた音楽家や、コントラバスの師匠フランチシェク・ポシュタからのイメージでしょうか、ジャズではスコット・ラファロからの影響があるかも知れません、壮大にして見事なオリジナリティ、聴き惚れてしまうストーリー性。
何度でも言いますし、これからも言い続けますが、これは20歳の若者が表現する世界ではありません。


 ベースがウォーキングに転じ、ドラムスと1コーラス=12小節のトレードを行い始めます。コリアの打鍵イメージは本編ソロ時よりもクリアーさが増し、ヘインズのソロにもより迫力が加わります。
互いのプレイに影響されたのでしょう、両者の表現にはクリエイティヴさが際立ちます。
 その後ラストテーマを迎え、エンディングには別なセクションが加わり、Fineとなります。

ロイ・ヘインズ

 3曲目タイトル・ナンバー、ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブスはそれまでと趣を異にするマーチングのリズムから始まります。その後ワルツに転じ、クレッシェンド、ディクレッシェンドを繰り返し、サウンド、コード感の妙味を聴かせます。
 コリアのリズミカルなアプローチはベース、ドラムを確実に牽引し、タイトル通り歌い、むせび泣くスリリングな世界を構築します。

 ヘインズのカラーリングの巧みさ、ヴィトウスの自由闊達なベースライン、コリアの知的にして猛烈なインプロヴィゼーション、3者は全く異なる事柄を同時に演奏しているかの如きですが、合わさり具合は実に緻密にして大胆、ピアノトリオの表現として理想的です。
 
 ヴィトウスのソロです。弦を弾く力が半端なく強く聴こえますが、弦高が通常よりもずっと高めなのでしょう。
 聞く所によるとエディ・ゴメスは弦高を低く設定し、触れる程度の力で撥弦出来るそうですが、プレーヤー各々の好みなのでどちらが良いとは決められません。

 その後ラストテーマへ、エンディングにはピアノの左手とベースのユニゾンによる難易度高いセクションが用意され、両者は涼しい顔で(恐らく)演奏します。
寧ろヴィトウスは途中繰り返し4回目でフレーズをオクターヴ上げて撥弦する荒技(流石にピッチがやや怪しくなりますが)にもチャレンジしながら、Fineとなります。

チック・コリア、ロイ・ヘインズ

 4曲目ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム、ナウ・ヒー・ストップスも易経の言葉からタイトル付けされました。
 ピアノのフリー・インプロヴィゼーションから開始されます。ここでの無調を感じさせるアプローチには、ドビュッシーやシェーンベルク辺りの世界をイメージしているように察しています。
 徐におもむろインテンポとなりベース、ドラムスが加わり演奏が開始されます。透徹なスイング感を漂わせたプレイには一層トリオの一体感を感じます。

 特にコリアの打鍵からは理想的なリズムの取り方である、たっぷりした1拍の長さ、弱拍強拍のメリハリ、相反するが如きのビートの推進力と歯止め感、スピード感とレイドバック、8分音符裏拍の絶妙な位置はイーヴンに限りなく近く、しかし微妙にバウンスし(バウンス・ア・リトル・ビット)、以降の彼の演奏スタイルが完璧に表現されています。

 ヴィトウスの出番です。バッキングからソロに転じてもリズムのれは全く無く、独自の歌い回しとビート感が発揮され、低音域の音塊が怒涛の如く押し寄せます。
プレイするどの音符にもフレッシュな技法が用いられ、運指の手順にさえ通常では聴かれないテクニックを確認出来ます。
 コリアがベースソロ後にもアドリブを短く行い、ラストテーマへ。

 5曲目ザ・ロウ・オブ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップはピアノの最低音域での打鍵から始まります。
その後ピアノ弦をはじく音、本体を叩く音、鍵盤以外を用いて効果音を出します。ドラムスからはパーカッションの如き金属音、ベース弦を弓で弾く音、三者三様に音を出し、音列やコード感、リズムの発生は皆無にてFineとなります。


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