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ア・ファンキー・サイド・オブ・シングス/ビリー・コブハム

ドラマー、ビリー・コブハム1975年録音作品『ア・ファンキー・サイド・オブ・シングス』を取り上げましょう。

録音:1975年3月
レコーディング・スタジオ:コロンビア・レコーズ・スタジオ、サンフランシスコ
アディショナル・レコーディング・スタジオ:シグマ・サウンド・スタジオ、フィラデルフィア & エアー・スタジオ、ロンドン
エンジニア:ジミー・ダグラス
プロデューサー:ビリー・コブハム、マーク・マイヤーソン
レーベル:アトランティック

(ds, perc, synth)ビリー・コブハム  (ts)マイケル・ブレッカー、ラリー・シュナイダー  (tp)ランディ・ブレッカー、ウォルト・ファウラー  (tb)グレン・フェリス  (tb, piccolo)トム・マローン  (g)ジョン・スコフィールド  (key)ミルチョ・レヴィエヴ  (b)アレックス・ブレイク  (congas)リーバップ・クワク・バー

(1)ソロ/パンハンドラー  (2)ソーサリー  (3)ソロ/ファンキー・サイド・オブ・シングス  (4)ソロ/シンキング・オブ・ユー  (5)サム・スカンク・ファンク  (6)ライト・アット・ジ・エンド・オブ・ザ・トンネル  (7)ア・ファンキー・カインド・オブ・シングス  (8)ムーディ・モーズ

ア・ファンキー・サイド・オブ・ザ・シングス
/ビリー・コブハム

ビリー・コブハム5作目に該当するリーダー作です。73年録音初リーダー作『スペクトラム』から本作、そして現在に至るまで、一貫した音楽性を発揮しています。
具体的にはジャズをベースにロック、ファンク、ポップスのテイストを加味し、そこに超絶技巧ドラミングを前面に押し出したスタイルと集約できます。

数多くのジャズドラマーがリーダーで自己の音楽を表現していますが、コブハムのようにここまで徹底してドラミングをアピールするアーティストを他に知りません。

ビッグバンドを率いて、大人数によるホーン・サウンドを凌ぐ華麗なプレイを聴かせたバディ・リッチ
自己のバンド、ザ・ジャズ・メッセンジャーズを率いて、所謂いわゆるナイアガラロールにより楽曲やソロイストにならではのカラーリングを施したアート・ブレイキー
同じくジャズ・マシーンでのヘヴィーなビートによるポリリズムを駆使したドラミングで、共演者を鼓舞し続けたエルヴィン・ジョーンズ
ハードロックのテイストでアグレッシヴにドラミングするスタイルで開始した自己のバンドでしたが、後半は在籍したマイルス・デイヴィス・クインテットのコンセプトでプレイし、作曲の才も冴え渡ったトニー・ウィリアムス
ジャズのあらゆるスタイルに変幻自在に対応出来る音楽性を持ち、リーダー作品毎に異なった色合いを表現する多様な方向性、ドラム演奏は彼の中で一つの手段に過ぎないとまで感じさせるトータルな音楽表現、定型を持たないドラミングから極論ドラムソロにも執着を持たないジャック・ディジョネット、ジャズの奥深い神秘性をも提示するドラマーとして存在はワン&オンリーです。

コブハムのプレイは上記ドラマーとは異なるアプローチと言えます。メロディの隙間や音の空間が存在すれば常に猛烈なフィルインを繰り出し、圧倒的な存在感を聴かせます。
オーディエンスにとっては、未だかつて無い新鮮なプレイだった事でしょう、それは爽快感にも繋がる個性の表出ですが、並外れた勢いゆえ聴き手にはある種強いるテイストも内包しています。
熱狂的ファンにはむしろそれが堪らないでしょう、明快さと潔さ、屈託なく音楽を演奏する純粋さ、明るさ、ストイックなまでにドラムを極めようとする求道者としての存在。

ビリー・コブハム

私が20代駆け出しの頃に参加した山下洋輔パンジャ・アンサンブル、我々と佐渡島を拠点とする和太鼓集団「鼓童」とのジョイント・コンサートが、85年彼らの本拠地佐渡島内の野球場特設ステージで開催されました。
廃校を改修し住居として集団生活を送る彼ら鼓童、妻帯者は戸建てに住みますが独身者は共同生活を送ります。日々のハードなトレーニングから全員引き締まった肉体を持ち、演奏時にはふんどし一丁で太鼓に向かう姿勢から、さぞかし禁欲的でシリアスな音楽家たちでは、とイメージしていました。

リハーサルの時点で、彼らの演奏は素晴らしく統制の取れた芸術性を発揮します。
和太鼓と言う概念を覆す和と洋のテイストも併せ持ちますが、ジャズドラマーを志した事があるメンバーも在団した事に起因するのかも知れません。
テクニカルな側面も有しながらエンタテインメント性を重視し、聴かせる、見せる、ショウアップされたステージ構成は実に素晴らしかった事を覚えています。
そして我々パンジャ・アンサンブルのフリーフォームを主体とした演奏と、何ら問題無く共演する事が出来、更には互いの持つ異なった個性からケミカルな反応を引き出せたと思います。

本番後の打ち上げで鼓童メンバーと打ち解けた会話を持つ事が出来ました。
驚かされたのがまず全員が自然体なのです。加えて物腰の柔らかさから自分のイメージとはかけ離れた穏やかさと、屈託の無さを感じました。
鼓童リーダーのユーモアを交えながらの会話の中で曰く、「和太鼓を集中して叩くという事で、我々ストレスを発散する事が出来ています。モノを叩く行為は嫌な事、辛い事を全て忘れさせてくれます」
なるほどと、思わず頷いてしまいました。

コブハムのプレイにも鼓童の演奏に通じるものを感じるのです。
彼は凄まじいテクニックを駆使して何十年に渡り只管ひたすらドラムを演奏しているにも関わらず、常に新鮮で何処か楽しげです。ドラムを叩く事がさぞかし好きなのでしょう。
とは言えミュージシャンとしてプレイし続ければ紆余曲折は付きものです。困難にぶつかる事もあるでしょう、プレイの行き詰まりしかり、しかしドラムを叩いていれば打開策と、次なるヴィジョンが見えて来るに違いありません。
彼は幼少時から演奏し続けていますが、生涯子供の心を忘れずピュアに楽器に向かっているように感じます。そして演奏を繰り広げる毎に、プレイの進化や作編曲のヴァージョンアップも認める事が出来るのです。

コブハムのプロフィールにざっと触れてみましょう。
44年5月中米パナマ共和国コロン生まれ、3歳の時に家族と共にニューヨーク、ブルックリンに移住します。父親がアマチュアのピアニスト、母親もヴォーカリストと言う家庭環境で育ちました。
栴檀は双葉より芳し、3歳の時に周りにあるものを叩く事で音楽に目覚め、ドラムを選び4歳からプレイし始め、8歳から父親と一緒に演奏を行います。
65年から3年間兵役で米軍アーミー・バンドに在団し、退役後ホレス・シルヴァーのバンドに加入します。
68年3月シルヴァーのブルーノート・レーベル作品『セレナーデ・トゥ・ア・ソウル・シスター』のレコーディングに参加、アルバム・ジャケット写真をコブハムが手掛けると言う器用さも披露します。
余談ですがジャケットのインナー・スリーヴには68年当時としては大変珍しく、イラストレーター和田誠氏によるシルヴァーの似顔絵の素描が寄せられています。

セレナーデ・トゥ・ア・ソウル・シスター/ホレス・シルヴァー
 コブハムがジャケット写真を担当しました。
和田誠氏が描いたシルヴァー似顔絵、
シンプルにして上手く特徴を捉えています。

ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラ『火の鳥』、マイルス・デイヴィスの作品でマクラフリン共々参加の『ジャック・ジョンソン』、マッコイ・タイナーの『フライ・ウイズ・ザ・ウインド』、錚々たるジャズ、フュージョンの名作でのプレイ他、アトランティック・レーベルのハウス・ミュージシャンを務めCTI、KUDUレーベルの諸作でも、所謂いわゆるスタジオ・ミュージシャンとしてのプレイを数多く確認する事が出来ます。

73年マクラフリン、カルロス・サンタナとのツアーに参加し、作品『魂の兄弟』レコーディングに至ります。
また当時熱狂的な人気を誇った、ニューヨーク在住のプエルトリコ出身ミュージシャンによるサルサ・グループ、ファニア・オールスターズにも参加、74年アフリカ・ザイール公演、ニューヨーク・シェイ・スタジアムでのコンサートにも出演し、その圧倒的なプレイで聴衆を魅了しました。

人気絶頂のコブハムは当然の流れとしてリーダー作をリリースする事になり、前述73年初リーダー作『スペクトラム』録音に繋がります。
余談ながらこの作品が元になり参加ギタリスト、トミー・ボーリンがロックバンド、ディープ・パープルに加入しました。
きっかけとしては、ディープ・パープルのメンバー、イアン・ペイスの自宅にジョン・ロードが遊びに来ていた時に『スペクトラム』1曲目Quadrant 4を聴き、二人がボーリンのプレイに強く惹かれたからです。

スペクトラム/ビリー・コブハム

それでは演奏内容に触れて行きましょう。
1曲目ソロ/パンハンドラー、マレットを用いた16秒ほどの短く厳かなドラムソロに続き、静寂を打ち破るようにコブハムのオリジナル、パンハンドラーが始まります。
本作収録数曲には楽曲演奏前に、ドラムソロがイントロとして設けられていますが、彼ならではのコンセプトです。
コブハムの繰り出す重厚なファンクビート、アレックス・ブレイクのベース、リーバップ・クワク・バーのコンガと共に強力なグルーヴを聴かせます。

コブハムの作品にはホーンセクションが頻繁に登場します。ここでもランディ、マイケル・ブレッカーグレン・フェリスの3管が強力なアンサンブルを提供、楽曲カラーリング他、ドラミング、ギターソロをバックアップします。
テーマ冒頭はミルチョ・レヴィエヴの弾くシンセサイザーが中心となり、展開部からホーンズが存在感を示します。歯切れの良さとスピード感が、ずっしりとしたドラミングと対比します。

ジョン・スコフィールドのギターソロが始まります。後年聴かれるギターの音色、フレージングとは些か趣が異なりますが、以降に通じる彼ならではのスピード感を感じます。ホーンセクションとの絡み具合が、ダンサブルなテイストを強めています。

2曲目ソーサリーは意外な選曲です。ピアニスト、キース・ジャレットのナンバーでチャールス・ロイド・カルテットの66年9月モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルに於けるライヴ演奏『フォレスト・フラワー』が高名です。

フォレスト・フラワー/チャールス・ロイド

オリジナルとはかなり趣を異にしたアレンジはレヴィエヴによるもの、テンポもかなり速く設定され、ピアノの左手のパターンは踏襲されていますが、よりタイトさを打ち出し、オリジナルのフルートによるメロディはホーンセクションのハーモニーにより重厚に、そしてコブハムのメロディとのユニゾンプレイと、銅鑼でしょうか、パーカッションが曲想をより快活にしていると感じました。

レヴィエヴのフェンダーローズのソロのみが行われ、随所にエフェクターを駆使した効果音が印象的です。もはや別曲と見紛うばかりですが、このようなテイストのアレンジは時代のなせる技でしょう。

3曲目ソロ/ファンキー・サイド・オブ・シングス
、こちらもドラムソロがイントロとして行われますが皮ものを用いた、よりメッセージ性の強いものになっています。

こちらのホーンズはメンバーが変わります。トランペットにウォルト・ファウラー、テナーサックスがラリー・シュナイダー、トロンボーンとピッコロにトム・マローン。
表題曲に相応しい、アンサンブルが凝った構成のナンバーです。ソロを取るのはマイケル、エフェクターを施したサウンドはテナー音色の輪郭を異にします。

この時の彼の楽器セッティング、マウスピースはオットーリンク・フォー・スター・モデル、リフェイスしてオープニングを恐らく6番程度に広げたもの、リードも恐らくラ・ヴォーズ・ミディアム・ハードかハードです。

楽器本体は米セルマー社マークⅥ、シリアル13〜14万番台ヴァリトーンと言うモデルになります。ネック上部にエフェクター装着のためのピックアップが標準装備され、最低音のB, B♭キーのカヴァーに取り付けられたプリアンプまで、本体に沿ったメタルパイプでカヴァーされた配線が設けられています。
ピックアップで検出したサックスの音を電気信号に変換して、アンプで鳴らすシステムです。もちろんアンプに至るまでもワイアード、アンプにはトレモロ、イコライジング、オクターヴァー等のエフェクターが設けられていました。
オリジナルのアンプは小型冷蔵庫ほどもある大きなサイズです。
64, 5年に販売開始されましたが、ジャズロックが流行り、サックスにも電化サウンドが求められたゆえの開発、販売でしょう。

ソニー・スティットがオフィシャルな広告塔になり、エディ・ハリス、ルー・ドナルドソンらもバリトーンを使いました。
ジョン・コルトレーンは当時長年愛用していた3万番台のスーパー・バランスド・アクション・テナーサックスから14万番台マークⅥに楽器を変えた時期、米セルマーからエンドースメントを受けたのかも知れません、ヴァリトーンを試奏する写真が残されています。
米セルマー社も大々的に販売に乗り出したようですが、総じてヴァリトーンは重く、大きいために運搬に困難さを伴い、その割にはさほど音響的効果をもたらさず、売れ行きの方はあまり芳しくは無かったようです。
楽器本体にも配線ほかの関係パーツがかなり取り付けられたため、そのままでは重くなり過ぎて楽器を鳴らし難かった模様です。
そのためヴァリトーンとして販売するマークⅥは特に鳴る楽器を選んでヴァリトーン化していた、と言う都市伝説が残されています。
マイケルは管体の配線配管やプリアンプを除去し、ネックにピックアップのみが付いた楽器を使っていました。きっと良く鳴る楽器だったのでしょう。

ソニー・スティット・プレイズ・ヴァリトーン・
アルトサックス
ジョン・コルトレーン・プレイズ・ヴァリトーン・テナーサックス
彼がこの楽器を用いた音源が存在するかは分かりません。
65年リリースのコルトレーン代表作『至上の愛』が時代を物語っています。
ジャケットのモノクロに合わせた白黒写真なのでしょう。
ヴァリトーン・テナーサックス、プリアンプがキーガードに
装着されています。
ヴァリトーン・ネック部分
マイケル(中央)とヴァリトーン・テナーサックス

ブレッカー・ブラザーズ78年録音代表作『ヘヴィ・メタル・ビバップ』でのエフェクターを多用したプレイや(この時の楽器は6万番台にスイッチしていました)、後年新境地を開拓したEWIを用いた演奏に繋がります。

結局他のサックス奏者の誰よりも、マイケルが最もヴァリトーンに始まる、エフェクターを施したサックスサウンドに卓越し、第一人者となりました。
若い頃に医学部を志した、理系頭脳の持ち主ゆえもあるでしょう。

4曲目ソロ/シンキング・オブ・ユーは、スネア・ロールを用いたドラムソロから始まる、アレックス・ブレイク作編曲のナンバー。
深いハーモニーと美しいメロディから成る佳曲には、ブラック・コンテンポラリーのテイストを感じさせます。
シンセサイザーのメロディがメロウな雰囲気を醸し出し、ホーンセクションが奏でるラインは楽曲と密な関係を築いています。
作曲者のベースワークも実にアクティヴで、オリジナルに全く的確なカラーリングを施しています。

こちらもソロイストはマイケル、闊達なプレイはこの頃の彼のスタイルを良く物語っています。ソロ後に再び演奏されるホーンズのサウンドにスムーズに繋がっています。
ジョンスコのカッティングも良いテイストを表現していますが、その後サウンドが突如として変わり、ギターソロに移ります。彼の専売特許であるコンディミ系のアウトフレーズが炸裂し始めた頃にフェイドアウト、もっと聴きたかった!

5曲目サム・スカンク・ファンクはランディ作のブレッカー・ブラザーズを代表するナンバー、本作白眉の演奏です。
彼らのデビュー・アルバム75年作品『ザ・ブレッカー・ブラザーズ』冒頭収録のヴァージョンとは構成が変わり、テンポも幾分速め、ランディとコブハムが共同でアレンジを行いました。

ザ・ブレッカー・ブラザーズ

ここでのコブハムのドラミンはまさしく水を得た魚のよう、ハーヴェイ・メイソンのプレイする初演よりもずっとサム・スカンク・ファンクらしい、良い意味での猥雑さが表出されています。
ブレッカーズの78年白熱のライヴ盤にして傑作『ヘヴィー・メタル・ビバップ』でのテリー・ボジオのドラミングは、ここでのコブハムのプレイを確実に踏襲しています。

ヘヴィー・メタル・ビバップ/ザ・ブレッカー・ブラザーズ

加えて92年に再結成されたブレッカーズ作品『リターン・オブ・ザ・ブレッカー・ブラザーズ』、リリース一連のライヴで必ず演奏されたヴァージョンでのデニス・チェンバースの壮絶なドラミングも、間違いなくコブハムの影響(同時にボジオの影響も)を受けています。
想像するに、ブレッカーズはコブハムのバンドで何年も行動を共にし、遡れば幻のバンド、ドリームスからの付き合いになります。
サム・スカンク・ファンク初録音は75年1月録音ですが、その原形は70年代初頭には既に出来上がっていて、コブハムとも演奏する機会があったと思います。

コブハム曰く「ヘイ、ランディ、オレにもサム・スカンクをぜひ叩かせて欲しいな。ハーヴェイのプレイも良かったけど、オレのは更に凄いぜ、知ってるだろ?」のような発言があったかどうかは分かりませんが(笑)、本作録音が2ヶ月後の同年3月、ランディもコブハムの自曲へのアプローチの素晴らしさを知っていて、更なるヴァージョンがあっても良いと考えたのではないでしょうか。

メロディとユニゾンほかポリリズムでも連打対応するドラミング・センス、フィルインを埋めまくる場所選択の絶妙さ、大騒ぎで居ながらメリハリの確実さを提示するプレイ。
サム・スカンク・ファンクとドラマー、ビリー・コブハム、両者ジャズ史上特異な位置にあるコーニーさギリギリのテイストが(汗)、がっぷり四つとなり、稀に見る名演奏を産みました。

ソロはマイケルが先発、オリジナルはランディでしたが、以降サム・スカンク・ファンクはマイケルが切込隊長を務めるのが常になります。
テナートーンはエグエグのジューイッシュ・サウンドで縦横無尽に、かつファンキーに吠えまくります。1コーラスのソロが終了し、次なるソロイストに転じると見せかけ、そのままブレークのフレーズをマイケルがブロウし、ソロを続けます。この意外性も本演奏の目玉、コロンブスの卵的な発想ですが、実にスリリングです!
その後ヴァンプ部分で短3度キーが上がり、フェリスの壮絶なトロンボーンソロとなり、ラストテーマに向かいます。
前述『ヘヴィ・メタル・ビバップ』時のサム・スカンク・ファンク、新たなアレンジが施されて、ランディのソロパートが短3度キーが転調したワン・コード(A♭マイナー)になりましたが、本作のアイデアが元になっています。

そう言えばカッティングで大活躍するジョンスコが、サム・スカンク・ファンクを演奏したのはこのテイクだけかも知れません。彼のサウンド・センス、プレイ、フレージングはこの曲に全く相応しいと考えているだけに、残念です。

エンディングはやはり壮絶な展開を示しますが、クリックを使わずに演奏したのでしょう、冒頭より若干テンポが落ちています。
もっとも曲中には7/8拍子が何ヶ所か出てくるため、クリックを使いながらレコーディングを行うのは難しそうですし、この当時クリックを用いるのは稀有であったでしょう。

このブログを投稿した翌日、マイケル・ブレッカー・ライヴ・レコーディングを主催しているルイス・ゲリッツから連絡がありました。オランダ人の彼とはフェイスブックで繋がっています。
サム・スカンク・ファンクのコブハム・ヴァージョンの方がブレッカー・ブラザーズよりも先に録音されたと言う情報です。
丁寧にランディに以前その事を確認したメールまで添付してくれました。
ルイスの指摘で間違いありません。

マイケルに関する情報を日本語のブログであるにも関わらず、こまめにチェックするルイスの情熱に触れることが出来たのは、今回大きな喜びです。
ブログの本文はいずれ書き直したいと思いますが、現時点で誤情報を訂正させて頂きたいと思います。

6曲目ライト・アット・ジ・エンド・オブ・ザ・トンネルはコブハムのオリジナル、印象的なイントロから始まりますが、ブレッカーズの作品『デタント』の雰囲気をイメージさせます。
イントロがごく短くプレイされ、その後コブハムのカウントと共にテンポアップ、快活な雰囲気に転じます。ホーンセクションのハーモニーにかなりのコンテンポラリーさを感じさせ、フェリスのバストロンボーンに存在感を覚えます。
ソロはジョンスコが担当、ブルージーに、ハイパーに、エグくプレイし、コブハムの以下リズム隊と密な関係を聴かせます。
ホーンズとドラムだけになる箇所にメリハリを効かせ、随所で暴れるコブハムのドラミングに耳が慣れてしまいますが、とんでもない技のオンパレードの筈、ドラマーには堪らないに違いありません。
本作何曲かで行われたドラムイントロの逆、アウトロ状態でドラムがビートを刻みつつフェイドアウトです。タンバリンが聴こえるのは本人が叩いているのか、オーヴァーダビングか、彼の事ですからきっとドラムセットに装着して同時に叩いているのでしょう。

7曲目ア・ファンキー・カインド・オブ・シングス、ライナーノーツにはわざわざワンテイクで録音され、オーヴァーダビングは一切施されていないと記載されています。
コブハム独奏から成るナンバー、ドラムの可能性を追求したかのプレイには、実際にどうやって擬似ディレイ・サウンドを、ファン・モーターが動くかの効果音サウンドを表現したのかを、考えさせられてしまいます。

ひとつグルーヴのモチーフが存在するようで、様々な技を駆使してもそこに戻りつつ、また異なった技に向かう事からストーリー性も感じます。
ドラミングの詳しいテクニックには門外漢ですが、大変な事が行われているのは察しが付きます。
ドラムを叩く可能性は無限にあるのでしょう、しかし探究し続ける情熱をキープするのは誰にも出来る事ではありません。
コブハムのドラミングに対する求道者ぶりを再認識させられたテイクでした。

ラストを飾る8曲目ムーディ・モーズはレヴィエヴの作編曲ナンバーです。彼は東欧ブルガリア出身のミュージシャン、70年にロサンジェルスに移住し、翌年からコブハムと演奏し始めました。
本作中最も演奏時間が長く、サウンド的にはバルカン半島のエキゾチックさを様々なメロディ・フラグメントを用い、ホーンセクションによる芳醇なアンサンブルで彩り、かつ音量のダイナミクスを大胆に交えながら表現します。
ここでのコブハムのメロディやアンサンブルへのカラーリングは場に相応しく、そして音楽的豊かさ聴かせます。

米国ミュージシャンとはまた違った色合いを有する、レヴィエヴの繊細にして大胆なピアノプレイがフィーチャーされます。
次第に世界が構築され、ほど良きところでホーンズが入り、東欧的な民族音楽サウンド、リズムにガラッと世界が変わります。レヴィエヴもフェンダーローズに転じ、そしてランディのソロになります。
その際コブハムの存在感は珍しく身を潜め、楽曲のサウンド、フェンダーローズ、ベース、トランペットソロ、ホーンセクションの活躍に音楽を任せます。
存分にランディがブロウし、ホーンズに確実にバックアップされソロのストーリーを展開します。
トランペットのハイノートによって繰り出されるシャウトの何ヶ所かに、深いリヴァーヴ処理が施され、イメージを一層クリアーにさせています。
セクションにはランディも参加しているため、予めホーンセクションをダビングしておいたと見るのが自然です。ここでもフェリスのバストロンボーンの活躍ぶりが光ります。

ランディはこの時点で自己のトランペット・スタイルやタイム感を十分に確立させています。マイケルも十分に確立させていますが、ランディに比べてややタイムのセンターが前に位置し、多少ラッシュする傾向にありました。

その後クールダウンしてブレイクのベースソロへ、フラメンコのタッチで楽器を掻き鳴らします。
ベースソロのバックでのコブハムの「しなさ振り」はまるで借りてきた猫のよう、しかしベースソロ終盤、遠くからドラムロールが聴こえてくるかの如く、次第に存在感を提示しながら通常のプレイに戻り、ラストテーマへ、その後フェードアウトに向かいます。
レヴィエヴのアレンジの巧みさ、緻密さに感心しつつ演奏は大団円を迎えます。

元来バランスの取れたドラミングテイストを持つコブハム、セルフ・プロデュース以外に他のミュージシャンの音楽性でプレイすれば、より端的でクリアに自己の音楽を表現出来ることを、この演奏が物語っています。

ミルチョ・レヴィエヴ




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