Free Jazz: A Collective Improvisation / Ornette Coleman Double Quartet
今回はアルトサックス奏者Ornette Colemanの1961年作品「Free Jazz: A Collective Improvisation」を取り上げたいと思います。
Recorded: 21 December, 1960 at A&R Studios New York City
Label: Atlantic
Producer: Nesuhi Ertegun
Left channel: as)Ornette Coleman pocket tp)Don Cherry b)Scott LaFaro ds)Billy Higgins
Right channel: b-cl)Eric Dolphy tp)Freddie Hubbard b)Charlie Haden ds)Ed Blackwell
1)Free Jazz 2)First Take
ジャズ界数ある問題作の中で、最も存在感のあるアルバムの一枚が本作「Free Jazz」と思っています。
Jazzという言葉の定義は実に広範にしてしかも曖昧ですが、Ornetteは大胆にもここにFreeと形容し、これ以上は考えられない適任のメンバーを集め、相応しい内容の独自の演奏フォームを考案し、やり遂げてしまった異端と革新性を高く評価しています。
明確なヴィジョン、それをとことん貫き通す強靱な意思、精神力。
揶揄されたり誹謗中傷とは切っても切り離せない状況下で、とことん信念を持って表現し続ける男の美学。
米国内には天才が数多く出現していますが、彼も間違いなくその中のひとりです。そして私が心から尊敬するミュージシャンのひとりでもあります。
Ornette Coleman
米国50年代末の出来事です。Modern Jazz黄金期の終焉と共に仕事を求め欧州に拠点を移す第一線のハードバップ・ミュージシャンたち移住組、何とか母国での活動をベースにするべく演奏スタイルを状況に柔軟に則した適応組、Charlie Parkerが唱えたJazzスタイルは60年代以降も継続されますが彼の登場から10数年を経て米国の社会情勢、音楽環境が変化し、プレイヤーにも変革が求められていました。
Lennie Tristano, Thelonious Monkらに端を発する、Jazzの様式に根ざしつつも枠から抜けようとするミュージシャンたちが50年代現れ始めました。
Cecil Taylorもその一人ですが彼はクラシック・ピアノや作曲、編曲、和声学を学び、欧州近代クラシック〜Bartok、現代音楽〜Stockhausenに親しんだ楽理派、60年代以降はOrnetteと共にシーンのけん引役を担いました。 そのOrnetteはほとんど独学で14歳の時にサックスを始めました。
40年代はテナーサックス奏者としてもローカルのR&Bや bebopバンドで演奏活動を行い、当初は貧しかった家族を養うことが目的でしたが次第に音楽的な目標を見出し、アルトサックスではCharlie Parkerからの影響を受け、テナー奏者としてはIllinois JacquetやBig Jay McNeelyばりのホンカー・テナーを吹いていたそうです。
彼の演奏からは確かにホンカーの影を感じる事が出来ますし、後年の作品77年「Dancing in Your Head」に於けるFunkのリズムのルーツを感じることが出来ます。
周囲の仲間の発言によれば47年頃には彼自身の音を見つけ、49年には既にコードの置き換えについて研究を始め、「どうしてこれはこうじゃなければならないんだ?」のような質問をして来たそうです。一聴彼のプレイはハーモニー感やコード感とは掛け離れているようですが、彼なりのサウンドが確実に鳴っているのでしょう。
あごひげを長く伸ばし、長髪で痩せっぽちの独特な風貌は黒人ミュージシャンらしからぬもの、「イエス・キリストを彷彿とさせるイメージ」で、しかも菜食主義者、真夏でもコートを着込むおかしなファッション、人種差別主義の警官たちや異端を良しとしない輩から随分と攻撃を受けました。
49年Louisiana州Baton Rougeで演奏後に襲われ、楽器を破壊された逸話が残っています。その頃から型にハマらない後年のスタイルで演奏していたそうなので、彼の演奏を良く思わない黒人に暴力をふるわれ、テナーを取り上げられ投げ捨てられたそうです。この後アルトサックスに転向することになります。
ひたすら異端の演奏に没頭し、生活のために音楽を演奏しているにも関わらず、例えばダンスミュージックを演奏中にも閃いた自分のアイデアを優先させるのでバンドを解雇させられました。彼の信念である「Freedom」を実践する方法を見つけようと、自身を受け入れてくれそうな所に行っては意に反し冷たい仕打ちを受けました。黒人で髪の毛が長かったという理由だけで留置所に入れられた事もあります。 自分のやりたくない事はやらず、ミュージシャンから自身の音楽を否定され続け孤独でしたが、それでも数少ない崇拝者は存在し、次第に彼の音楽に共感するプレーヤーも見つかり始めました。
トランペット奏者Don Cherry、デビュー作からOrnetteの相棒、もう一つのヴォイスとして長きに渡り活動を共にする盟友ですが、当初Ornetteは気がふれていると本気で考えていたそうです。ドラマーBilly Higgins, Ed Blackwell、ベーシストCharlie HadenはOrnetteとの出会いを運命的なものと感じていました。
58年に転機が訪れます。西海岸Los Angelsの名門レーベルContemporaryにベーシストRed Mitchellの口利きがあり、Ornetteが作曲したナンバーをレーベルに売却しに行くことになりました。当時の彼は音楽の仕事がなく気も滅入っていて、母親に電報を打ち故郷へ帰るためのバスの切符を送ってくれるように頼み、切符が届いたまさにその日、レーベルオーナーLester Koenigから連絡がありました。
取るものも取り敢えずDon Cherryと二人でComtemporaryスタジオに赴き、Koenigに自己紹介をしました。
後にKoenigが語っていますが、彼をピアノの前に連れて行き自分の曲を弾いて見るように言うと、Ornetteはピアノを弾けないと答え、「ピアノが弾けないのならどのようにして君の作った曲を私に聴かせるんだい?」と尋ねると彼は白いプラスチック製のアルトサックスをケースから取り出してCherryを伴って曲を吹き始めました。
Koenigは彼の曲を気に入り7曲、1曲につき25ドルで買い取りました。さらに彼らの個性的なプレイに興味を持ったKoenigはOrnetteにレコーディングをしてみないかと持ちかけたのです。
Contemporaryレーベルはリリースされたアルバムのカラーから、どちらかと言えば保守的な傾向にあるレコード会社とイメージしていましたが、Koenigは調性音楽を脱し、無調に突入し12音技法を創始したことで知られるオーストリアの作曲家Schonbergの古くからの友人であり、本人もレコード会社を経営する前は2度アカデミー賞を受賞した映画プロデューサーであり、Hollywoodの「共産主義シンパの追放」に反対しブラックリストに載せられるほどのアクティヴな知識人でした。
Ornetteは彼にとって全く相応しいレコード会社に作品を持ち込んだのです。
Koenigはレーベルお抱えのミュージシャンを起用してレコーディングをしたかった模様ですが、彼らには楽譜が読めてもOrnetteの曲をどのように演奏して良いかまでの理解は難しいだろうとして(いわゆるスタジオ・ミュージシャンですね)、Ornetteのバンド〜Don Cherry, Billy Higgins, Walter Norris, Don Payneのクインテットでレコーディングに臨みました。 演奏曲は全てOrnetteが50年〜53年の間に書いたスタンダード形式の9曲を、58年2月から3月の間3回にかけて録音しました。
ハードバップの匂いを感じさせる、しかし独創的なオリジナルの数々をリズムセクションは軽快に伴奏し、フロント二人、特にOrnetteはその個性を十分に表現しCherryもいつもの彼らしい淡々とした前衛性を聴かせています。
Ornetteのソロ・アプローチが際立てば際立つほど、他者との溝を感じさせる原因の一つにピアノのバッキングがあります。
テーマのメロディには間違いなくコード感が存在し、その時にはバッキングは相応しいものとして聴こえますが、Ornetteのソロ・アプローチには元のコード進行と全く別なサウンドが鳴っており、ピアノのヴォイシングはアルトのラインに対し明らかにサウンドせず、むしろ邪魔をしています。第2作目からピアノレス編成になるのは自明の理だったのです。
Ornetteは「Something Else!!!!」でセンセーショナルなデビューを飾りましたが、アルバムの売れ行きはさほどでもなく、プロデューサーKoenigは当初の考え方の通り、次作でレーベルが抱える売れっ子の二人Shelly Manne, Red Mitchellと共演させることにしましたが、Ornetteの音楽には不要であるピアニストを排除したカルテット編成となり、彼の音楽表現はかなり核心に近づきました。
第2作目「Tomorrow Is the Question」は59年1月から3月にかけて9曲録音されました。
楽曲は前作とは一掃された革新性を持ち、フロント二人のプレイは更なる煌びやかさを放っています。 何と言ってもOrnetteのアルトサックスの鳴り方が素晴らしい!
太くダークで実に様々な倍音が含まれ、アルトサックスらしい響きを聴かせつつ同時に、全く異なる人の叫び声や動物の鳴き声と思しきトーン、ひとつの音色にこれだけ複雑に色々な成分を同居させる事が出来たアルト奏者はかつて存在せず、誰にも似ていない真のオリジナリティを感じさせるサウンドです。
前作からほぼ1年が経過し、楽器の習得度合いが格段に向上した結果です。
前作同様使われている白いプラスチック製の楽器は英国製Grafton、彼のサウンドを決定付ける大変ユニークな楽器です。本人曰く金属製のサックスよりも澄んだ音が出て、今ではプラスチック製以外吹く気がしないけれど、自分のような吹き方だとせいぜい1年しか保たないので、壊れたら英国から取り寄せている。 ある音を出すとその息の形まで見える気がするが、金属製ではそれがない。金属の管の中では息が消えてしまうからだ。プラスチックの管の中はまるで真空のようだ、とも発言しています。
安価な楽器、白いプラスチック製であるため、見た目からおもちゃのようで、彼の特異なプレイスタイルも加わり奇異な印象を与えますが、本人が出したい音を確実に出せる、やりたい音楽に真摯に立ち向かえる重要なツールでした。
楽器選びからして超個性的だったのです。
Charlie Parkerが53年Canada, TorontoのMassey Hallに於けるコンサートで使用したモデルと同じこのサックス、Ornetteはこれに4.5から5番のリードを付けたオープニングのかなり広い(番号、メーカー不明)マウスピースを使用していました。仲間のプレーヤーがOrnetteの楽器を試奏しましたが、ハードなセッティングのために全く音が出なかったそうです(汗)。
本作での飛翔には凄まじいものがあります。それに合わせたかのように状況はさらに良くなります。本作でのもう一人のベーシストPercy Heathが参加するバンドModern Jazz Quartet(MJQ)のリーダー、John LewisがOrnetteの演奏を気に入り、Cherryと共にSan FranciscoでMJQとの共演が実現しました。MJQは素材としてクラシックのナンバーをJazz的に演奏することを信条とする保守的なスタイルのバンド、彼らとOrnetteのコラボレーションは実に意外な気がしますが、人間の相性には計り知れないところがあります。
LewisはOrnetteのことを自分達が所属するレーベルAtlanticのオーナーNesuhi Ertegunに紹介しました。ErtegunはかつてContemporaryレーベルに勤めていた事もあり、Koenigとは友人関係で信頼も厚かったので移籍は極めて穏便に行われました。
ちなみにKoenigは「後年あれ以上我が社がOrnetteの面倒を見ることは不可能だった。Los Angelesには彼のバンドが仕事をする場がなかったからだ」と発言しています。
またOrnetteは80年代初めまで作曲者印税をContemporaryから得ていましたが、会社は彼の印税を払うと常に赤字が出ていました(汗)。
「Tomorrow Is the Question」レコーディングが行われてからわずか2ヶ月半後にErtegun自身がLAに向かい、Ornette第3作目にしてAtlantic第1作目、そして初期の傑作「The Shape of Jazz to Come」をレコーディングします。
メンバーはOrnette, Cherry, Charlie Haden, Billy Higginsから成るJazz史に残る名バンド、Ornette Coleman New Quartet、その初レコーディングです!
前作とは異なり、Ornetteの音楽を十分に理解したリズムセクションとの共演は、アルバムから表出する芸術性に桁違いの真実味が加わりました。
冒頭1曲目はOrnetteの代表曲Lonely Woman、彼の伝記にこの名曲を作曲するきっかけが記載されているのでご紹介しましょ。
その頃彼はデパートの在庫品係(ストックボーイ)として働いていました。ある日Ornetteがデパートの昼休みに街に出た時に次のような事がありました。
”通りを歩いていると、画廊があった。そこのショーウインドウに、上流階級のとても裕福そうな白人女性の肖像画が飾ってあった。その人は目に涙を浮かべ、とても寂しそうな表情でそこに座っていた。誰もが望むものを、全て持っているかのようだった。私は、つぶやいた。「なんてすばらしいんだ。この絵から曲ができないだろうか」”
音楽家が新たな創造を行う場合、強力な刺激が引き金になります。
曲のイメージ、演奏、2管編成のアンサンブル、ドラムスの倍テンポ、対するベースのハーフリズムのキープ感、Ornetteのアルトサックスの入魂プレイとその凄まじいまでの音色!名演奏の誕生です!
MJQはOrnetteの楽曲も気に入っていました。このLonely Womanをレパートリーとして取り上げ、しかも表題曲として62年Atlanticからリリースしています。ちなみにOrnetteの演奏とは全く異なる、いかにもMJQらしいテイストでの演奏です。
2曲目Eventually、Hadenのベースが繰り出すon top感とスピード、深い音色、そして柔らかくともシャープさとビートと、一拍のたっぷりさが半端ないHigginsとが織りなす驚異的なビート感、スイング感、その上でのOrnetteの咆哮、馬のいななきにも聴こえるプレイは同業者として信じられない、あり得ないレベルでの表現法です!
Cherryの演奏はOrnetteが表現しきれなかった部分を的確に補うべくの、アディショナルを聴くことができます。
そして同一メンバーで約5ヶ月後の10月に録音されたOrnette第4作目が「Change of the Century」です。 Ornetteの作曲センス、バンド・サウンドは数々のギグを重ねた結果に違いありませんが、前作からさらに格段の進歩を遂げています。
さらに翌60年7月、8月にドラマーをEd Blackwellに変えてレコーディングした作品が第5作目「This Is Our Music」です。
名曲Blues Connotation、Gershwinの名曲バラードEmbraceable Youを含む更なるOrnetteバンドの進化系の演奏が収録されています。
そして前作からわずか4ヶ月後、いよいよ世紀の傑作「Free Jazz」の登場です! まず編成、構成からしてユニークです。ステレオ左チャンネルにOrnette, Cherry、そしてベースScott LaFaro、ドラムBilly Higginsの4人、右チャンネルにバスクラリネットEric Dolphy、トランペットFreddie Hubbard、ベースCharlie Haden、ドラムEd Blackwellの4人、彼らによるダブルカルテット!
ピアノレス・カルテット編成を4作続けて発表したOrnetteのこの時点での集大成、8人全員による集団即興演奏、発案者のOrnetteも凄いですが実現させたAtlantic Labelも大英断です!
Eric Dolphy
60年12月21日8人はNew YorkのA&Rスタジオに集まりました。おそらく別日にリハーサルを行い、レコーディングのコンセプト、演奏方法についてもOrnetteから説明があった事と思います。
実際に98年CD化に際し演奏をコンパクトにまとめたダイジェスト編、First Takeが発掘されました。
Free Jazzという名称でありながら実に用意周到であったOrnette、と言うかFreeであるからこそ筋の通った構成が必要になるのです。 録音当日、本テイク収録前に設計図を提示し、メンバーにはこのフォーム、ソロの順番を順守し、各ソロイストのバックで自由にブロウし、本テイクでは骨組みに自由な発想で躯体工事を施す旨、リーダーから指示があった事でしょう。
Jazzは基本的に最初の演奏が最もフレッシュで説得力があるとされます。
随所に施されたアンサンブル・パートやソロ・オーダーの確認が主たる目的であったはずのFirst Takeですが、実はというか、やはり本テイクよりも演奏にパワーが感じられる部分もあり、各ソロもコンパクトながらより熱気を帯びています。
Don Cherry
それにしても各プレーヤーの素晴らしさといったら!Dolphyの前人未到のバスクラの鳴り、エッジ感、難楽器を容易くコントロールする驚異のテクニック。Dolphyと当時ルームメイトであったHubbardの熟れた果実のごとき魅惑的な音色と輪郭豊かな鳴らし方、加えての全くスムーズな楽器コントロール。Ornetteの唯我独尊状態のフレージングとアプローチ、そして何より凄みさえ感じさせるアルトの音色。Cherryの常に優しさを欠かさないアグレッシヴさ。アクティヴなラインと深い音色でメンバーのソロ中も鼓舞し続けるLaFaro、そしてそして、Hadenとのダブルベースですよ!何と美しいコンビネーションでしょうか!大好きなベース奏者ふたりの競演、これだけでも垂涎モノです!Hadenが基本的なビート、LaFaroの方がアグレッシヴなビートを刻んでいるように聴こえますが、時折逆転してプレイしています。二人はきっと相性も良かったのでしょう。
さらにさらに、BlackwellとHigginsのツードラム、軽快で繊細、時として穏やかな海原に突然現れたストームの如き大胆なビートを繰り出すリズムの2大巨匠、役者のレイアウトは万全です!
Freddie Hubbard
冒頭全員による不協和音でのイントロ、この時点ではまだリズムは定まっていません。
恐らくOrnetteのコンダクトによるアンサンブルが00:06から始まりますが、これはいったい何と表現したら良いサウンドでしょうか?ホーンの強者どもにしか成し得ないエグくて強力なアンサンブルです!
引き続きDolphyを主体としたソロが開始、彼の吹く8分音符のバウンス感は実に心地よいですね!リズムが定まり、LaFaroは倍テンポのスイングでラインを刻みますが実にon topでカッコいいです!
メインのソロイストは決して吹き捲ることをせず、スペースを大切にしながらプレイし、他のホーン奏者も実に様々なライン、アイデアを提供しつつ、バッキングをしながら合わさり離れて、放置しながらメイン奏者を刺激します。
この演奏の素晴らしいところは、フロント陣はFreeにブロウしているのに対し、リズムセクションはずっとインテンポで正確なビートをキープしている点です。Free FormでテンポもFreeになってしまうと、オーディエンスには苦行でしかありません。
Ornetteの音楽は基本的にこのスタンスで成り立っていると言えます。そしてリズムセクションには常にビート・マスターを採用しているのです。
Charlie Haden
05:11からアンサンブルが演奏され、Hubbardのソロになります。彼の演奏がメンバーの中で最もラインをラインらしく吹いているので、オーソドックスさを感じさせます。 Dolphyのバスクラの音域が管楽器中一番低いので、他のプレーヤーに対するサポート感が抜きん出ています。 Hubbardのソロの終わり頃に管楽器が集約し始め、09:53からメインテーマと思しきメロディとアンサンブルが始まり、そのままOrnetteのソロに突入します。このメロディの陽気さ、7thコード感はOrnetteの特徴のひとつです。
Scott LaFaro
リズムセクションは相変わらず軽快なビートを繰り出していますが、ベースとドラム各々二人づつとは感じられない一体感を聴かせます。
Ornetteのソロは時たまテーマのメロディを引用しつつ、本レコーディング発案者としてのウタを感じさせる演奏を展開しています。彼の吹くシンコペーションは豊かなリズムを伴っているので、思わず引き込まれるように管楽器3人、合いの手を入れています。
19:35でいきなりメインテーマが再演奏され、Cherryのポケット・トランペット・ソロになります。メンバー全員様子を伺いつつ、虎視眈々と何を吹くべきかを狙っているのが気配から察知できます。
25:20にメインテーマのショート・ヴァージョンが演奏されHadenのソロへ。LaFaroが伴奏しますが二人同時にソロを取っているかのようですが、真っ先に両者の美しいベースの音色に感動してしまいます。前出の管楽器奏者たちのソロ、Collective Improvisationも本当に素晴らしいですが、本演奏はリズムセクションの同じ楽器同士のやり取りが異なったカラーを放っていて、実はこちらがメインイベントと見紛うばかりの美の世界を構築しており、Free Jazzという名称はむしろ相応しくないと思います。
Billy Higgins
29:51に突如としてアンサンブルが鳴り響き、今度はLaFaroのソロが開始されますが、こちらも二人同時のソロ、LaFaroの弾いたラインに的確にHadenが答えます。いや〜実にスリリングでベース・ファン冥利に尽きる場面です!HadenのWalkingラインの上でLaFaroのピチカートソロ、このアルバムでしか聴くことの出来ない超レアな演奏です! この二人だけで作品を作って貰いたかったと、思わず有り得ぬことを考えてしまいます!
Ed Blackwell
33:46で再び場面を変えるべくアンサンブルが聴かれ、Blackwellのソロが開始します。こちらはタムを中心とした何やら楽しげなサウンド、Higginsは金物を叩いて呼応しています。 35:18でドラムソロ交代のアンサンブルが鳴り響き、Higginsの出番です。Blackwellとは全く異なるアプローチでシンバルを中心にパーカッション的なソロを展開し、Blackwellはシンバルレガートとスネアでリズムをキープし、相方のソロを際立たせようとしています。 その後Free Jazzを締め括るべくCollective Improvisation、そしてどこまで書かれていたのか、リフ的なアンサンブルが聴かれ37分以上に及ぶ歴史的セッションは終了します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?