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ニュー・ヴィスタ/デイヴ・リーブマン

デイヴ・リーブマン1996年録音作品『ニュー・ヴィスタ』を取り上げましょう。

録音:1996年6月20~23日
スタジオ:レッド・ロック・レコーディング・スタジオ、セイラーズバーグ、ペンシルヴァニア
レコーディング・エンジニア:ケント・ヘックマン
プロデューサー:デイヴ・リーブマン、ボブ・カーシー、ジェイミー・ハダド、フィル・マーコウィッツ
エグゼクティヴ・プロデューサー:ボブ・カーシー
レーベル:アルカディア

(ts, ss)デイヴ・リーブマン  (g)ヴィック・ジュリス  (p, synth)フィル・マーコウィッツ  (b, el-b)トニー・マリノ  (ds, perc)ジェイミー・ハダド  (perc)カフェ  (vo)ダヴィア・サックス

(1)ニュー・ヴィスタ  (2)エスターテ  (3)リアル・ドリームス  (4)ソー・ファー、ソー・クローズ  (5)クリスマス・ソックス  (6)ビューティ・アンド・ザ・ビースト  (7)ジャングル・グライド  (8)ジンガロ  (9)ザ・グロス・マン

デイヴ・リーブマン/ニュー・ヴィスタ

 独自の音楽観を持ち、1970年代初頭より意欲的にプレイし続ける孤高のテナー奏者、デイヴ・リーブマンの作品です。
 ここではブラジリアン・テイストを散りばめ、彼が数多く発表した作品中、取り分けポップにしてキャッチーです。
 かつて多くのジャズミュージシャンが発表したボサノヴァ・アルバム、本作はそのリーブマン・ヴァージョンです。
 自身や参加メンバーによる収録オリジナルは耳に心地良いメロディを有するナンバー、アントニオ・カルロス・ジョビン作の名曲、はたまたディズニー・ナンバーを配し、選曲に工夫が成されています。
 とは言えそこはリーブマン、サウンドやコード進行、アレンジには捻りが加えられ、いつも以上に独自色を出しています。


 自身の音楽を表現する上でオーディエンスとの関係を保つのは大切な事です。特にジャズはともすると聴衆を置いてきぼりにし、自己表現に集中するがあまり演者として独りよがりになりがちな傾向があります。
 リーブマンの諸作はどちらかと言えばそちら側に位置し、楽曲、演奏共に高度な内容とシリアスさが先立つため聴衆は戸惑いを覚えます。取っ付きにくく難しいと。
彼の考えを代弁すれば芸術家は聴衆にプライドを持って接する、媚びるべきではなく音楽が解る人々のためにプレイすべきであると。

 半世紀近く前、私が東京で行われた彼のサックス・クリニックを受講した時の話です。開催場所は故松本英彦氏主催のラブリーミュージックスクール、松本さんも参加していました。
 当時リーブマンはアコースティック・ジャズだけではなく、エレクトリックを用いた音量の大きなバンドでも演奏していました。実際エレクトリック時代のマイルス・デイヴィス・バンドでもプレイしました。
 サックスは音量的に電気楽器に適う訳がありません。太刀打ちすべく例えば、ブライトでラウドな音の出るセッティング、マウスピースをロック・フュージョン仕様にする。多少対抗出来るかも知れませんが、サックスのトーンやニュアンス、表現内容はガラッと変わってしまいます。
 「究極、自分の音がオーディエンスに聴こえなくても構わない。自分のプレイするスタンスをキープして演奏したい」との内容で発言していました。この事に彼の音楽観がはっきりと表れています。
 聴こえなければ聴こえなくても良い、自分の音楽が分からなければ分からないで良い、ついて来られるか来られないか、判断するのは自分自身、これはマイルスの考え方そのものと言えましょう。

マイルス・デイヴィス

 以下はリーブマンに対する私の全く個人的な見解です。
 音空間、時空間が歪んだかのリーブマン・ワールド、表現には常にポイズンが盛られたかの独特の違和感、屈折を覚えます。ワン&オンリー、でもそこが間違いなく彼の魅力の一つであります。
表現方法に付き纏う粘着系の神経質さ、しかし毒を食らわば皿まで、とことん彼のアプローチに付き合いましょう。
 危ないまでのプレイのエグさは彼自身のキャラクターが根底にあり、ユダヤ系アメリカ人、ニューヨーク・ブルックリン育ち、幼少時に体験したやまいポリオ、生活環境、経験して来た音楽、共演者に起因すると思われますが、高度な音楽性と前人未到の楽器のテクニックを有しながら、呼吸をするかのように当たり前に音楽的な毒を吐き続ける、その表現方法に対する信念、継続させるパワー、情熱の深さには感銘すら覚えます。持ち前の気質に依るところが大でしょう。

 この事はリーダーアルバムのみならず、サイドマンの演奏でもあらわれます。顕著な例としてスティーヴ・スワロー79年9月録音、シェイラ・ジョーダンのヴォイスをフィーチャーした作品『ホーム』。
リーブマンのエグさ、毒素が演奏を異次元にまで運んでいます。私がこの作品についてnoteにアップしています。こちらも併せてお読みください。https://note.com/tatsuyasato/n/n70520b97f51e


 リーブマンには多くのミュージシャンとのトラブル、音楽的、感情的な絡れから生じた訣別、離反、様々な話を漏れ聞きます。音楽家は自己主張が強いものです。同志の衝突は日常的でしょう、主張の強さ、妥協の無さは芯の強さの現れです。芸術家、芸術行動に携わる者には信念が何より大切です。それを貫き通す際の副産物として毒素が発生する、リーブマンは誰よりも発生の度合いが高いと認識しています。

 独善的にまで自分のペースを推し進めるリーブマン、衝突を避けるべく自身のバンドでの共演ミュージシャンは比較的従順なプレーヤーをチョイスする、いや、せざるを得ないと思います。
 本作『ニュー・ヴィスタ』のメンバーは当時のレギュラー、リーブマンの人となりを良く理解しているでしょう、ライヴ、レコーディング、ツアーと日常を共にし、当然彼のフォローを良しとするミュージシャンから成ります。
 彼らレギュラーメンバーの演奏能力は申し分ないのですが、プレイに強力な個性を見出す事は出来ません。傾向として演奏に強い自我を見出せるプレーヤーは、人間性を鑑みても同じです。個性豊かなプレイヤーはリーブマンとの衝突は避けられないでしょう。

 しかし彼と50年以上の共演歴を持つ素晴らしいピアニスト、リッチー・バイラーク、彼らのコラボレーションは理想的です。
気心知れた、のような月並みな表現では表しきれない、深淵な世界を構築し続けられた二人、数々の名盤を残します。こちらは相性の良さと言う言葉だけでは片付けられない、運命的な出会いすら感じます。
 素晴らしい楽器の音色、タイム感、アイデアは元より、触発し合いながら音楽をクリエイトする真摯な姿勢、互いに敬愛する彼らの演奏は、二人だけでオーケストラの如き複雑にして深遠なプレイを行います。

デイヴ・リーブマン、リッチー・バイラーク

 ある時は高次音楽理論に裏付けされたハイパーなコード、インプロヴィゼーション・ラインの応酬によりこの上なく濃密なインタープレイを行い、付かず離れずの間を置く事の重要性を本能的に知る彼らの、インターヴァルに於ける美しさ。
「マンネリ」という言葉は彼らのヴォキャブラリーには存在しません。
ひとえに互いに音楽的成長を促し、好奇心の持続、努力、進化を怠らずにプレイに臨んだ結果です。

 
長い音楽生活の中ではどれだけ親密でも仲違いはあるでしょう、と言う話です。
 以前私がバイラークと演奏を行う計画があったので(残念ながら頓挫しました)、バイラークを良く知っているマイケル・ブレッカーに仲を取り持って貰いました。
マイケルはその時バイラークの連絡先が分からなかったので、彼はリーブマンを介してバイラークとコンタクトを取ろうとしてくれました。暫くしてマイケルから「タツヤ、残念ながらリッチーの連絡先はデイヴ(・リーブマン)でさえ分からないんだ。」と連絡がありました。リーブマン、バイラークの没交渉ぶりには何かトラブルがあったのかも知れませんし、破天荒なバイラークの生活が荒れていたのが理由のひとつであったかも知れません。

 彼らの作品2021年リリース『エンパシー』(意味:意見の異なる相手を理解する知的能力)、5枚組(!)ボックスセットにはデュオ演奏、各々のソロ、ジャック・ディジョネットをゲストに迎えたトリオ、シンセサイザー奏者とパーカッショニストを加えオーケストレーションされたコレクティヴ・インプロヴィゼーションが収録され、彼らの50年に亘る音楽活動の集大成となりました。
 アルバムの副題が”Two Boys from Brooklyn: A 50-Year Friendship in Jazz"、とは言い得て妙です。

エンパシー/
デイヴ・リーブマン、リッチー・バイラーク
デイヴ・リーブマン

 本作『ニュー・ヴィスタ』参加ミュージシャンはギター、アコースティック・ギター、ヴィック・ジュリス、ピアノ、キーボード、フィル・マーコウィッツ、アコースティック、エレクトリック・ベース、トニー・マリノ、ドラムス、パーカッション、ジェイミー・ハダド、彼らに加えゲスト参加のパーカッション、カフェ、ヴォーカル、ダヴィア・サックス

 作品中リーブマン、ソプラノサックスを中心に演奏し、テナーサックス奏は2曲に留まります。
 彼は前年95年頃までテナーサックスを封印し、ソプラノ1本に専念しました。テナープレイが少ないのはその余波でしょうか、収録曲のテイストがソプラノ向きであった事も確かですし、テナーサックスを用いるとリーブマン色が強烈に出てしまい、オーディエンス・フレンドリーを掲げてアルバム制作を行なったのならば、逆の結果に陥ってしまいます。
 スティーヴ・グロスマン、マイケル・ブレッカー、ボブ・バーグ、ボブ・ミンツァーらジューイッシュ・テナーマンの筆頭に位置し、超個性的でダントツのエグさを湛えた、素晴らしいテナーサックス・プレイでしたが。

 テナーサックス解禁を宣言したのが本作直前の96年1月7日録音『リターン・オブ・ザ・テナー/スタンダーズ』です。参加メンバーは本作『ニュー・ヴィスタ』と同じクインテット・オリジナル・メンバーです。

リターン・オブ・ザ・テナー/デイヴ・リーブマン

 この作品でテナー奏者としてカムバックした訳ですが、プレイが絶好調であった78年頃の演奏に比べて変わってしまったのは否めません。それが成熟した形であったなら良かったのですが、端的に述べれば、様々な手法を用いた表現の先に存在すべき崇高さが希薄になってしまいました。

 それでは作品内容について触れて行きましょう。
 1曲目ニュー・ヴィスタ、ブラジルの音楽スタイルの一つであるショーロにインスパイアされてリーブマンが書いたオリジナル、ハダドとカフェによるホイッスルを伴ったサンバの賑やかなリズムから始まります。

 ソプラノとシンセサイザーのメロディが重なり、ギターとベースによるカウンターメロディが加わり、緻密なハーモニーを構築する、リーブマン・ナンバーでは新機軸、細部にまで徹底的にアレンジが施された、美しく聡明なナンバーです。
 ソロの先発はジュリスのアコースティック・ギター、比較的オーソドックスなアプローチによる穏やかなプレイを聴かせます。
 インタールード後、堰を切ったようにテンション高いリーブマンのソロが続きますが、シンセサイザーとのソロ・トレードを伴います。8小節で始まり、演奏が密になると共に4小節のスパンに変わります。リーブマンのハイテンションに対しマーコウイッツは比較的淡々とバトルに応じます。
 その後再びインタールードを経てラストテーマへ、主旋律とカウンター・メロディによるアンサンブルの妙を再確認出来ます。

 2曲目エスターテはイタリア人ピアニスト、作曲家ブルーノ・マルティーノ作の美しいボサノヴァ・ナンバー、ここではスロー・テンポで演奏され、楽曲が持つ哀感が強まります。
アレンジにはリハーモナイズやシンコペーションを多用したキックが施され、原曲の雰囲気から逸脱しそうな勢いです。
ソプラノソロ後、ピアノのソロが短くフィーチャーされ、ラストテーマに繋がります。
 リーブマンとの共演歴を持つピアニスト、マーク・コープランドが彼に楽曲を紹介し、取り上げる事になりました。

 3曲目リアル・ドリームスはマーコウイッツのオリジナルです。ボサノヴァですが7拍子が基本のリズム、繊細、知的にして大胆さを感じさせ、彼の音楽性の集大成と言えるほどに凝った構成から成ります。
 メロディラインをソプラノとシンセサイザーが演奏し、その後ヴォイスとシンセサイザー、ソプラノによるハーモニーに移行します。
 本作のコンセプトに良く合致したサウンドは、恐らくリーブマンからアルバムのためにと、楽曲提供の依頼があったように感じます。

 ソロの先発は作曲者から、ピアノを用い美しいタッチにより、些かグルーヴに硬さを感じますが、リズミックなプレイを聴かせます。インタールードにはヴォイスによるラインが用いられ、リーブマンのソロへと変わります。
 ソプラノの熟れ切った素晴らしいトーン、7拍子を物ともせずブロウする申し分のないタイム感と、アグレッシヴさを躊躇なく表出するアプローチ、楽曲が有するキャパシティとリーブマンの音楽性が見事に融合した演奏です。

 リーブマンとマーコウイッツのデュオによる2004年録音作品『マンハッタン・ダイアログ』では、二人のユニークなカンヴァセーションを聴く事が出来ます。

マンハッタン・ダイアログス/
デイヴ・リーブマン&フィル・マーコウイッツ

 4曲目ソー・ファー、ソー・クローズはリーブマン夫人カリス・ヴァイセンティン作曲のボサノヴァ・ナンバー。彼女はオーボエ、イングリッシュホルン奏者です。
ブラジル出身のギター、ヴォーカリスト、トニーニョ・オルタの音楽性にインスパイアされました。

 美しいメロディ・ラインを朗々とリーブマンがプレイしますが、ニュアンス付けに彼ならではのテイストが際立ちます。
 ボサノヴァはかつてスタン・ゲッツのテナー・プレイで一世風靡しました。ゲッツのテナー・トーン、ニュアンス、フレージングがボサノヴァそのものと解釈しています。

スタン・ゲッツ

 ゲッツ、リーブマンともジューイッシュ・テナーマンです。知的で構築的な演奏を信条とする二人ですがプレイの違いは甚だしく、ゲッツのソフトでスムーズ、ハスキーなプレイでボサノヴァ・サウンドが刷り込まれている耳には、リーブマンの演奏によるボサノヴァは個性的ではありますが、微妙に座り心地が良くありません。
 ブラジリアン・フレーヴァーを巧みに織り込んだリズム隊のプレイには、ボサノヴァに対する的確なアプローチが伺えるだけに、リーブマンのエグさが一層浮き立ちます。ある種の違和感、不安定さが彼の音楽の特徴でもありますが。

 ジョー・ヘンダーソンによる94年録音アントニオ・カルロス・ジョビン曲集『ダブル・レインボウ:ザ・ミュージック・オブ・アントニオ・カルロス・ジョビン』、素晴らしい内容のボサノヴァ作品ですが、ジョーヘンのテナー・トーンとジョビン・ナンバーが醸し出すサウンドにも当初は違和感を感じました。ジョーヘンとゲッツの音色の違いに起因するのが大です。

ダブル・レインボー/ジョー・ヘンダーソン

 ソロの先発はベース、豊かなトーンと端正なピッチ感、短いながら堅実なプレイを聴かせます。続くピアノソロはアウフタクトからスタートし、主張ある世界を作ろうとする意思を感じます。
 続くソプラノソロ、リーブマン節と言う言葉で片付けるべきではありませんが、彼ならではのいつもの語り口、ニュアンス、ピッチ感を聴かせながら、新たな表現にトライする瞬間を捉える事が出来ます。
 その後ラストテーマに入ります。アウトロではギターソロが行われ、バックでパーカッションによる曲調に相応しいカラーリングを聴く事が出来ます。

 5曲目クリスマス・ソックス、こちらはミルトン・ナシメントに敬意を表したリーブマンのナンバー、ネーミングに反したアグレッシヴな演奏です。
リーブマンの幼少時、家族の友人がプレゼントしてくれた緑と赤のソックスを毎年クリスマスに飾ったそうで、そのイメージによるものでしょう。
 ピアノの重厚な左手と右手の和音から始まります。7拍子と6拍子が組み合わさった複雑なフォームの上に、ソプラノとギターによるテーマがプレイされます。
その両者のバトルが行われます。かなりハードなやり取りから、リーブマンは一体どんなクリスマスの夜を家族と過ごしたのかが、気になるところです。
 その後シンセサイザーのソロがソプラノ奏を有するヴァンプの上で行われ、ラストテーマに向かいます。
エンディングにはそれまで用いられなかったパートが現れ、ゆっくりとリタルダンドし、最後にはユーモラスに、チャイムによるジングルベルのメロディの断片が奏でられます。

 6曲目ビューティ・アンド・ザ・ビーストは同名ディズニーアニメ映画からのナンバー。本作は凝ったアレンジが多い中、比較的シンプルに演奏されています。
 リリカルにしてナチュラルさを感じさせるのは、効果音的にシンセサイザーやパーカッションが用いられている事に起因します。
ルバートからインテンポになり、ソプラノが楽曲のテイストに従順に、ムーディなソロを取り、再びルバートでテーマが奏でられます。

 7曲目ジャングル・グライドは再びマーコウイッツのナンバー、エスニックなテイストを有する、3拍子の佳曲です。
 ビリンバウ等を用いたパーカッションに始まり、ドラムスが加わり、ベース・パターンとギター・カッティングでテンポが設定されます。
その上でソプラノとシンセサイザーによる可愛らしいメロディがプレイされますが、続いて対比する躍動的なラインが提示されます。
 ソプラノによるジャングルの猛禽類が鳴くかの、フリーキーなプレイが聴かれます。その後リーブマンは間を置いてテナーに持ち替え、場を活性化させるべく、雄叫びを思わせるプレイを行います。ジャングルの密林に隠れていた猛獣が飛び出してくるかの様相を呈し、タイトル通りのジャングル・グライド(滑空)が展開されます。
 そのままテナーとシンセサイザーによるリフ後、被るようにギターソロが始まります。ジュリスの演奏は常にマイペースに行われ、ここでは鬱蒼うっそうとしたジャングルに居てプレイするべきはずが、まるでエアコンの効いた自宅で涼しげに日課のギター練習を行っているかの、場にそぐわない生真面目さを感じます。彼にはもう少し弾けたプレイが欲しいところです。
 ここでのリズムセクション、特にハダドのレスポンスにレギュラーバンドならではのアクションを感じます。ギターソロに物足りなさを感じその分を穴埋めしたのかも知れません。

 その後再びテナーによるリフが登場しギターソロが終了、ラストテーマに入ります。ソプラノによるジャングル・サウンドはさらに激しさを増し、ピアノソロへ。ここではハービー・ハンコックのテイストを感じさせるアプローチでシーンがアクティヴになりつつ、Fade outを迎えます。

 8曲目ジンガロはジョビンのナンバー、別名ポートレイト・イン・ブラック・アンド・ホワイト、タイトルの意味するところはジプシーです。
 アコースティック・ギターのハーモニクスを用いたイントロからテーマへ、ソプラノとギターが独特なハーモニーを有しながらメロディが演奏されます。
 ギターソロが先発、アコギの音色はこの曲に良くフィットし、放浪生活を続けるジプシーの哀愁を表現するかの如しです。
 ソプラノがコード進行のマイナー・クリシェを辿りながらベースソロへ、その後ソプラノのソロに変わり、曲調にそぐったメゾピアノの音量でしっとりと、でも毒の注入は決して忘れずにプレイします。
 ラストテーマに入ります。自分のソロ時以外ずっと弾き続けたアコギのバッキング・サウンドが印象的です。

 9曲目ラストナンバー、はリーブマンの盟友であリ、伝説的な名テナーサックス奏者、スティーヴ・グロスマンに捧げられた、その名もザ・グロス・マン!
 エルヴィン・ジョーンズ・バンドでの70年代諸作、取り分け『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』の演奏や、ニューヨーク19丁目のロフトで連日連夜繰り広げられたセッションに於いて、リーブマンとグロスマンは丁々発止とテナー・バトルを繰り広げました。

エルヴィン・ジョーンズ・ライヴ・
アット・ザ・ライトハウス

 アルバム中この曲は異色になりますが、リーブマンの盟友に対するリスペクト、憧憬の念が表れたテイクに仕上がっています。
 グロスマンのプレイにはリーブマンと同様に情念、怨念が込められていましたが、二人が頻繁に共演していた頃は未だリーブマンの毒素発生は薄く、グロスマンの情念表出の方が優っていました。ここでの演奏はその事を意識したのかしないのか、痛さを感じさせる程に猛毒を放っています。

スティーヴ・グロスマン

 楽曲は8分の6拍子のリズムから成り、テナーとギターによるエグさの表出に対する躊躇が一切ない不協和音ギリギリの危ないテーマ、ベースパターンとピアノのバッキングの半拍ずらしのインパクト、ドラムとパーカッションが繰り出すポリリズムの饗宴、ボサノヴァがメインで耳に心地良いメロディを中心に演奏したコンセプトは、一体何処に行ってしまったのでしょう?
 バンド全員が徹底的にバーニング、グループとしての一体感をこれでもかと表現したプレイ、70年代の雰囲気を感じました。


 

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