東京のサラリーマンが、仕事をやめてアメリカで働くために悩んだこと、行動したこと
僕は今、サンフランシスコでPokemon Goの開発元であるNiantic, Incでソフトウェアエンジニアをしています。元々アメリカに縁があったわけではなく、日本生まれ、日本育ちで、4年3ヶ月、日本の通信会社NTTコミュニケーションズで会社員をしていました。
エンジニアにとってアメリカといえば、野球で言うメジャーリーグ。精神的にも技術的にもスーパーマンなイチローのような人たちが働く場所で、自分が働くのは無理だと考えていました。
そんな自分が何に悩んで、どんな行動をしてここに来たのか、残しておきます。何かに挑戦したいけど踏み出せずにいる誰かの背中を押すことができたらとてもうれしいです。
所属組織の意見ではなく、私個人の意見です。
世界中の人が使うプロダクトをつくりたい
中学生の頃、父親と家電量販店に行くのが好きで、SONYのWalkmanはいつだって僕の憧れでした。そんなWalkmanは世界中で使われていると聞いて、自分もそんなプロダクトをつくりたいと思うようになりました。高校の志望理由にもそんなことを書いています。
高校では理系、大学では理工学部を選び、新卒でNTTコミュニケーションズに入社しました。そこでクラウドサービスの技術調査をしていたのですが、日本企業が海外展開に苦戦している現実を目の当たりにしました。今のままでは一生、世界中の人が使うプロダクトに関わることは難しいだろうな、そう思うようになりました。
いつかアメリカにいくんだ
じゃあどうしたらいいか、アメリカにいけばいい。ずっと前からわかっていました。ただ、ビザもない、人脈もない、英語も技術も中途半端な自分には無理だろう、そう思って諦めていました。でも、社会人経験を重ねていくなかで、何もしていない自分に焦りを感じて、一歩踏み出すことにしました。まずは本や知り合いの事例を聞いて、アメリカで働く方法を調べました。
Link: シリコンバレーでソフトウェアエンジニアとして働きたい
残念ながら、簡単にできる方法はありませんでした。それでも、初めて自分のやりたいこと、叶えたい夢に向き合えた気がして、前向きな気持になりました。何より、課題がたくさんあることに燃えました。たとえば、僕が選んだ、留学してアメリカ現地就職をする方法では…
・今の英語力ではTOEFLの足切り点に届かない
・英文のエッセーが必要だが、文章を書くのが苦手だ
・留学資金が最大1,500万円程度必要だが、そんなお金はない
・大学教授の推薦状が必要だが、自分を覚えているかわからない
・どこの大学院を受験したらいいかわからない
エンジニアとして育てられたからか、課題があると解決したくなります。しかも、頭で考えるだけでなく、試行錯誤しながら自分の手で解いていくところもエンジニア向きです。 大きな問題を小さく分割して、1個ずつやっつけていくうちに、毎日乗っていた満員電車からの景色も違って見えました。
Link: 米国大学院に合格するためにやったこと
いつも周りに影響される
留学資金を貯めるため会社は辞めないで、業務後や休日、有給休暇を使って英語の勉強をしました。さらに時間を確保するため、残業はしない、会社の飲み会には参加しないという自分ルールも作りました。
それでも順風満帆にいったわけではありませんでした。尊敬する先輩が転職すると、その方が正しい気がして、転職活動も始めました。履歴書を用意し、会社を調べ、面接の準備をして、留学準備に使える時間が大きく削られました。友人の結婚式に参加するとなんで留学準備なんてしてるんだろうと自分が見えなくなりました。そろそろ結婚を考えるべきだという現実から逃げてるんじゃないか。アメリカに行かなくても幸せはあるんじゃないか。
そういう悩みを解決できる方法は最後まで見つかりませんでした。ただ、毎日少しずつ勉強を続けて、5つの大学院に出願しました。
ドラマの主役になるんだ
2017年3月6日、朝起きてメールを見るとカーネギーメロン大学からメールが届いていました。この大学はまさに記念受験だったので、喜びというより、その日は頭が真っ白でした。
これまで合格するためにたくさん準備をしてきたのに、不思議なもので、その日からずっと、留学してアメリカ就職するか、日本に残るべきか悩みました。学費は借りるとして本当に返済できるのだろうか、途中で体を壊さないか、こんな英語力で現地就職できるのか、婚期が遅れるんじゃないかとか。ここで諦める理由はいくらでも思いつきました。
東京で悩んでいても答えは出なかったので、ペンシルベニア州ピッツバーグに行ってカーネギーメロン大学を見てみることにしました。教授や在校生とアポを取り、対面で話ができたのも良かったのですが、何より校舎を歩いたり、在学生を遠目に見たりしたときに、自分の見たことのない世界が広がっている気がしてワクワクしました。もしサラリーマンを辞めて、ここに留学してアメリカで就職できたなら、それはなんてドラマだろうと思いました。帰国後、会社に退職する旨を伝えました。
退路はすでに断っている
アメリカの大学は入るのは簡単、出るのは難しいと言われますが、本当にその通りでした。たとえば最初の週にやらなくてはいけなかった宿題は
・教科書 85ページを読んで設問に回答する
・数理論理学の課題3ページを解く
・20ページのHarvard Business Reviewを読んで1ページのエッセーを書く
量が多いだけでなく、質も求められ、本当に大変でした。最初の学期が終わった頃には6kgも痩せていました。週に1, 2時間だけスーパーに出かけられる時間だけが勉強から離れられる時間で、それ以外は平日も週末も関係なく朝起きてからベットで寝るまで、ずっと勉強していました。
辛かったですが、諦めて日本に帰国するという選択肢はありませんでした。新卒で入社した会社は辞めていましたし、仮に再就職先が見つかっても、授業料の返済のために10年以上、節約生活が強いられるでしょう。そんなことはしたくない、卒業してアメリカで働くしかない。会社を辞めて自費留学を選んだ時点で、退路は断っていました。
退路がないと、いつも前向きに考えることができます。留学前はたくさん悩んだ僕ですが、留学中は辞めようか悩んだことはありません。難しい宿題を片付けるにはどうしたらよいか、いつも前向きに考えることができました
就職活動は夢のよう
2018年8月、留学して1年経って就職活動を始めました。Google、Facebook、Amazon、Airbnb、Uber、などなどサラリーマン時代に憧れていた企業で働くエンジニアと話すことができて、夢のようでした。
初めて応募したのはAppleで、先輩の推薦で応募したら、ほんとうにAppleのリクルーターから連絡がきました。Appleからエンジニア職としてインタビューを受けられる、これほどうれしいことはありませんでした。残念ながらAppleは技術面接で落ちてしまいましたが、他にもGoogle、Twitter、Airbnbなど有名企業の書類選考が次々通り、いい意味で心休まるときはありませんでした。2番目に応募したNianticから1番最初に内定をもらって、そこに就職することに決めました。
Link: シリコンバレーでエンジニア就職する前に知りたかったこと
憧れのアメリカへ
2019年2月、大学のあったピッツバーグからサンフランシスコに引っ越してNianticで働き始めました。留学を決めたのは2015年10月頃のことなので、ここに来るまでに3年4ヶ月かかりました。たくさんの機会損失があったでしょう。それでも今、自分の書いたコードが世界中の人に届けられ、毎日使われていることを思うと、これほどエンジニアとして嬉しいことはなく、挑戦した甲斐があったなと思っています。
アメリカにはイチローのような天才エンジニアがたくさんいますが、僕はそうではありません。一番と誇れる技術はないし、周りの影響を受けて、悩んだり迷走したりします。
アメリカで働いてるといっても、意外とそんなものだよと、これから挑戦する人の背中を押すことができたら幸いです。
みなさんのドラマを拝見できる日を楽しみにしています。
Photo by Banter Snaps on Unsplash