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「小説 秒速5センチメートル」新海 誠 を読み直す
読み直しの読書術「小説 秒速5センチメートル」新海 誠
本書は 2007年に発表されたアニメーション作品「秒速5センチメートル」の小説版として、同年5月から雑誌「ダ・ヴインチ」に連載された、新海誠監督本人の初の小説作品だった。
前回書評の「家族」の終い方の次は、叶わなかった「初恋」 がテーマ。
読み直して思うのは、この後、新海監督が天変地異を扱うSF的シチュエーションを作品の背景にしていくのだが、本作も理科系というか、天文学的な事象を扱う萌芽がそこかしこに感じられた。題名からも「秒速5センチメートル」とは、桜の花びらが落ちる速度のことだ。速度とは、距離(空間)÷時間という物理現象だ。なので本作は空間と時間の喪失とその取り戻しに関わるお話しでもあったと、再読して感じられた。
「ねえ、秒速5センチなんだって」明里が言うと、貴樹には、それが何か宇宙の真理のように聞こえる。11歳の小学生である明里はそういうことをぽんと貴樹に言い投げ出し、いつも貴樹より先に駆け出す。
それから転校生である二人は、世界にちらばっているきらめくような知識、それが花びらや雨や雪の落ちる速度だったり、空の青さや星座の位置に関するものだったりするのだが、そういった他愛のない知識の断片を交換する。それが何か遥かな世界の秘密であるかのように、それが相手自身の断片であったかのようにとても大切に。この辺は村上春樹の小説のようで、こういった理系的描写が出てくるとなぜかうれしくなる。
映画では、雪や雨、雲や大気、街中の光や影 などが、成層圏から見る天体にように澄み切った清冽さで描かれている。新宿の高層ビル群の描写も相まって、小説よりも、天文学的なスケールでの世界観を、映像で直観的に感じさせる。
また、気象(大雪)は本作でもストーリー上重要な役割を果たす。大雪で電車が立ち往生してしまい、貴樹は明里との待ち合わせ時間に間に合わない。この時の貴樹の焦りと絶望はトラウマ級だ。「どうしてこんなことになっちゃうんだ」まだ中学生の貴樹にとって駅と駅の「空間」は信じられないくらい遠く離れていて、電車は信じられないくらい長い「時間」停車する。
初めてのキスの後に、早熟な貴樹は気づいてしまう。僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないことを。貴樹と明里の間には、今だ巨大すぎる茫漠とした「空間」と「時間」が横たわっていた。
「どれほどの「速さ」で生きれば、君にまた会えるのか」。何度、雪が桜に変わる季節を繰り返さなければならないのだろう。
現代ならば、スマホがほぼあらゆることを解決しそうだが、往時の子供のとって、親の事情による転校は、大雪などの天災同様に抗うことのできない経験だ。転校の経験を通じ、貴樹はいつしかどれだけ大切な相手がいても、抗えない力が働き、いつかいなくなってしまう、喪失してしまう惧れを抱くようになる。それが不可抗力の形で現れてくるのならば、その喪失に慣れていくしかなかった。「まあ仕方がない、誰だっていつもでも一緒に居られるわけではない、人はこうやって喪失に慣れていかなければならない。僕は今までそうやってなんとかやってきたのだ」
貴樹とつきあうどの女性も、これではどうしようもないが、どうもこういう男性に惹かれてしまう女性も一定程度いるらしい。
東京に戻り、大人になり社会人となっても状況はさほど変わらない。
ただ、貴樹にとって、コンピューターを扱うことは、何か世界の秘密に触れる行為であるように思え、そしてその世界の秘密には、叶えられなかった約束につながる「空間」と「時間」への通路が隠されているような気がしていた。
それでも、不全感に覆われる貴樹は会社を退職し、最終日の夜、これまでの生活を振り返り、相手のみならず自分をも際限なく傷つけてきた自分を罵り、激しく嗚咽する。「俺はなんて愚かで身勝手なのだろう。どうして自分は相手に違った声を届けることができなかったのだろう」。
何かに追いついていない自分がいる。それでも会社を辞めて三か月で、久しぶりに仕事を始めた。それは改めて「ひとりで世界へ出ていく助走のようなものだった」。かすかな光が必要だった。「空間」と「時間」の喪失を埋める何かが。その一押しが、その一言が。
ラストシーン、踏切で彼女は立ち止まることはなかった。でももし彼女が明里だったとして、それだけで貴樹にとっては十分だっただろう。ひとつの奇跡が、喪失の「空間」と「時間」を一瞬でも取り戻させてくれたのだから。いつも明里は先に駆け出す。あなたは私の大切な一部、あなたはきっと大丈夫だと、この世界に無音の声を残して。この声が背中を押してくれるだろう。これからは、だれの言葉も必要とせず、前を向き、小さな一歩を踏み出すそうと、その時思った。