よしこママのゴースト・キッス
【注意】この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません【注意】
カォーン……
その日のF5。鈴鹿ラウンドでよしこママは二着につけていた。前を走るのは前年度チャンピオンのマイク真崎。日系米国人が日本に帰化したという変わった経歴を持つ真崎は、しかしとても速い。レースを始めたのはよしこママよりも3年早い6歳の時。軍資金は家族の事業で賄われている。
どことなく似た経歴を持つ二人は、早くから友好を深め、同時に良いライバルとなっていた。
星条旗を模した派手なカラーリングの真崎の後ろに、真っ白なペイントを施したよしこママの車がピタリとつける。ボディに書かれたスポンサーマークは自身の会社、『NaNika』の小さなロゴマークひとつだけ。周囲の車が全身にスポンサーマークを纏っている中、ほとんどスポンサーマークのないよしこママの白い車はカラフルなサーキットの中でも一際目立つ。
(くそ、本当に隙がない……)
車体を振って差せる隙を探すが、こちらが右を突けばすかさずブロックにくるし、左側から差そうとすれば車体をドリフトさせて壁を作る。
ヤツの得意技、『ザ・ウォール』。
コーナーが多い、世界有数のテクニカルサーキットである鈴鹿でこの技を繰り出されると非常にまずいことになる。特にデグナーカーブ、ヘアピンコーナーを超えた先のスプーンコーナーで『ザ・ウォール』を食らうと、本当だったら最高速度で駆け抜けたいバックストレッチでスピードに乗り切れず、ずるずると離されてしまう。
それでも次のヘアピンコーナーまでには追いつくのだからよしこママも相当に速いのだが、決定的な差をつけることができず、すでに五周以上こんな膠着状態が続いていた。
F5においては全チームが同じ車体とタイヤを使用する。腕の差が如実に現れる厳しいレギュレーションだ。
「真崎ちゃんがそう来るなら、こっちだって……」
よしこママは覚悟を決めた。
よしこママの目に殺気が宿る。
再びデグナーコーナー、そこから立体交差とヘアピンを抜けてスプーンコーナーへと向かう。もはやルーチンと化したかのように真崎は得々とした様子で車体を傾け、ドリフト態勢に入った。
いつもだったらやむなくブレーキを踏むよしこママだったが、今回は違った。
よしこママの白い車が、真崎の車を追うようにスプーンコーナーに飛び込んで行く。
『!!』
星条旗のコクピットの中で真崎が驚愕の表情を見せる。
しかし、もう止められない。
真崎の車体が傾いてドリフトし始めたところで、急ブレーキ。
よしこママは絶妙なブレーキコントロールで速度を合わせながら、そっとノーズで真崎の車体を少し、つついた。
ゴースト・キッス。
よしこママの必殺技だ。
ドリフト中の不安定な状態でこれを食らうと、たとえいくらドライバーが優秀であろうともその車は必ずスピンする。
案の定、真崎の車も白煙を吐きながらスピンを始めた。
ゴースト・キッスは危険な技だ。
一歩間違えれば規制違反で黒旗を振られかねない。
しかし、黒旗を振られるほどよしこママは間抜けではなかった。
絶妙なブレーキコントロールとタイミング。
そしてマーシャルの視界を予測する明晰な頭脳。
これは知性派のよしこママのみに許される、必殺の絶技だ。
スピンから立ち直ろうともがく真崎の横を悠々とよしこママが抜き去っていく。
真崎の車が回転し続ける。しかし、車体が正面を向いたところでスピンから立ち直り、すかさずレースへ復帰する真崎の腕はさすがであると言わざるを得ない。
だが、その頃にはもう致命的とも言えるほどの大きな差がよしこママと真崎の間には広がっていた。
こうなったらもはやレースはよしこママのものだ。
結局よしこママは焦る真崎を抑え込んだまま、ホームストレッチの大歓声を浴びながらチェッカーフラグを受けた。
+ + +
「やあ」
レース後の懇親会の席でふいに背中を突かれ、よしこママは思わず飛び上がった。
「なによ、土屋ちゃん。びっくりしちゃうじゃない」
「あのな……よしこママ、あんた体重何キロだ?」
よしこママの苦情申し立てを聞き流し、真面目な表情で真崎がよしこママに訊ねる。
「なによ真崎ちゃん、なんでアタシの体重に興味を持つのよ。アタシの体重は今朝の計量によればXXキロだったわ。でも真崎ちゃん、ポンドへの換算は自分でやってね」
真崎は指を折りながら何事か考え込んでいたが、やがて得心がいったかのようににっこりと笑った。
「やっぱりだ。僕の方がよしこママよりも三キロくらい重い。これがハンディキャップになってたんだ。あのさ、言っちゃあなんだけどドライビングテクニックは僕の方が少し上だ。見てろよよしこママ、次のレースまでに僕は五キロ、体重を落とす。そうすれば僕が二キロ有利だ」
「じゃあアタシは三キロ落とします。これでアタシの方が一キロ軽くなるでしょ? 負けないわよ、真崎ちゃん」
「はっはっは、果たしてどうかな?」
そう言いながら真崎がよしこママの肩に腕を回す。
「だが、今日のところは僕も素直に負けを認めようじゃないか。よしこママ、今はパーティを楽しもう。これは君の戦勝祝いなんだからさ」
真崎の馴れ馴れしい様子によしこママが肩をすくめる。
「そうだね。じゃあ、飲むとしましょうか」
仲良く肩を抱き合いながら、二人はパーティの人混みの中へと吸い込まれて行った。
──了──