【掌編】そしてみんな猫になる
今となってはその病気の原発地点は判らない。また原因も、また媒介生物あるいは病原体そのものも未分離の状態。それが今日の状態だ。
ともあれ、ある日を境に世界各地で人間が猫化するという奇病が発生した。
それも、ほぼ同時多発に。
「とにかく、なんとかせねばならんのだ」
まだ猫化が進んでいないWHOの局長はドンッと拳で大きな机を叩いた。
だが、すでに猫化が進んでいる各国の代表の反応ははかばかしくない。
アメリカの代表はとっくの昔に興味を失ってどこかに行ってしまったし、中国の代表は腕を枕にして気持ちよさそうに居眠りをしている。
彼らの席が窓際だったことも災いしたのかも知れない。
『キャット・シンドローム』と名付けられたこの病気は原因不明のまさに奇病だった。
わかっていることはただ一つだけ。発症すると患者の行動様式が猫化する。
特徴的な症状は傾眠傾向だ。
一般的に健常な人の睡眠時間は四時間から七時間だと言われている。
ところがこれが徐々に長くなり、患者によっては一日十六時間以上もの睡眠時間を必要とするようになる。
これがステージ1。
次に現れる症状は他者への無関心。要するに空気が読めない人になってしまう。
学者はのちにこの状態をステージ2と定義した。
器質的な異常が認められないことがこの病の特徴だ。診断はもっぱら睡眠時間の計測と心療内科的問診によって行われた。
この診断は単に空気が読めなくてナマケモノな患者との境界線が難しい。
症状的にはうつ病とも似ているため、最初のうち『キャット・シンドローム』の患者たちはうつ病の治療を受けていたほどだ。
だが、やがて病状が悪化すると患者は所構わず横になって寝てしまうという症状が現れることが判明するに至って、ついに”キャット・シンドローム”という病気であると定義されたのだった。
それはともかく、ステージ2にまで進行すると業務への影響も出始めるため、経済活動への影響も無視できない、かと思うとそうでもなかった。
DXをはじめとする業務電子化が奏功して、オペレーターがいなくても企業活動への影響は軽微であった。
ステージ3まで進行した患者はもはや自力で通院することが不可能になる。症状もさらに特徴的になり、眠る体位に変化が現れる。具体的には背中をまるめた、胎児のような姿勢を取るようになるのだ。
その頃になると患者はもはや睡眠を取る場所を選ばないため、路上に丸くなった患者が散乱するという非常にまずい事態が世界中で発生した。
とうぜん大惨事になるかと思えば、実のところそうはならなかった。
自動運転システムの進化により、食事を宅配するウーバーイーツの無人自動車は器用に患者を避けながらちゃんと目的地に到達する。そのため、患者たちは思い思いのところで食事を取り、また睡眠に戻るということがごく普通の光景となった。
半分猫化したマスコミのアナウンサーたちは眠そうな声でこの奇病への対策が急務であると面倒くさそうに放送していたが、やがてその放送も途絶えがちになった。
放送局に勤める社員の猫化が進んだ結果、放送はやがてすべてプログラムによって管理されるようになり、かくて地上波放送の番組ははほぼ全てが空枠用に準備されていた空虚な放送に置き換えられた。
「まあ、これも仕方がないことですよ」
不思議なことに、世界中に病気が蔓延するにつれ国民の知的レベルが急激に向上し、すべての国民が神々しいオーラを帯びるというこれまた謎な状況にあるエジプトの代表が厳かな声でWHOの代表に言った。
「これもまた、宿命です」
かくて、人類はすべて猫化した。