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君の顔がみたいから-第11話:夏祭り

 七月の湿った金曜日の夜。

 いつも金曜日の夜は僕がマミの家に行く。なんでか知らないけど、それが最近の決まり事だ。
 でもマミの部屋には入れない。子供の頃には入れてくれたのに、高校に上がった頃からマミの部屋は立ち入り禁止になっていた。
「女子の部屋には魔物がいる」
 とマミは言うけれど、きっとそれは方便だ。マミはおそらく、単に散らかっているのを片付けるのが嫌なだけだと思う。
 マミは僕の部屋に来た時もいつも散らかし放題散らかして、読み終わったファッション雑誌も『参考書』と称して僕に押し付けるだけだ。読んだ漫画を元の本棚に戻したのを見たことすらない。そのマミの部屋が整理整頓されているとは到底思えない。

 マミの家でカレーを食べてから、僕たちはぼんやりとリビングでテレビを見ていた。
『さあ、ここで今年の夏の花火大会の開催情報です……』

 マミのお父さんは残業らしい。金曜日の夜だというのにまだ帰ってきていない。新聞記者は大変だな。
『……花火と言えば板野さん、やはりお出かけには浴衣でしょうか?』
『当たり前です。ここ数年若者の間にも和装が浸透してきていますが、花火と言えば浴衣、浴衣と言えばアップ、アップと言えばうなじです!』
 テレビの中でお笑いタレントが妙なことを力説している。確かこの人、バンノ板野ってアイドルに異常に詳しかった人だ。
 うーん、まずいな。
 僕は隣のマミの様子を覗いてみた。マミはこの手のあおりに異常に弱い。
 案の定、マミは食い入るようにテレビの画面を見つめながら鼻息を荒くしていた。
『やっぱり、うなじ、ですか?』
 浴衣を着た女子アナウンサーがわざとらしくバンノ板野に背中を向ける。
『そーです、うなじです。そして後れ毛です。それがなくしては花火を観に行った意味がありません!』
 マミは『ふんすっ』っとさらに鼻息を荒くすると突然立ち上がった。
「雄介くん、ちょっと待ってて!」
「あ、あの、マミ、どちらへ?」
「トイレ!」

 マミは一言背中越しに言い残すとバタバタとリビングから出て行った。
 いや、絶対違う、と閉まったリビングの扉を見ながら僕は考えていた。
 さすがに『マミはトイレに行かない』なんて中学生みたいなことは言わないけれど、マミにもやっぱり恥じらいはあるだろう。トイレに行くなんて宣言、絶対嘘だ。
 でも、どこに行くというのだろう。
 そしてそのまま、一時間経ってもマミは帰ってこなかった。

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 バラエティ番組が終わって九時のニュースを観ている時、しょぼしょぼになってマミは帰ってきた。
「……雄介くん」
 マミの手には紫色の風呂敷包みが下げられている。
「マミ、どうしたの?」
 いつになく元気がない。
 さっきまであんなに鼻息荒かったのにな。どうしたんだろう?
「あのね、……着れなかった」
 マミが俯いてソファの横に佇んでいる。
「着れなかったって、何が?」
 ただならない雰囲気に僕は立ち上がった。
「浴衣」
 とマミは風呂敷包みを差し出した。
「ママの浴衣、今年は着ようと思ってたの。でね、さっき浴衣着て驚かそうと思ったんだけど、やってみたらグルグル巻きになっちゃった」
 マミの目が赤い。
「でも、そんなことでベソかくことはないじゃないか」
「そんなことって、わたし楽しみにしてたんだもん。どうしよう」
「どうしようってもな……」
 ちょっと考えた。
 母なら、きっと浴衣の着付けくらいできるだろう。
「じゃあマミ、明日それ持ってうちにおいで。母さんに相談してみよう?」

(そうか、今週くらいから花火か)
 マミの家からの帰り道、僕はネットで見かけた花火スケジュールを思い出していた。どうやら、七月の半ば頃から花火大会があちらこちらで開催されるようだ。
(きっとマミは浴衣を見せて僕を花火大会に誘うつもりだったんだな。あの番組はその伏線だったのか)
 それはちょっとかわいそうだったな。

 翌日。
 マミは約束どおり紫色の風呂敷包みを抱えてお昼すぎにやってきた。
 日差しが強い。マミの顔に落ちる麦わら帽子の影が濃い。
「まーまーまー、マミちゃん、いらっしゃい!」
「お母様、こんにちは」
 今日のマミはなぜか控え目だ。
「雄介に話は聞いているわ。浴衣着れなくて泣いちゃったんだって? かわいそうだったわね。ちゃんと教えてあげるから大丈夫」
「……ありがとうございます」
「さーさー、上がって」
 母はマミの手を取ると、半ば引きずるようにして家に上らせた。

「あんたはそこでお茶でも飲んでなさい」
 母は僕を邪険に居間に追い払うと、マミを連れて和室に閉じこもってしまった。
『覗いたら殺すわよ』
 母よ。それが母親が息子にかけるお言葉か。
 手持ち無沙汰だったので、僕はスマホで今日の花火情報を探してみた。
 今日はどうやら横浜の方で花火をやっているらしい。うちから横浜ならそんなに遠くない。東横線に乗ればすぐに着ける。
 僕はとりあえずスケジュールをスマホに覚えさせると窓の外の夏空を見上げた。
 入道雲が浮かんでいるが空は快晴。これならきっと花火大会も開催されるだろう。
(ピクニックマット、どこにしまっちゃったかな)
 騒がしいセミの声を聞きながらぼんやりと考える。
(花火大会って、エアコンないよな。うちわ、かな?)
 時折和室の方からマミと母が小声で話す声と衣擦れの音がする。
『まー、マミちゃん、いい色の浴衣ねー』
『…………』
『髪を? アップに? いいわよ、やったげる』
 これは長くなりそうだ。

 結局麦茶をのみ干して、氷が溶けて、僕がお茶のおかわりをもらいにキッチンに立っても二人は戻ってこなかった。
 もう日が陰り始めているというのに父はまだ寝ているようだ。休日はだいたいいつもそう。ほとんど一日中眠っている。
(会社員って、大変なのかな?)
 僕は教師になるつもりなので、会社員の生活を想像したことはあまりない。
 だけど、夜遅くに帰ってきて、朝早くに出かけていく父はあまり楽しくはなさそうだ。

 シュ……

 ふと、僕は背後の襖が開いたことに気づいた。
「さあマミちゃん、入ってはいって。疲れちゃったでしょ? 今麦茶を入れるわ。……雄介、お茶ちょうだい」
 だが、天の岩戸から出てきたのは母だけだった。
「マミちゃん、いらっしゃい」
 母は和室のマミにもう一度声をかけた。
「…………」
 ようやく、おずおずとマミがリビングに入ってくる。
 白地に和柄のシックな色使い。濃い紫色の帯が良く似合っている。
 いつもの弾けているマミとはまるで人が違ってしまったかのようだ。
「……雄介くん、笑わない?」
「うん、似合ってるよ」
 素直に僕は答えた。
 正直、いつもポニーテールのマミのうなじは見慣れている。だが、髪をアップにすると雰囲気が大人っぽくなって少しドキドキした。
「はい、じゃあ次は雄介の番ね。マミちゃんちょっと待ってて。雄介も着替えさせちゃうから」
 え?
 え〜?
 
 まさか、高校生にもなってパンイチで母と対峙することになるとは思わなかった。
「えへへ、雄介くん似合ってるよ」
 和室から出ると、マミはダイニングで明るく笑った。
「じゃああんた、帯の後ろにこれを挟んで」
 母は銀行のうちわを二枚僕に差し出した。
「本当は高級なうちわがいいんだけど、うちにはそんなものないから」
「う、うん」
 なんだか判らないながらも、僕は背中にうちわを差した。
「横浜の花火は七時三十分かららしいわよ。混んでるみたいだから気をつけてね」
「母さん、なんでそれを?」
「母はね」──と母は年甲斐もなくウインクをした──「なんでもお見通しなのよ」 

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 あたふたしている間に、僕たちは母に家から追い出されてしまった。
「混んでたらしばらくファミレスにでもいなさい。電車は遅くまで走ってるから。人混みでお団子になってたら危ないわ」
 と知恵までつけてくれる。

 カラン、コロン……
 僕の下駄が音を立てる。マミは草履。
 帰りには痛くなりそうだったが、スニーカーやビーチサンダルでは浴衣に合わない。
「ちょっと、ジロジロ見ないでよ」
 隣でマミが口を尖らせる。
「見てないよ」
「見てたもーん」
 マミがパタパタと草履を鳴らしながら走り出す。だが、下駄ではそうそう早くは歩けない。
「あ、そっか」
 マミはすぐに立ち止まると、僕が追いつくのを待っていてくれた。
「ゆっくりいこ」
 マミが僕の隣に立つ。
 どちらかともなく、手指が触れる。
「手、繋いで行こ?」
 僕たちは手を繋ぐと、夕暮れの駅にゆっくりと歩いて行った。



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