信じるとはこのことだったのか。


こんにちは。

ハレとケ珈琲stand 店主です。

先週末は梅雨の晴れ間でしたね。
僕は愛知と岐阜でイベント出店でした。暑くて暑くて。

これで今年前半の出店はほぼ終了。
各地で出会ってくださった皆さま、ありがとうございました。

さて、今回は最近見ててすごく納得できたお話を。

ふわふわっとした話なので、こーゆーのが好きな人はどうぞ。

僕があれこれ言うより見ていただくのが1番。


「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。

芦田愛菜さんの言葉

年齢は関係ないと思うけど、当時高校生だった芦田愛菜さん。

僕自身考えることが大好きな性格で、あぁではない。こうではない。など答えのないようなことをいつも頭の中で巡り巡っています。

頭の中では思っていてもをそれを人にわかりやすく言葉にして伝えることができるって、本当にすごいと思う。

考えれば考えるほどわからなくなってくることの方が多いと思うから。

才能なのか。勉強家なのか。小さな頃からの経験がそうさせてるのか。人生何周目なのか。なんなのか。

また考え出したらわからなくなっちゃうね。

本日はふわふわっとしたお話でした。
それでは今週も良い1週間に。

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