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私と青眼の白龍と罪悪感

 遊戯王カード。現在も子供から大人まで幅広い世代に愛され続けている、トレーディングカードだ。中でも『青眼の白龍(ブルーアイズホワイトドラゴン)』と呼ばれるモンスターカードは、たかだか一枚の紙でできたカードだとは思えないほどの高値で取引されている。『青眼の白龍』。この名前を聞くと、私は自分の身に起きた過去の話を思い出す。
 話は齢七歳の頃に遡る-。当時、私は自然に囲まれた”ど田舎”と呼ぶに相応しい、ある村で暮らしていた。土地柄というものもあるのだろう、そういった地域は今も昔も治安が悪いと相場が決まっている。小学生に上がるタイミングでその村に引っ越してきた私の身にも、いささか衝撃的な事件が起きる。

 始まりは一枚のトレカを盗まれたことだった。
 巷では『遊戯王カード』と呼ばれるトレーディングカードゲームが大流行していた。田舎だからといって流行りに疎いわけではなく、むしろ狭い社会だからこそ、流行には特に敏感だったように思う。私の暮らしていたその村でも子供たちの話題の中心にはいつも『遊戯王』があった。
 ある時、私は近所に住む五つほど年上の藤田くんから『遊戯王カード』の未開封パックをもらった。イベントに行ってきたから、そのお土産だという。彼とは一年生と六年生の間柄であることから、まるで弟であるかのように可愛がってもらったのを憶えている。小学生に上がったばかりの時にはキャラクターものの消しゴムをもらったり、学校で出会えば何かと声をかけてくれる、私にとってはかけがえのないお兄ちゃんのような存在だった。見かければいつも「藤田くん、藤田くん」と声をかけるほどに。
 その日、十九時過ぎぐらいだっただろうか。外は夜の帳が下り、小雨がぱらついており、少し肌寒さを感じる時間だった。藤田くんは私の家へとやってきた。
「たつや君に渡したいものがあって…」玄関の方から声が聞こえる。すでに私は就寝の準備に入っていたが、聞き覚えのある声を耳にして、玄関まで駆けた。そこには藤田くんの姿があった。傘をさしてはいるものの、髪の毛が湿っているように見えた。
「これ、遊戯王の限定パック…お土産、お土産」藤田くんは五枚入りの『遊戯王カード』を差し出した。私はあまりの嬉しさに満面の笑みで受け取った。
「ありがとう」と一言伝えると、藤田くんは颯爽と帰宅の途についた。
 玄関の扉を閉め、手元のカードパックに目をやると、パックのパッケージには『青眼の白龍』の姿があった。
『青眼の白龍(ブルーアイズホワイトドラゴン)』は当時のデュエリストなら誰しもが欲していたカードの一枚。そんなすごいカードを引き当てればクラス内のヒーローになれること間違いなしであった。
 私はその興奮を抑えきれずに駆け足で部屋へと戻り、指でパックを縦に引き裂いた。すると何ということだろう。パック内に封入されていた五枚のカードの中に見覚えのあるイラストがあった。そう、『青眼の白龍』である。
 私は思わず狂喜乱舞した。明日は学校だというのに、就寝前に興奮冷めやらぬ状態になってしまった私は、その後、当分の間寝付くことができなかった。

 翌る日、私はすぐに藤田くんの元へと向かった。『青眼の白龍』が出たことを報告するためだ。
 学校には集団登校で列を成して向かう。藤田くんもまた同じグループの一員だった。家から飛び出し、藤田くんに『青眼の白龍』が出たことを伝えると、自分のことのように喜んでくれたのが印象的だった。自分もこんなお兄ちゃんになりたいと思ったことを覚えている。
 学校に到着後はすぐにクラスメイトに『青眼の白龍』が出たことを自慢した。だが、この行いが、後にとんでもない事件を引き起こすこととなる。

 それから数ヶ月。私は『青眼の白龍』を自慢げに見せびらかしていた。友人が家に遊びに来た際には『遊戯王カード』を保管している『白い恋人』の缶の中から『青眼の白龍』を取り出し、「スゲーだろ」とでも言いたげに目の前に掲げていた。
 ある時、クラスメイトではあるものの、一度も自宅に招いたことのなかった真一郎くんが遊びに来た。私はいつものように『白い恋人』の缶ケースの中から『青眼の白龍』を取り出し、真一郎くんに自慢した。
「マジでスゲーよな。見せて見せて」真一郎くんに私はカードを手渡した。
 その後、私たちは二人でテレビゲームをしたりして遊んだ。陽の光も落ち始め、五時のチャイムが鳴ったところで、真一郎くんは帰宅することになった。玄関前に止めた自転車に跨り、帰ろうとする真一郎くんを途中まで送ることになり、近くの公園前まで横並びになって歩いた。すると、真一郎くんが立ち止まり、ふと言った。
「寝る前に電気を消して、ブルーアイズホワイトドラゴンの目をじっと見つめると夢の中に出てくるらしいぞ」
「へえ、そうなんだ。やってみようかな」私はそんな都市伝説めいた話を信じ、少しビビりながらも笑顔で答えた。
「実は俺の兄貴もブルーアイズ持っててさ、今日借りて来たんだけど…」真一郎くんはおもむろにポケットの中に手を入れ、一枚のカードを取り出した。『青眼の白龍』だった。
「俺も今日やってみるから、お前もやってみ」真一郎くんが言った。
「真一郎くんもブルーアイズ持ってるんだ!」私は何も疑うことなく真一郎くんの言葉を信じた。
 そして会話はそこで終了し、私は徒歩で来た道を戻った。宝物である『青眼の白龍』の待つ自宅へ。
 帰宅して、私はすぐさま『青眼の白龍』の瞳を確かめることにした。リビングのダイニングテーブルの上に『白い恋人』の缶ケースが置いてあるのを確認し、意気揚々と蓋を開けた。
 ところが、『青眼の白龍』の姿がない。収納してあるノーマルカードの陰に隠れているのかと隅から隅まで探したが、どこにも見当たらない。私の心臓は脈を打ち始める。ドクン、ドクン、ドクン。焦燥に駆られた私は部屋の中をくまなく探し続けた。先ほどまで遊んでいたテレビゲーム機の周辺、オヤツのゴミを捨てたゴミ箱、おもちゃ箱の中…どこをどう探しても『青眼の白龍』は見つからなかった。私たちが遊ぶ姿をカウンターキッチンから見守っていた母に聞いても行方はわからなかった。私の顔は青ざめた。『青眼の白龍』を最後に見たのはいつだったのかを回想した。そして私は思い出した。真一郎くんに手渡したきり返してもらっていないこと、さらに真一郎くんが兄から借りたという『青眼の白龍』を持っていたことを。あの時は深く考えもしなかったが、そもそもなぜ真一郎くんは私たちが遊んでいる最中にカードを見せず、帰り際、それも家を出た後に自慢してきたのか。私の頭の中で次々に疑問が浮かび上がってくる。不覚だった。遊んでいる最中は興奮状態にあり、『青眼の白龍』の所在を確認していなかった。こうして私は一つの答えにたどり着いた。そう、私の『青眼の白龍』は盗まれたのだ。

 翌日、私は校舎の前の通学路で、真一郎くんに『青眼の白龍』が失くなったことを伝え、行方を知らないかと尋ねた。すると、真一郎くんはあからさまに不快な顔をして「知らない」と答える。それでも私は遊んでいた時に返してもらったか、その後どこにしまったかを覚えていないかと尋ねた。すると真一郎くんは「知らないって言ってるだろ!」と私を突き飛ばした。コンクリートに私は叩きつけられた。そして真一郎くんは私のことを睨みながら見下ろしていた。それからというもの、私は真一郎くんにカードの在処を尋ねることも、『青眼の白龍』に関する話題も振ることはなかった。
 人々が少子化だと騒ぎ立てる世の中。ただでさえクラスメイトが少ない中、私が住んでいるのは”村”である。一学年に三十六人の一クラスしかない。これから六年にわたって生活を共にする人間とこれ以上揉めても何の意味もない。幼いながらに私は悟ったのだ。
 大切にしていた『青眼の白龍』は盗まれた。ここで諦めたら、一生手元に戻ってくることはないだろうが、たかがカード一枚、私は諦めることしかできなかった。

 それから数ヶ月後、私は再び盗難の憂き目に遭うことになる。
 今度は『ベイブレード』を盗まれたのだ。私も、そして私の母も再び繰り返された蛮行に驚きと怒りを覚えた。しかし、件の事件はすぐさま解決されることになる。事件の犯人は、よく我が家に遊びに来ていた友人の一人だったのだ。母親同士に面識があったため、『ベイブレード』が盗まれたことを話したところ、相手方の自宅でそれらしき物を見かけ、問いただしたところ、正直に話したというのだ。今回ばかりは無事に手元に返ってくることもあり、一安心ではあったが、私は信じていた友にさえも裏切られたような気持ちになり、誰も信じられなくなってしまった。さらに追い打ちをかけるかのように、手元に戻ってきた『ベイブレード』はシールがぐちゃぐちゃに剥がされた見るも無惨な状態になっていた。それを見た母が「仕方ないね」と言ったのを二十年以上が経過した今でも鮮明に覚えている。私はクラスメイトや友人を家に呼ぶのが怖くなってしまった。敷居を跨がせれば何かを盗まれ、他人の物を我が物顔で自慢する。そんな彼らのことが憎かった。そして見る見るうちに、私自身の中で、何が善で、何が悪なのか、その境がわからなくなっていった。みんなやっていることだし、私だって良いだろう、と。

 それは刹那の出来事だった。
 ある日、友達の家を訪れていた私の目に、ふと、『ポケモンカード』のレアカードが目に留まった。そこまで欲しかったわけでもない。『ポケモンカード』を集めていたわけでもない。しかし、私は目の前にあるカードをポケットの中に滑り込ませていた。周囲は友達の声がこだまし、静けさとは無縁の空間だった。だが、その瞬間、私の耳に聞こえていたのは、友の無邪気な声の数々ではなく、ドクン、ドクン、と時が経つほどに速く、そして大きくなっていく、自らの心臓の音であった。私は頭の中で何度も自分に言い聞かせた。「みんながやってること。自分は悪くない」と。幾人の友人たちがテレビゲームに興じる中、私はカードの置かれていた机の前に座り、ただ机の中央一点だけを悶々と見つめた。ドクン、ドクン。次第に他人の物を盗んでしまったという罪悪感が押し寄せてきた。自分がカードを盗まれた時どんな気持ちだったか、この行いを母が知ったらどんな気持ちになるか、何より自らの手を罪に染めてしまって良いのか…ドクン、ドクン。いいや、これはやってはいけないことである。私は気がついた。他人の物を盗むことはいけないことである、と。例え、何度も私物を盗まれる憂き目にあったとしても、自分までもが盗人と同じところまで身を落とす必要はない。
 そして私はポケットからカードを取り出し、そっと元の場所へと置き戻した。ここまでの出来事は恐らく五分となかっただろう。だが、ポケットの中にカードが入っていた時間というのは私にとって永遠にも感じ得る時間であった。
 その後、『ポケモンカード』の所有者である友人が私の前へとやってきて「あれ?あのカードどこ行った?」と一言発した際、小心者の私はつい「ポケットには入ってないよ」とポケットの中を見せる仕草をしてしまった。その友人は恐らく私のことを不思議に思っただろう。しかし、その友人が無事にカードを見つけた時には言いようのない安堵感が私を包み込んだ。いつの間にか、あの不快極まりない心臓音は鳴り止み、穏やかな気持ちになっていた。
 その後の時間というのはとても晴れ晴れとした気持ちになり、いつにも増して友人たちと楽しい時間を過ごした記憶がある。もしもポケットの中にカードを忍ばせたままでいたら、あんなにも楽しい時間は過ごせなかったであろう。
 後日、私はこの事実を母に話した。すると母は顔を真っ赤にして私のことを叱った。
「でも、元に戻したし…」と私は釈明したが、「そんなの関係ない!顔も見たくない!」と言われ、その日は口を聞いてもらえなかった。
 例え一瞬であろうと物を盗もうとした”事実”に変わりはない。この罪悪感はいつまでも私の中に残り続けることだろう。

 あの日、私の『青眼の白龍』を盗んだ真一郎くんは今どんな気持ちなのだろうか。
 そんなことはすっかり忘れてしまっただろうか。少なくとも、盗まれた私は克明に憶えている。
 ネット記事や動画で『青眼の白龍』の価値などを目にする度に思い出す。同時に自らが盗みを働こうとした嫌な記憶、罪悪感までもが呼び覚まされる。
 カードを元の場所に戻した私とそのまま持ち帰った真一郎くん…一瞬の判断が”事実”を変えたと言っても良いだろう。もしかしたら、真一郎くんもまた『青眼の白龍』を目にする度に、私とは異なる罪悪感を感じているのかもしれない。

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