つゆくさの君へ
つゆくさの君へ
清子(さやこ)さん、ごぶさたしております。
今になって「つゆくさの君」だなんて、由希子さんったら唐突になにを、と呆れていらっしゃるかもしれませんね。
ここのところずっと、あなたとの出会いを思い返していて、つい女学生時代のように「つゆくさの君」と呼んでみたくなったのです。つまらない感傷をお許しくださいね。
私たちがはじめて言葉を交わしたのは、私が十六で、あなたが十五の春でしたでしょうか。
あの頃女学校では、上級生が下級生に恋文まがいの手紙を渡すのが流行っていましたね。
わたしはそんな流行(はやり)に乗るつもりはなく、ずっと上級生とも下級生とも交流を持ったりはしませんでした。
けれどある日、中庭の花壇でひとり花の世話をするあなたを見かけたとき、どうしても手紙を渡したくなってしまったのです。
下級生への手紙には「何々の君」と、花の名を冠した愛称を記すのがお定まりでした。
今だから言いますが、あなたにふさわしい花を探すために、何日も頭を悩ませ図書室に通いつめたのですよ。私にも、意外とかわいいところがあるでしょう?
私たちが親しくなってから、あなたは「おねえさまは、なぜ私を『つゆくさの君』とお呼びになったの?」と、少し不満げな顔をしましたよね。
「つゆくさは雑草ではありませんか」とむくれるあなたがかわいらしく、そんな表情をもっと見たくて、私は意地悪してつゆくさを選んだ理由を話しませんでした。
結局、その話はうやむやのまま、何十年もの月日が流れてしまいましたけれど……。
このような関係は、上級生が卒業した時点で自然消滅してしまうものですが、私たちはお互い違う道を進んでも、こうしてやりとりを続けてきました。折に触れて手紙やプレゼントを送り合ったり、お互いの家に招いて一緒に食事をしたり。
そうそう。この手紙を書いているインクを買った時のこと、覚えていらっしゃるかしら?
あなたがご家庭の事情で福岡に越すことになった時。私たち、離れるのが辛くて悲しくて、毎日のように会っては泣きはらしていましたよね。
あの頃は今ほど交通網も発達していなかったし、女が好き勝手に行動できる時代でもなかった。私にとって東京と福岡は、絶望的な距離に思えました。
「直接会うことができなくても、文通はできるわ」
私は、自分にもそう言い聞かせながら、泣きじゃくるあなたを慰めました。
「おそろいのペンとインクで手紙を書こう」と思いついたのは、どちらだったでしょうか。そのアイデアに、暗雲から一筋の光がさしたように感じたのを、今でも覚えています。
そうと決まったら行動は早かったわね。二人で外国の品を扱うお店に行って、おそろいのガラスペンを買って。
色によってラベルの絵が違う「ウィンザー&ニュートン」のインクがとても素敵で、「このインクにしましょう」とすぐに意見が一致しましたね。
どの色を買おうか迷ったあげく、あなたは海で遊ぶ小さい男の子が描かれたウルトラマリンを、私は植木鉢の絵のピートブラウンを選びました。
あなたは「もっとかわいいラベルのインクにすればよろしいのに」と笑いましたが、植木鉢のラベルを見るたび、一心にお花の世話をしていた女学生時代のあなたを思い出すのです。
あの時一緒に買ったインクは、もう使い切ってしまったけれど、あなたに手紙を書くために何度も同じものを買い求めました。今、この手紙を書いているインクも、孫娘にインターネットとやらで買ってもらったのですよ。
この長い人生の間に、それぞれお見合いをして家庭を持ち、育児や家政に忙しくて、やりとりが途切れがちな時期もありましたね。それでも、数ヶ月に一度はあなたに手紙をしたため、あなたから届くたよりや写真を心待ちにしていました。
あなたの写真はもちろん、あのウルトラマリンの男の子みたいな、ご子息の幼い頃の写真も、今も大切に文箱にしまってあるのですよ。
でも清子さん。あなた、ちょっとご子息の教育を間違ったのではなくて?
あなたの文箱を開ければ、私と親しくやりとりをしていたことくらい、ご子息にもわかったでしょうに。
私、先日喪中葉書をもらってはじめて、あなたが亡くなったことを知ったのですよ。
四月だったのですってね。あなたがもうこの世にいないことに、私、八ヶ月も気づいていなかったのよ。
もっとも連絡をもらっても、私ももうホームの庭に出るのも難儀なくらいだから、あなたのもとへ駆けつけることはできなかったけれど……。
ああ、ごめんなさい。
出すあてのない手紙とはいえ、インクが涙で滲んで、読みづらくなってしまいましたね。
近いうちに私がそちら側に行ったときには、ご子息の教育について少々お小言を言うつもりだから、覚悟しておいてね。
つゆくさの君──私だけが見つけた、小さくて可憐な花 清子様
あなかしこ 由希子
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