残されたエフェメラ
二股が発覚したとき、莉奈は言い訳をしなかった。
「やっぱり結婚したい。子どもが欲しいんだ」
きっぱりとそれだけを言った。
一縷の望みをもって、相手の男性が本当に好きなのかと問うと、莉奈はあっさり「好きだよ」と答えた。
せめて、私にはどうすることもできない理由で、捨てられたのだと思いたかったのに。その希望も断たれてしまった。
「希子への『好き』とはちょっと違う。でも、彼とは家庭を築いていけるって思ったの」
逆に言えば、私との将来は思い描けなかったということだ。
「最後にわがままを言っていい?」
一緒に暮らした部屋を引き払う日、莉奈は私にスクラップブックを差し出した。
「これ、持って行けないし、希子との思い出が詰まってて、私には捨てられないから。希子に処分してほしいの」
莉奈の去ったがらんどうの部屋で、私はひとりスクラップブックをめくった。
一緒に観たミュージカルの半券。絵はがき。プレゼントの包装紙の切れ端。
本来なら、役目を終えるとすぐ捨てられてしまうものたち。
こういうものを「エフェメラ」というのだと、付き合い始めの頃、莉奈が教えてくれた。
「儚いからこそ、愛しいよね」
付き合っていた三年間、莉奈はエフェメラを収集し続け、そしてまとめて捨てていった。私と、私との思い出も一緒に。
エフェメラをひとつ残らず破り捨てたら、少しは気持ちが晴れるだろうか。
私は最初のページから、ショップカードをはがした。今でもよく覚えている。はじめてデートした店のものだ。
カードを破ろうとして、裏の書き付けに気がついた。
『何年後もずっと、希子と一緒にいられますように』
私は憑かれたように、次々エフェメラをはがしていく。
すべてに莉奈の言葉が残っていた。
いつか来る終末を予感しながら、それでもふたりの永遠を祈る──そんな言葉が。
最後のエフェメラは、二股を問い詰めた時の、カフェのポストカードだった。
『ごめんね、希子。私の一生で一番愛しい三年間だった。今までも、これからもずっと』
私は窓を開け、裸足でベランダに飛び出した。周囲を見回しても、もう莉奈の姿は見えない。
「莉奈……」
涙が頬を伝い、ベランダのコンクリートにぽたりと落ちた。
いまごろ莉奈は、もう電車に乗っている。
エフェメラと私を残して、彼の元に向かっている。