能「皇帝」に思うこと その11
能「鉄輪」の使用面
能「鉄輪」は丑三つ時に貴船神社に参詣する女性が登場する。前半は夫に捨てられた女性が苦しみから解放される為に足繁く貴船の宮に参る。後半は神託の告げにまかせて復讐の鬼となる。使用面は前半が「泥眼(でいがん)」後半が「橋姫(はしひめ)」である。
この二面、いずれも眼には金が施してある。(泥眼の名前の由来は眼に金泥を塗っているところから来ている。)それは能面の世界では「生きた人間ではない」キャラクターだというルールだ。何故眼に金が入ると生きた人間ではないのか。鉄輪の前半の女性は生きている人間のはずである。
以前、この二面を蝋燭の灯りで照らして見た時『百聞は一見にしかず』とはこの事か、と思った。私が普段見ている能面の表情は上からの光源を前提にしているので谷崎潤一郎の言葉を借りるなら「能楽のほんとうの持ち味」の半分しか見ていなかったのだと自覚した。 ※能「皇帝」に思うこと その4 を参照してください
下からの灯りと眼の輝き
能面は目に金泥または金具が施されていると、蝋燭の光を受けて暗闇の中で輝きを放つ。鉄輪の前シテは笠を深々と被って顔が口元しか見えないが、下から覗くとその目は暗闇の中で光っているのだ。目が光っている人間はもはや普通の人間ではない。そのリアリティが知識としての能ではなく、実体験としての能として、何百年もの時を超えて目の前に現れる。もしかして、これが「能のほんとうの持ち味」なんじゃないか、と考えるようになった。
橋姫の彫りの深い形状も影を宿した時の恐ろしい表情を計算して、元々は作られているのではないかと感じる。能面が発明された時代には今ほどの明かりがなかったので、当然の事であろう。
これらの経験から野外での能に見た夕陽の美しさ、陰翳礼讃に語られた不思議な世界、そして能の世界に身を置いてきた様々な知識・経験が一気に合わさってストンと腑に落ちたのである。現代に生きる一人の能楽師にとってこれはとても特別な瞬間となった。
つづく
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