カルティエ展で人の夢に出会う
東京出張があったので、カルティエ展へ行ってきました。
国立新美術館は結構好きな所の一つで、特に乃木坂駅から直結になっている通路から入っていくのがすごい好き。
階段を上がっていく感じも良いし、地上に出た時に目に入る景色がまた良い。YouTubeでVlogにしたけど、カルティエ展がむちゃくちゃよかったって話です。
見終わって、頭の中がパンパンになったのでとりあえずメモしたのを補完していきます。
カルティエのクリエイションのもとは自然のモチーフ
途中で動物の写真、イラスト、植物、中東のモザイクなど、たくさんの資料を展示しているところがあった。本当にたくさん。
発表当時では非常識で絶対に合わないと言われてた色や素材の組みあわせの中に美を見出し、ジュエリーに表現していることが、なんか心にジーンときたな。
これが美しい。と思ったら、美しいし、誰にもその感情を止めることは出来ない。
自分が良いと思ったものを、そのまま表現すれば良いんだ。
自分はなるべく常識にとらわれないようにしたいと思っていたけど、気がつかないうちに考え方が固定されてしまう。常に新しいものを見たり、知らない考えに触れることが必要だし、その自分の行動自体にも、何かモヤっとしていた自分の気持ちの背中を押される気がしました。
カルティエの展示内容が素晴らしかったから、というのが前提。
受付から最初の展示までの通路が、長い。
解説用のヘッドセットを受け取ってから暗い通路をしばらく歩く。直線距離にすると短いけど、何度か角を曲がるように歩くことでワクワクする心の準備ができるようになっている。
まだかな、と思って進んでいくと、ついに時計のオブジェと出会う。やっと見つけた。響く機械的な時計音。ここで心にマジックがかかる。スポットライトを区切るカーテンで、オブジェだけ空間に浮かび上がって見える演出だ。宝石という石自体が過ごしてきた永い時間、作品として仕上がるまでの多くの工程と、それが継承されてきた時代の流れが時計のオブジェの中で交錯する。
悠久の時間を経て生成され奇跡的に見出された宝石と、
世界各地の自然物や文化などから着想を得たデザインが、
卓越した職人技術によって結実したカルティエの宝飾——
それはいわば世界の縮図であり、
地球や文明との時空を超えた対話であるといえます。
新国立美術館HPより
これ、後から読んだんだけど正にこんな感じ。
最初の展示では、それぞれの作品が天井から吊られた黒いカーテンで仕切られていて一つの目線の中に、一つの作品しか見えないようになっている。
そして、最初の展示ステージは時計の円盤の上に上がったみたいだ。その展示スペース自体が一段高くなっていることで、時間の世界に迷い込むみたいだ。
最初はヘッドセットから流れる解説を聞いていたけど、途中からは聞くのがだんだん面倒になる。視覚だけの情報にしたい。
ジュエリーと、その展示の演出
時計に続くジュエリーの展示エリアは薄く、白いカーテンで区切られた中に、杉板を背景にした箱が並んでいる。
杉板の木目に現れる時間の流れと、宝石に含まれた時間の流れ、ジュエリーを作成する時間の流れ、作品が完成されてからの時間の流れ。気が遠くなるような時間の切り取りが続く。一つ一つの展示ボックスの中に、どれだけの時間が詰め込まれているのか、もうよくわからない。
インドのマハラジャが持っていた宝飾品がモチーフのネックレスだ、という解説を聞いた気がした。ブレスレットも、ビーズがこれでもかと詰め込まれている。そのビーズって全部、宝石ですよね。エキゾチック、エキゾチカですね。オリエンタル、東洋の憧れを全てモチーフにして作品がつくられている。
廃墟の神殿のような演出
ブロックを積み上げた、古い神殿のような演出のエリアには、幾何学的なデザインに抽象的なイメージの作品が展示されている。
壊れた時計を修理する際に、歪んだ盤面からインスピレーションを受けたデザインからはサイケデリックな視覚効果を受ける。シュールレアリズムの作品を見るように、意識が変容していく感覚。
「自分が扱っている靴づくりに対しても
同じように自由でいいんだよな」って思う。
ホールカットの靴にペインティングしようと思ってて、イメージは
イラスト、モチーフ、模様、曲線的、直線的、シングルカラー、ミックスカラー、イッテンモノ=ITTEN MONO(一点物)
森羅万象からのインスピレーション
宝石は時の流れを飲み込んでいる
一つの作品に一つだけの視点が入るようになっている。
他のものは目に入らないし、音声の解説は追いつかない。
聞き取れるのは、クリエイション、モチーフ、インスピレーション、という言葉たち。
近代の時活躍する女性のモチーフ:パンサー
抽象的に、具象的に、想像力の限り想像力は大量のインプットから生まれる。メゾンの持つ、大量のアーカイブを見て思う。
和とのフュージョンも興味深い。畳の舞台に古い木製の和盆、掛け軸 時間の流れ、足し算じゃない、掛け算の時間の流れ。
様々な動植物のモチーフに、最近はサボテンが加わったとか。
展示スペース自体がオーバル。楕円。
時の流れ、終わりのない。一つの作品に、一つの視点。
出口でお土産を見る。この感動を持ち帰りたい。
ポストカードは作品の接写の写真だった。そうそう、オンリーワンの接写でいいんだ。自分の感じたことを忘れないために。ジュエリーはそのものを写すだけで美しい。
靴のトゥも接写、グラデも接写することができる。そこに宝石のような時間の流れは少ないけど、美しさはある。
アート作品のお土産なら、ペーパーウェイトもいい。見るたびに感動を思い出せるんだなと思った。
靴は履き込むごとに慣れてしまう。こなれてきた革製品をみて、自分が過ごしてきた時間を振り返ることができる。それが価値だ。
新しい革製品は、これから自分が過ごしていく未来の時間を創造することができる。想像したものは、現実になる。ワクワクする未来が価値だ。
どんな価値を提供しているのか。
モノを持つことが価値ではない。
モノを持つことで自分が輝く未来を想像できることが価値だ。
カルティエ展、心が震えました。