(250111b+) 才覚の無い人が本当に役に立たないかについての一考察。

僕の考え方の、ワンパターン的な考え方の中に、
「相手の立場に立つ事は、(同じ人々を)突き動かすのに有利である」
という考え方が在る。
だから、「相手の立場を理解できる様に努める必要がある」と
考えている事が多い。

その流れで、
才覚の有る人は、才覚の無い人の立場に、かなりの程度で、立ちづらい。
従って、彼らは才覚無い人たちを突き動かすのには、向かない。と思う。
だから、才覚無い人にも、相応に確かに、役立つ道が在る!
それは、僕の考え方の一つになっている。

立場が同じ人は、立場が違う人と比べて、圧倒的に、
同じ気持ちや同じ状況を理解し易い。
例えば、天才の数は世界の人の数に比べて、圧倒的に少ないと思う。
つまり、才覚無い人の方が、世界には多いという事になるだろう?
すると、世界の中に居る多くの大多数の人々を突き動かす能力や適性は、
才覚有る人より、才覚無い人の方が、近くて有利な位置に居る事になる。
そうならないだろうか?

「蛇の道は蛇(に聞け)」である。

この考察は、僕が今だけで思い付ける、一つの例に過ぎない。
もっと他の魅力的な方法や例が在る可能性は高い。

確かに、天才(の発明や発見)は、世界の技術を突き動かす事には有利だ。
だけど、
才覚有る人は、天才の気持ちや立場に近いし、
才覚無い人は、世界の多くの人の気持ちに近い。

そういう訳で、
もっと極端な例で、
例えば、逆境から(仕方がなく)逃げた人も、逃げなかった人も、
悪人でも、善人でも、
その人なりに、その立場なりに、役立つ可能性は、必ずある。
希少価値が有り、圧倒的に少数派の人は、
希少価値としてレアな立場に立ち易い。
希少価値が無く、圧倒的に多数派の人は、
大多数の立場に近いから、メジャーな立場に立ち易い。

そう思わないだろうか?皆さん。

まあ、そんな事を考えています。
もちろん、役立ちたいという気持ちの有る無しは、
役立たれる(受け身の)人々にとっては大事なキーポイントかも知れない。

これらの考察は、今現在の僕が知っている範囲でしか無い。
もっともっと、面白くて興味深い有用性があるかも、知れない。

だから、皆さんも、ボーっと考えてみる事を、勧めます。

そんな感じで、

以上です。


追加です。(2025/01/11 - 10:05 頃)

例えば、何かや(僕を含めて)誰かを妬んだり嫌ったりする人や、
(一般的には犯罪と思われてしまう事を)主張する人など
数限り無く(自分にとって)不可解な思いをする人が居る、確かに居る。

そういう人であっても、
僕は「何故だろうか?」
「どういう根拠や論拠で嫌う等の反対的な行動を選ぶのか?」
と考え出してしまう方(ほう)なのである。

特に、当人が一定以上の自信や自分の誇りを賭けて主張する内容には、
相当に確かな程度でソコソコに妥当な論拠や事情が確かに存在していると
考えている。

その人は「何故、この簡単な筈の事が出来ないか?実行に移さないか?」
等についても、
僕は、「無能だから」とは、ほとんど、そうは考えていない。

「何故か?」と、ソコソコに真剣に(?)悩み始める。
まあキリが無いのも、解っているし、大抵は解決もしない。
でも、嫌悪に辿り付くのは(僕は)マレな方(ほう)で、
どっちかと言うと、「未処理、未解決問題」と認識する事が多い。

例えば、(約二千年前に)イエスを処刑したユダヤ人たちは、
どういう根拠や気持ちが有って、あんな一般的には非常識な結論を出した?
という事も、考え出してしまう。

とまあ、結構、キリが無い事を平気で考え出し、
そして、大抵は、「判らない!」という結論に辿り付いている。

そーんな感じで、延々と、考えている状態なんです。

以上です。


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Tatsuo Yokoyama
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