(250121a) 「蓼食う虫にも好き好き」になって行く根拠の考察。

イエスの言葉で、土地と種にまつわる比喩(たとえ話)がある。
「ある土地に種を蒔いたら、不毛な土地で植物(の種)が育たなかった」
「ある土地に種を蒔いたら、イバラの中に植物(の種)が吞み込まれた」
「ある土地に種を蒔いたら、普通に植物(の種)が生育した」
「ある土地に種を蒔いたら、植物(の種)が普通の百倍もの生育をした」
などなどが、
あるのは、聖書を読んだことがある人は、知っていると思う。

例えば、火山などで、岩石がゴロゴロしている様な土地に、
イネの種など(普通の土地で生育する種)を蒔いても、生育する訳が無い。
だからそんな(岩だらけの土地)には、松などの種を蒔くとよく生育する。

逆に、平地で、肥えた土地などに松の種を蒔けば、
今度は、他の植物の種がちょっとでも入れば、
他の植物の種の成長に邪魔されて、松の種は事実上生育できないだろう。

そんな風にして、
土地と種との相性というモノがある。

さて、土地と種とはどういう事なのか?
僕が勝手に考えた内容では、
「土地」とは(主に、大抵は)女の事である。
そして、
「種」とは、(主に、大抵は)男の事である。

そんな風にして、
(男の持っている)種に適合した、土地(女)に蒔かないと、
うまく行かない。

種とは、「考え方の基盤となる何か」である。
それを男は、女という土地(たぶん心(?))に種を蒔く。
そして、その種を受け入れた土地(女)は、
その種がよく育つように、心を配ったり、男も見守る。

だから、
女という土地に、他の男の種(考え方の基盤)が、混ざり込むと、
男も女も、その異物である種を取り除くのには、苦労するだろう事は明白。
だから、男は他の男(の種)を蒔かれたくは無いと考えガチなのは当然。
それが当たり前。

だから、離婚と再婚は、土地と種の相性の良さが判らなくなったり、
異物の種を蒔かれたり、
別々の土地に同じ種が蒔かれて女同士の競争に成りかねない。

イエスの土地と種にまつわる比喩(たとえ話)って
こういう事かも知れない。
今、そんな事を考えていた。

ってな事に成らないだろうか?

今、僕は、そんな事を考えている。

まあ、

以上です。


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Tatsuo Yokoyama
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