前述のブッダの言葉に関する僕の反応の仕方。(Ver230609d)

前述のブッダの言葉(名言?)に関する僕の反応の仕方。

・言われてみれば、そうかも? とは思うが、
 実は、僕は鵜呑みにしていない。納得できない部分が、
 かすかに在るから。
・「悪口」に関しての言葉であり、そこそこ納得もしたから、
 掲載した。
・僕なりの手法。つまり、相手の立場と自分の立場を入れ替えた言葉を
 使うのは、前述のブッダの言葉の流儀に従うと、
 「毒蛇を渡されそうになった。
  だから、お礼に?お返しに、毒蛇を渡した。
  」
 という状態になるのかもしれない。まあ、いいか。
 ちょっと過激な手法かな?ブッダに比べて。
 ただ、かなり頑迷な人に対しては、無視してやり過ごすより、
 相手に自分のやった事を自覚させるのも、手段の一つだと思う。


正直言って、僕は相当!疑り深い。
自分がほぼ完全に納得するまで、そのロジックをかなり突き回して、
調べる様な類いの人間である。

悪口が悪い事は、感覚的に自分でも気持ち悪いから、判るのだが。
では、何故?! そうなるのか? という事まで、僕は調べ始め、
考え出す類いの人間である。

イエスの言葉だろうが、ブッダの言葉だろうが、
納得できない場合は、僕はけっこう容赦しない人間である。
別に、イエスやブッダが疑り深くなるのに相応しい人間だとか言ってない。

ただ、僕の傾向としては、
僕自身が心から納得でき理解でき、・・・、というモノを常に求めている。

だから、ブッダの言葉だろうが、お構いなしである。

例えば、
・何故、悪口は毒蛇の類いなの?
・毒蛇が、たまたま、あなただけには噛み付かなかったらどうなる?
・ブッダの忍耐力が偶々及ばず、毒蛇を受け取ってしまった場合、
 ブッダならどうするだろうか?
 ・・・
といった感じで、僕は結構キリが無い事を、延々考える方である。

まあ、今回のブッダの言葉は、言われてみれば何となくは、理解できるが、
何となく気持ち悪い。というかシックリ来ない。

そうなると、僕は色々考え始めるのでした。

悪口ならば、毒蛇である。という十分条件か?
それとも、
悪口である為には、毒蛇である必要がある。という必要条件か?
それとも、
悪口は毒蛇と全く同じ。つまり必要十分条件か?
等と考えてみたり、まあ、色々調べ出してしまう。

それから、あるロジック。例えば「AならばBである。」という論理。
これを調べ始める時、
僕は、結構、屁理屈の様な極端な例を考えてみる事が多い。
それは、矛盾やロジックの欠陥を調べる時に役に立っている。
どういう事か?

例えば、以前書いた記事である、


この記事でも、結構、極端な例を比較していると思う。
悪口:他人を悪く言う事?
断罪:他人の罪や悪い事をしていた事を、悪く言う事?
・・・
とでも言ったら良いか?

暗黙の前提となっている事柄を変更して、
それでも問題になっているロジックは成り立つか?
等を調べ始めるのである。

悪口。
  悪く言われている対象の人。
  悪口を言っている人。
  悪口を聞かされている人。
  悪口で言われている内容。
に於いて、
その要素が常識的でない事柄を含む場合など。
なぜなら、僕達は、前提条件を常識的に採りガチである。
そこら辺を、突き崩してみる。そのロジックを調べる。など。

などなど。

僕という人間は、そうとうに、疑り深い人間でもある。

うまく纏まらず、申し訳ないが、
以上の様な事を、僕はやっています。

以上です。

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Tatsuo Yokoyama
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