#上野翔太郎 駒大時代の背番号変遷と、駒大硬式野球部背番号の話
昨日、今季から三菱日立パワーシステムズでプレーする上野翔太郎選手の駒大時代の背番号についてこんなツイートをしました。今季から背負う18番はフレッシュトーナメントで着用している気がしたのですが、はっきりと覚えていなかったので駒大での背番号変遷と合わせて調べてみました。
上野 翔太郎 (うえの しょうたろう)
右投げ右打ちの投手。3月に駒澤大学経済学部現代応用経済学科を卒業。駒大では1年次春季から登板を果たし、主にリリーフで起用されたが、制球難やアクシデントなどでなかなか定着できず。副将となった4年次も制球に苦しんだが、春季1部2部入替戦から復調。秋季は2勝を挙げた他、先発した1部2部入替戦2回戦では1安打完封の快投でチームを1部残留に導いた。2015年侍ジャパンU-18代表。今季から三菱日立パワーシステムズでプレーする。
東都1部2部通算25試合出場2勝2敗、50 2/3回自責点25、防御率4.44。1部2部入替戦通算3試合出場2勝0敗、13回自責点3、13奪三振、防御率2.08。
上野翔太郎選手、駒大時代の背番号変遷
手元にあったメンバー表などを元にしているので、もしかしたら他にもあるかもしれません。4年間で6回変更。特に2年次は1年間で4つとよく変わりました。18番はやはりフレッシュトーナメントで着用していましたね。また、2年次秋季は登板がなかったため、11番、20番を着用しての対外試合登板経験はないのではと思います。
駒大硬式野球部背番号の話
駒大の背番号は選手が好きな番号を希望することもあるようですし、監督が頑張った選手、期待の選手に良い番号を与えることもあります。後者の具体例は2018年の菅野赳門さん(現JR東日本東北)でしょうか。3年生だった2017年春季までは9番を背負いショートやセカンドでレギュラーを務めながら、秋季は定位置を失い、ベンチ入りもできず。だが、4年生になった2018年春季に39番を着けてセカンドのレギュラーを奪い返すと、秋季は9番へ再変更。最終的にどうなったか聞きそびれてしまいましたが、夏季オープン戦の時点では、あえて本人には伝えず秋季開幕前のユニフォーム授与式でサプライズ発表する予定とのことでした。
背番号を決める際に重要なのはサイズが合うかどうか。駒大のユニフォームは選手個人の所有ではなく、部のもの。1つの番号に全サイズが揃っているわけではないため、特にオープン戦では「自分のサイズだとこの番号と言われたから」という選手も多いようです。
オープン戦とリーグ戦で背番号が変わることもあります。昨年、一昨年は少なかったですが、2017年春季は
と多くの選手が変わり、覚え直すのが大変でした。
また、上野翔太郎選手は2017年秋季に11番と20番を両方背負っていますが、この年の駒大はリーグ戦中に複数選手が同じ背番号を着用した例が4つありました。
1つがこの上野→保坂鷹佑さん(現ジェイプロジェクト)の秋季11番。
あと3つは春季で、38番が4カード目の対立正大1回戦まで小西慶治→2回戦は中野利一さん。岡本航さんだった30番が最終カードの青学大戦で中野さんへ。目まぐるしかったのが36番で、拓大戦では岡田友輝(今季から宮崎梅田学園)、翌週の立正大戦は坂本耕太郎(今季から軟式・ゴリラクリニック)、さらに翌週の青学大戦は平野英丸(今季からJR東海)と週替わりで初出場の2年生が着用しました。
特に38番は「昨日まで小西だったのに、今日は中野」というややこしさ。この試合で中野さんが代走出場した際に場内アナウンスが「代走小西君」と間違えてしまうほどでした。ちなみに突然名前を呼ばれた小西本人は制服姿でスタンドにおり、周囲の部員を見回しながら自分を指差して「え、俺?」と笑っていました。