無常が語ること。
久しぶりの帰省です。
近場の公園を見ていても大きく変わっていましたね。
見たこともない小学生たちがジメジメした地面のグラウンドから
スカッとした人工芝でサッカーをしている。
地元あるあるですが、中学生の時や高校生の時は、知り合いにバッタリ出会いそうなくらい、みんな近くにいましたよね。
しかし、今となってはパッタリ。見なくなりました。
すれ違う人はみんな知らない人ばかり。
浦島太郎はこんな気持ちだったのかなぁ。
ここから私たちは戻ることはないですよね。
これを無常と言ったりしますよね。
無常は「すべてのものは続かない」ということです。
私たちは無常の世界で生きていますが、ついつい忘れてしまいます。
すべてのものが続かない世の中。これだけ聞くとウツ。ですよね。
しかしながら、無常の元ネタは仏教なのです。
仏教ではなぜ無常を教えられたのでしょうか?
「そんな悲しいこと言わないでくれよ!」ってなりませんか?
無常っていう単語を知らなかったら、楽しく過ごせそうじゃないですか…
答えは
「無常ではないものがあるから」です。
無常ではないものを教えるために、まずは分かりやすい無常を教えているのです。
無常ではない
つまり、何があっても崩れないもの、砕けないもの、散らないものです。
世界で仏教がトレンドになっているのも、人間が根本では
崩れないもの、砕けないもの、散らないものを求めているからではないでしょうか。
忙しく動き回る現代人こそ、「無常ではないもの」を求めることが大切なのではないでしょうか。