本当の自分とはなんだろう?の答え 〜法鏡〜
さて、新年ということもありましてをしているたっつんです。
今までは自分鏡、他人鏡を紹介しました。
今日は法鏡について話をしたいと思います。
自分鏡や他人鏡では自分のほんとうの姿は見えないということを言いました。
自分の本当の姿と太陽は直視できないと言われています。
人間が追い込まれ、極限状態になった時、普段からは考えられないトンデモ行動を取ることがありますが、それが本性だと仏教では言われています。
『衣食足りて礼節を知る』
人は物質的に不自由がなくなって初めて、礼儀に気を使い始める。
という言葉もあります。
サービスの質で世界の中でもトップを走る日本ですが、
日本人の文化がそうさせているのであって、
本当に心の底から思っている人は希少なのではないでしょうか。
さあ、ほんとうの姿とはどんなものなのでしょうか?
『煩悩具足の凡夫』と言われています。
具足とは、それ自体でできているという意味で、
人間は丸々煩悩でできている、煩悩でしか、できていないということです。
煩悩と言われると何を思いつきますか?
新年ですし、除夜の鐘を思い浮かべることも多いのではないでしょうか?
除夜の鐘は一年間煩悩に悩まされた一年を振りかえり、108の煩悩が消えることを願って108回鐘を打ちます。
煩悩は文字を分けると、わずらわせ、悩ませるものであり、人間はこれがあることで苦しんでいるとされています。
日常生活でも、食べ物がなかったら、苦しいですし、片思い中は苦しいですよね。人に怒られることも苦しければ、朝起きることも苦しいのです。
これらは人間が煩悩の塊であるということからきています。
そのような人間がどうしたら幸せになれるのだろうか、ということについて
また詳しく書いていきます。