何も考えないってなんだ?
臨床美術体験 第2回目。
正直、1回目は何するのかわからず、体験してみても「これでよかったのかな?」とよく意図がつかめず終わった。「あんなよくわからない絵を描いてしまったけど、正解だったのか?」という不安が大部分だった。
そんな1回目はこちら↓
今回は2回目。前回よりはリラックスして取り組むことができた。やっぱり初めてのことはなんでも緊張してしまう。何をするんだろう?上手く描けるかな、と肩の力が入っていたように思う。
今回もテーマは2つ。
「自分の課題と思っていること」
「共感覚的に感じた味を表現する」
自分の課題と思っていること
第1回目のnoteでも書いたことだけど、私の課題は「感情が薄い」ことだ。これをクレパスで表現する。
まず真ん中に赤い小さな丸。そこから欲しいポジティブな感情(喜び、楽しみ)をイメージした色が、外へ出ていくように描いた。その周りの黒や灰色は、今、私の感情を押さえつけている理性。コイツのせいで喜怒哀楽のない、つまらない人間になっている。
あがり症だった幼少期は、この理性で緊張を抑え込むことで助けられたことが多かった。けれど今は抑え込みすぎたせいで、他の感情すらフラットにしてしまった。
といった解説をすると、「分かりやすい、それにしか見えない」との評価。1回目に比べて表現力が上がったとのこと。
そうなのかな??と、のみこめない感覚はあるものの、確かに1回目に比べて迷いがなかった。テーマが自分にとって描きやすかったのか、緊張が解けたのか、言われた通り表現力が上がったのかはわからないけれど、楽しく描けたのはよかった。今回の作品はけっこう気に入っている。
臨床美術は作成と解説・評価がワンセットらしい。自分の作品の解説と、相手の作品の感想を伝えるのもプログラムに組み込まれている。けれど、相手の作品を否定するのはNG。褒めたり、自身が感じたことを伝えるのみだ。
どっちにしろ私は絵の良し悪しはわからないので、自分なりの解釈を伝えるだけにしている。
感じた味を描く
以前のnoteに書いた通り、私は共感覚者だ。食べた物の味が見える。それをふまえて、食べた物の味を絵で描くというのが2つ目のテーマ。
ちなみに題材になったのは『inバー プロテイン ベイクドビター』。この直前に私が食べた物である。
私はビターチョコが好きなので、inバーシリーズでもこのベイクドビターを良く食べている。口の水分をもっていかれるが、それも好きだ。
そしてこのプロテインバーの味を描いたものがこれ↓
私には味が地層のように重なって見えている。色それぞれが違う色を表しており、上部に使った色と下部を塗った色は全く異なる味だ。
一番上の黒は苦み。ビターチョコならではのピリッとした苦みだ。その下の赤茶色は甘味。ときおりビターな部分も混ざるので、黒も中部に使っている。一番下の黄土色は乳製品や脂質によるマイルドさ。これらによって、上部の苦みや甘味が変に浮かず、地に足付いた安定感のある味になっている。
この作品で4枚目になるが、これまでで一番迷いがなかった。それまではどの色が良いかとか、どんな風にクレパスを使った方が良いかとか悩むことが多かったと思う。しかし今回は実際に”見えて”いることだからなのか、色を塗るだけという単調な絵だからか、とてもスムーズに書くことができた。
何も考えないで描くってなんだ?
私は何かと考えすぎなタイプだ。頭でっかちだな、と自分でも思う。それは自己防衛でもあるし、もはや思考の回路がそう出来上がってしまっているとも言える。
臨床美術は右脳で描くものだという。一般的に右脳はひらめきや感性をつかさどると言われている。何も考えずに、感じたことをそのまま表現するのが臨床美術なのだそうだ。
けれど、何を描くにしても思考は必要だ。今回の「自分の課題と思っていること」「共感覚的に感じた味を表現する」というテーマにしても、私のほしい感情はこの色にしよう、とか、苦みは黒、甘味はどの色がいいかな――とか、どう描いたら上手く伝わるのだろう?とか、あの単純な絵でも考えることはたくさんある。感じたものをそのまま表すというのは、私にとっては到底無理だと思った。
一人ではできない臨床美術
臨床美術は一人ではできない。絵を描くこと自体は一人で行うが、その作品を見せる相手が必要だからだ。一人で作って終わりではなく、誰かの作品を見る、誰かに作品を見せるまでワンセットなのが臨床美術だ。
普段、絵を描く機会の少ない私のような人間にしてみれば、そもそも人に自分の絵を見せることすら抵抗がある。誰かの絵を見ても、感想なんてそうそう出てくるものでもない。
そういった点が、臨床美術のおもしろいポイントだと思う。自分の内面を他人に見せることに慣れて、開放的になる人もいるかもしれない。発言が苦手な人が、絵の感想を言い合うことで意見を発信しやすくなるかもしれない。
たった2回経験しただけだが、絵を描くこと自体よりもそちらの方が私にとって効果があるんじゃないかな、となんとなく感じたのである。
以前書いた、共感覚についてのnoteはこちら↓
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