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テレパシーと茄子の天ぷら

いくら都市伝説やオカルトの世界には懐疑的なタイプの人間でも、実際そういった超常現象を目の当たりにすると、その存在を認めざるを得ない。僕は最近テレパシーを体験した。


3年前、「〇〇の連絡先知ってる?」「多分これだと思うけど」「ありがとう」の1.5ラリーの会話を最後に、以来一度も連絡をとっていない友がいる。

そんな彼に、久々に連絡したところ返信がこれだ。

「え、俺もちょうどみずぐちのこと考えてた!」


テレパシーだ。うん、テレパシーだ。

僕から事前に連絡が来るということを予知していたという意味では予知能力なのかもしれない。「そんなの誰にでも言えるだろ」と言われてしまえばそれまでだが、何も彼のテレパシーは今回に限った話ではないから、認めざるを得ないのだ。

彼とは高校の同級生で、クラスが一緒になったわけでもないし、部活も一緒というわけでもなかったが、文化祭をきっかけに仲良くなり、親友になった。

彼のおかげで僕の高校生活は何倍も楽しくなった。学校の会議室で一緒に映像を撮ったり、合唱祭で一緒に出し物をしたりもした。
心が折れそうな受験期に隣でラフメイカーを弾き語りしてくれたこともあった。蛍光灯もついていないカビ臭い階段で聴いたあのラフメイカーは、今でも昨日のことのように思い出せる。
丸亀製麺の茄子の天ぷらの美味しさを説いてくれたのも彼であり、それ以来茄子は丸亀製麺にいく時のスタメンだ。あなたがもし丸亀製麺で茄子の天ぷらを食したことがないのであれば、次からは是非試してほしい。あれは胃に鞭を打ってでも食べたい。

そんな彼が能力者だと最初に気づいたのは高校の卒業式。「手紙を交換しようぜ」と事前に約束をしたわけでもないのに、彼は僕に手紙を書き、僕は彼に手紙を書いた。離れてたって以心伝心。オレンジレンジが脳内を駆けまわる。テレパシーで手紙を渡すことが伝わっていたのだ。多分。きっとそうである。

その時の手紙を、ゴールデンウィークにたまたま見つけた。

便箋を手紙形に折ったタイプの手紙だ。それを開くのと同時に、当時この手紙を読んで涙したことも思い出した。
手紙には「僕らのこれからはこれまでの高校生活よりももっと楽しいものになっていく」と、思い出と共に綴られていた。当時、会えなくなる寂しさにヒッグヒッグと嗚咽していた僕は、この言葉に勇気をもらい、涙した。俺たちは「ズッ友☆」なんだなと信じることができた。ご存知の通り「ズッ友☆」は「ずっと友達」の略である。

この手紙の魅力は他にもある。「みずぐちへ」の「へ」の代わりに可愛らしいうんちのイラストが描かれている。うんちに彼のチャーミングさが詰まっている。チャーミングさにうんちが詰まっているのか。いや、どちらも大差ない。

なんせ「へ」の変わりに「うんち」とは洒落が効いている。パンツの中で起こったら大惨事だが紙面なら問題ない。それに僕はうんちのイラストが描いてある手紙で涙を流したのは初めてで、そういった意味でも印象深い手紙だった。うんちと涙は共存できると知ったのもこの手紙だ。

僕はこのうんちが描かれた手紙、いや、手紙に描かれたうんちを見て、彼に連絡したくなったのだ。嘘ではない。もしこれがラブストーリーなら、うんちは確実にキュービッドである。ありがとう、うんち。そんなラブストーリーはまだ耳にしたことがないが。

会わずにいた時間が長かった分、彼と話したいことがたくさんある。
大学時代のこと、今の仕事のこと、それに彼に憧れてギターを細々と続けていて、曲作りをこれからしていきたいこと。

特別おいしいものを食べるでもなく、特別お酒を飲むでもなく、特別どこかのレジャー施設に行くでもなく、ただ街を眺めながら歩きたい。

こんな僕の気持ちも、彼のテレパシー能力のせいで筒抜け状態で、出会いがしらに「とりあえず歩くか」なんて言われるのだろう。

そうして歩きながら話していたら、あっという間に日が沈んで、お腹を空かせた僕らは近くの丸亀製麺でうどんを啜るのだ。もちろん茄子の天ぷらとともに。

どうやら僕にも、予知能力があるみたいだ。




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餃子マン
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