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僕の「言葉の企画2020」第0回


「言葉」について懊悩していたのが、2018年の秋の話。
当時僕は、広告コピーについて学ぶ講座に通っていた。
毎週土曜日の16時から2時間。事前に出された「この商品のキャッチコピーを書いてきてください」という課題に対して、答えを何十作品か持ち込み、受講生のなかでどれが最も優れているか順位をつけていく講座。

全部で十数名参加しているその講座で大体一人平均で10本。課題に対する答えを持ち込み、順位をつける。上から10名には金の鉛筆が配られ、表彰される。それが半年間続いた。

半年間を通して僕が獲得できた金の鉛筆の本数は10本にも満たない程度。最終日の課題でついた順位は下から数えて二番目だった。言葉を仕事にすることを目標にしてた僕にとっては、絶望的な順位。そのくせ諦めだけは悪かった。玉石混交なんて言葉があるが、僕は完全に石。川縁に転がった水切りにも使えないようなゴツゴツした小さな石だった。

それでも当時の先生がビール一杯190円の居酒屋で「続けていくことが何よりも大事。才能で決まるものじゃないから、書くことを続けなさい」と顔を真っ赤にしながらみんなに話していたことを覚えている。あれは僕に向けられた言葉なのだと言い聞かせ「いちばん長く続けてやろう」僕も同じく真っ赤になりながら決意した。

昔の広告コピーに関する書籍を買いあさり、言葉を仕事にしている人たちをSNSでもフォローした。とにかくたくさん言葉に触れることがその時の僕には何よりも重要に思えたから。

学びたかった。どうしたら伝わる一言を見つけ出せるのか。
言葉を仕事にできるのか。

しかし、幾ら本を読んでも言葉に触れても答えがわからない。漢字ドリルや百マス計算のように、終わりが見える瞬間は一向に訪れない。
音のない真っ暗闇の部屋で感覚だけを頼りに出口を探しているような、そんな感覚だった。

暗闇の中をふらついている時にSNSで見かけたのが「企画でメシを食っていく(企画メシ)」という講座だった。調べると開催している阿部広太郎さんは、僕がやりたいと思っていることを全部やっている人だった。羨ましかった。悔しかった。
インタビュー記事、個人で書かれている文章、どれを読んでも須く羨ましかった。同時にこれは憧れる気持ちでもあると理解した。理解したというより、そう言い聞かせないと涙が出てしまいそうで、自分の感情に耳を塞いだという方が近いかもしれない。真っ暗闇の部屋の中に、微かだけど光が見えた気がした。

あれほどまでに長いと感じていた時間も、この光のおかげであっという間に感じた。まだ肌寒くはあるけれど、くすんだ空気、薄紫と青鼠色の空から春らしさを感じたことをよく覚えている。僕は「企画メシ」に申し込んだ。

開催地であるみなとみらいに赴き、カフェで志望理由を考える。カフェインにお腹をやられながらたくさん迷った。本当にこのまま送っていいのか、もう少し考えた方がいいのか、行ったり来たりしながら、最後の最後、時間に押し出されて応募のボタンを押した。

結果は落選。

でも僕の春色が曇ることはなかった。なぜなら同時期に開講する予定の「言葉の企画」という講座にも応募しようと思っていたから。同時受講になった場合、やりきれる自信がなかったからこそ、結果を受けてどうするか決めようと思っていた。

とはいえ一時は落選のショックに打ちひしがれながらも、早々に持ち直し、Twitterで応募するための申し込みページを探した。すでに一次申し込みは終了していたため再販のタイミングで、申し込みを試みた。

ダメだった。
5分で完売。僕はその5分の間に申し込みページを開けなかった。

悲しさも悔しさも感じなかった。ただ、ポッカリと胸のあたりの風通しがよくなってしまった。僕は一人で闘うように運命づけられているのかとすら思った。それからしばらくの間は20そこらのいい大人なくせして、夜泣きした。あの5分間、自分がスマートフォンを手に持っていないことを激しく後悔していた。


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「言葉の企画、通うことになったんだ」


申し込み期間が終わり、しばらくしてから当時一番近くで過ごしていた人が、申し訳なさそうに僕に言ってきた。僕にはそれが申し訳なかった。
きっと気まずい思いをさせてしまった。あの時はごめんね。今更だけどちゃんと謝りたい。

とはいえ当時の僕は、引きつった笑顔で「いいじゃん!頑張ってね」みたいなありきたりな言葉並べて嘘をつくのがやっと。やっぱり羨ましくて悔しくて、またまた身長180を超える大男が、夜な夜な枕を濡らす日々。

それでも彼女は僕に「言葉の企画」の話をよくしてくれた。
今日はこんなこと言われたよ。自分の考えた企画が選ばれたよ。崎陽軒のお弁当をみんなで食べたよ。〇〇さんは飲み会があんまり好きじゃないんだって。言葉の企画のイベントにも連れて行ってもらった、B&Bの中間報告会、企画祭。どれもこれも本当に輝いて見えた。

次第に悲しみに明け暮れる毎日から「言葉の企画」に参加したい気持ちが募る毎日に変わっていった。言葉や企画について学ぶのはもちろんのことながら、彼女の話す一緒に企画する仲間。みなとみらいで食べる崎陽軒のお弁当。なによりもみんなの居場所となっているみなとみらいのBUKATSUDOという場所。言葉の企画に参加することで、僕も志を共にする仲間に、講座が終わっても一緒にいたいと思える企画仲間に出会いたい、その地に足を運びたいと思うようになっていた。こうして僕は、2020年に開催されるであろう「言葉の企画」ならびに「企画メシ」参加する決意を改めて固めた。



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2020年も3月を迎え、両講座の受付開始もそろそろかなと思い始めた頃。
僕も、もちろん世界の誰しもが予想もしなかったであろう出来事が起こる。
新型コロナウイルスだ。

オリンピックは延期になり、甲子園も中止。東京ディズニーランドも閉園。
世間のありとあらゆる物事がその影響をうけ、6月となったいまでも、まだその猛威を奮っている。

もちろん「言葉の企画」や「企画メシ」も例外ではなかった。

「企画メシ」、「言葉の企画」開催延期。

本当に涙が出る時は、目頭だけじゃなくて、頬の上の方が熱くなってくる。この感覚が久しぶりだった。




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それから2ヶ月。今年は桜も満足に楽しめなかったけれど、季節が移り変わっていることは、窓から入ってくる風の匂いでわかるようになった。
こういう感覚をきっと便りというのだろう。僕にとって嬉しい便りは風の匂いの他にもう一つあった。


「言葉の企画」開催決定。

嬉しいと思った。ずっと行きたかった言葉の企画にようやく参加できる。そう思えた。申し込みにあたりnoteを読んでいると「オンラインで開催」の文字。

また目の周りが熱くなった。

「オンライン」というたった5文字から僕は、BUKATSUDOに集えないこと。崎陽軒のお弁当をみんなで食べることができないこと、一緒に企画生として学んでいく仲間と会えずに講座が終わっていくこと、阿部さんや平賀さんとお会いすることなく講座が終わってしまうこと。そしてなにより、湯気を共有できないこと。嬉しいことがあっても握手もハグもできない。手渡しで何かをプレゼントし合うこともできない関係性で講座は進んでいくんだと悟ってしまったからだと思う。理解が後から追いついてわかった。

暖かくて、おっきくて、熱のある言葉を使う阿部さんのnoteがグサグサと突き刺さってくるような感じがして、パソコンの前で号泣してしまった。

僕は阿部さんにこの気持ちを伝えられずにはいられなかった。

きっと阿部さんも平賀さんも何度も何度も話し合ったことかと思うし、泣く泣く苦渋の決断でこの決定になったのだとわかっていながら、それでも諦めきれなくて。メッセージを送った。

「その不安ぜんぶひっくるめて企画しませんか」

阿部さんはたった一言、そう言ってくれた。その後続けて「どうなる?ではなく、どうしたいかで!」と。


この二つの言葉で、僕は現時点ではオンラインで開催される予定の「言葉の企画2020」に参加することを決め、明日(今日)から講座に臨む。

みんながどう思っているかひとまずは置いておくとして。それでも僕は、企画生のみんなと顔を合わせたいし、崎陽軒のお弁当が一緒に食べたいし、みなとみらい、BUKATSUDOに行きたいし、阿部さん、平賀さんにもお会いしたい。そしてなにより、湯気を共有したい。

正直いまだにFacebookにメッセージが届いたり、メールがくると泣きそうになってしまう。

でも涙を拭い、前を向いてハッピーな気分で臨もうと決めた。

この「涙を拭い、前を向こう」と決めたこの決意こそが企画だと思うから。



この決意を、言葉の企画第一回が始まる前にどうしても言葉にしておきたかった。

深く息を吸い込む。夜が明ける音がした。





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