意志は自分の中にあるものだと思っていた。
目覚まし時計より、早起きできた朝が好きだ。
窓をガラリと開け、ベランダで朝日を浴びる。
自信が沸いてくる。今日はなんだか全てがうまくいきそうな気がする。
「君はさ、関係性の中から意志を見出すのが得意だよね」
僕にとってこの言葉は、ベランダで浴びた朝日そのものだった。
言葉の企画を通して自分らしい生き方を見つける講座「言葉の企画2020」の第三回。
「自分の名前を紹介してください」、「自分がこの場に参加した理由にタイトルをつけてください」という課題に取り組む中で、
大きな壁にぶつかった。
「意志がみえない」
今までの人生においても何度も考えてきた問い、
「自分がやりたいことってなんだっけ?」に近い。
高校受験、大学受験、就職活動。
大きな選択を迫られる岐路に立つたびこの問いに答えようとするが、今一つ掴み切れていない。
絵も描きたいし、文章も書けるようになりたい。
広告コピーが書きたいし、カレー屋さんにだってなりたい。
お笑いもやりたいし、木も彫りたいし、歌も歌いたい。
やりたいことがたくさんあるからこそ、生涯を通して成し遂げたいことを、選ぶのが難しく思えた。
作ったもので人の心を動かしたいという共通性が見えたとしても「じゃあ何作ってもいいじゃんか?」と聞かれたらそうではない。
やりたいことがたくさんある自分と、選べない自分。
その間を行ったり来たりする中で、結局いちばん熱量が高まることがないんだと、おちこみ、鬱々とする。
鬱々としてられないから、仮でも答えを拵えてみる。
しばらくの間は「ええい悩むな!これがやりたいことである!」と自分に言い聞かせ、納得させながら前に進むことはできる。
それでもふとした瞬間に、インスタントな「やりたいこと」はふにゃふにゃと形を失ってしまう。
飲み会の帰り道、仕事がうまくいかなかった日の夜、風邪をひいた時のベッド。
そうしてまた「自分のやりたいことってなんだっけ?」の振り出しに戻るのである。
この問いに向き合い続けて、10数年が経とうとしている。
その都度その都度、場に適した答えで取り繕いながら生きてきたものだから、
最初は大きく見えなかったはずの壁も、今となっては見上げるほどの高さになってしまった。
社会人3年目を迎えた今、改めてこの壁に向き合うのことが、運命じみた出会いに感じた。
あまりに答えが出ないこの問いに、向き合い続けていても埒が明かないと思った僕は、
友人にこの話を相談してみた。
今、やりたいことや意志をどう探したらいいのかわからない。悩んでいる。
やりたいことや意志は、どうやって見つけるのか。どうやって探したらいいのだろうか。
友人は、少し驚いていた。
「え、見つけてるじゃん」
「自分の中で意志を見つけられないかどうかはわからないけれど、
水口くんはさ、関係性の中から意志を見出すのが得意だよね。そう思ってた」
僕も、かなり驚いた。
「みんなで遊ぶ時とか、一緒に過ごす時、どうしたらみんながもっと楽しんでくれるかとか、
お互いを知るために何ができるかとか、たくさんやりたいことを言ってくれるじゃん。そのおかげでみんなが楽しい時間を過ごせていると思うよ」
悩んでいることを救い上げてくれた。僕が気づけなかった自分らしさに光を与えてくれたことに感動した。
確かに僕は「やりたいこと」や「意志」は、自分の中にあって、それを自分一人で探し出さなければならないものだと思っていた。
「そうではないんだよ」と、この言葉が僕を導いてくれたように思えたのだ。
この友人が、この言葉をかけられるようになるまで、どれほど努力をしてきたのだろうと思った。
きっと今までたくさんの人と出会い、色んなことを伝える努力をしてきたのだろう。
伝えることを諦めて距離を取る方が簡単で、でもそうせずに友人は生きてきた。僕に対しても、伝えることを諦めずにいてくれた。
僕は、その意志と言葉の真っ直ぐさが嬉しかった。
この友人との会話を通して、意志というものは人と人の間にもあるものなんじゃないかと思えるようになった。
自分の意志だけを考えるのではなく、自分とあなたの間にある意志も存在するはずだ。
意志を見つけるまでにもう少し時間がかかりそうだけれど、
僕の中だけではなく、外にも目を向けていきたいと思った。
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