大谷翔平選手から学べる基準
大谷翔平選手が、日本人として世界のトップアスリートになった事で、日本のスポーツ界も視点を変える時期にきてるように思う
大谷選手は「世界一を目指す為」に「自分自身のあり方に拘った」結果、皆が知ってる野球を通して「成績という現象」で多くの人達に認知される事になった。
そんな彼が日常口にする言葉が「チャレンジ」
今回のドジャース入団会見でも、勝つ為にチャレンジできる環境がドジャースにはある。。。的な話をしていた。
実はそのチャレンジには「成長」という二文字がもれなく付いてくる
言い換えると「成長」する為に「チャレンジ」するとも言える
これまでの自分に捉われず、自分の枠をばらし、新しい自分を形成する
人は人の本能(防衛本能)の作用から、一旦、居心地が良いポジションを見つけるとその変化は望まない、しかしそれが成長の妨げにもなる。
そこから考えると、大谷選手は野球の実践を通して修行をしているようにも考えられる。
しかしそれは苦行にはなってるようには見えない。
多分、その理由は、彼が人間の本質を日常化しているからだと思う
釈徹宗先生の著書に維摩経について書かれたものあり、その中に大乗仏教に体・相・用「三大」という考え方についてお話されてるくだりがあります。
体は本体、本性、空そのもの
相は現象や形態、体から表れて可視化されたもの
用は現象が作用しあって生じるはたらき
この釈先生のお話と大谷選手の生き方を照らし合わせてみると、野球の成績や結果は「相」という「現象」であって、大谷選手は野球「用」を活用してそこから生れる作用から、本質に拘る日常を過ごしているように思います。全ての人に平等に与えられた「成長」という権利であり人間の本質。
そこに彼は純粋に向かう思考だからチャレンジを続けてるように思います。
そしてそれが新しい価値観を生み出す「創造」へと繋がる事も人間としての本質に向かってると言えるし、「唯一無二」の存在として「尊重」という人間の本質を体現しているとも言える。
彼を通すと余計に日本人は理解しやすいと思うけど、今後、日本のスポーツ界も「個々に自立した基準を持つように導ける指導が基準」となる時代に突入してきたとも言えると思います。
Tatsumiラジオでも喋ってみました
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