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父の掌#秋ピリカ応募

子どもの頃背中が痒いと父に背中を掻いてもらった。
ただ、父の行為は掻くというより摩るが正しい。
印刷所に勤めていた父の掌はいい感じにガサついていた。
本人は「紙に手の脂を吸われているからだ」と言っていたが、実際は手についたインクを油を使って落とすからなのだろうと思ったのは、父に背中を掻いてもらわなくなってからだ。
ガサガサした掌で摩ってもらうのはとても気持ちよかった。
同じようなガサついた掌をたとえば母がしていたとしても気持ちよく感じたかどうかはわからない。
父に掻いてもらうという、ある意味普通では考えられないシチュエーションが気持ちよさを倍増させていたのかもしれない。
一緒に出掛けることはあっても手を繋ぐことはあまりなかった。
その父の掌を思う存分堪能、かつ独り占めできる『背中を掻いてちょうだい』
「あれ?最初にそれが気持ちいいと知ったのはいつだろう?」
全く思い出せない。
こちらが頼まなくて、もむず痒そうにしているのを見て、父が掻いてくれていたのだろうか?
全く覚えていない。
でも背中を掻いてもらうのをやめたのは中学生になった時だった。
自分だけでなく父もなんとなく気恥ずかしそうな雰囲気になってしまって、それっきりだった。
高校を卒業した歳に父が死んだ。
交通事故だった。
印刷物を届けに出て、信号無視の車に突っ込まれたのだった。
一度はよくなったかと思ったが、症状が悪化してそこからはあっという間だった。
入院中は見舞いに行くたびに父の手を握った。
ガサついた手。
「紙に脂を吸われるんだ」
指摘するたびそう言っていた。
どうか自分の掌から脂でも命でも吸い上げてくれ。そう思った。
今では背中を掻いてもらっていた年数の方がずっと短くなった。
自分も印刷所に勤めている。
オペレーターだ。
一応、毎日紙には触れている。
それでも父のようには手はカサついてはいない。
「ほらね。父さん。紙のせいじゃないんだよ」
そう呟くとなぜか背中が痒くなる。
でもそれを解消してくれる手はもういないのだと、今更のように思うのだった。

(837文字)



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