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タクシードライバー-【ひとりぼっち】#青ブラ文学部

1日の半分をタクシーの中で過ごす。
客が乗るまではラジオをかけている。
ニュース局で延々とニュースを聞く。
道で手を挙げている客を見かけると、そのスイッチを切って車を停める。
ひとりが寂しいとかではない。
新聞を読む時間もテレビを見る時間もない。
耳で世界の状況を知る。それだけだ。
午前0時までまではまだだいぶあるのに、飲屋街も半分は灯りが消えている。
と、手を挙げている人影を見つけた。
女だ。
だけど、この辺の店に勤めている雰囲気ではない。
黒っぽいパンツスーツの上にショートのコート。肩に小さな鞄を下げている。軽くウェーブのかかった髪は後ろでひとつにまとめられていた。
ラジオを消して車を停める。
「すみません。遠くになるんですが大丈夫でしょうか?」
女が言う。
「どのあたりです?」
女が答えた地名は隣の県の町の名前だった。
しかも高速道路を使うと逆に遠回りになる。
「今時分でも2時間くらい掛かりますがよろしいですか?」
と逆にこちらが訊ねると「大丈夫です」と女が言った。
「どうぞ」
女は「すみません」と言って車に乗り込んだ。
今日は夜勤。朝の6時まで拘束される。
営業所に戻って仮眠を取りながら呼び出しを待つのもいいが、この長距離を逃す手はない。
目的地を具体的に訊く。
女は町の名前しか言っていなかったのを思い出したようだ。
寺の名前を告げる。
「主人の実家なんです」
と付け足した。
リアクションに困る。
「そうなんですか」と正解のような不正解のようなことを言いながらナビを操作する。
車を出そうとした時女が言う。
「通話。いいですか?」
「どうぞ」
車が動き出す。
女は鞄からスマホを取り出すと、電話をかけた。
「おにいさん?はい。今から向かいます。えぇ。タクシー拾えました。はい。大丈夫です。ミツアキさんは東京から明日。いえ。大丈夫です。選挙も終わったばかりですから」
女は最後に「はい」と言って通話を終えた。
選挙という言葉で、その女が誰かを思い出した。
地元選出の国会議員・大里光明の妻だ。
彼女の父親の地盤を娘婿、彼女の夫が引き継いで2期目の選挙も無事に当選。彼女の父・大里義邦は40年近く国会議員を勤めた。
選挙が終われば東京に行ってしまうと思っていたのに、細君は地元に残るものなのか?参勤交代…は江戸に妻子を残しておくのだったか?
そんなことを考えていたら、女が「もう一度、電話いいですか?」と言った。
「どうぞ。お気にせず」
客を乗せていてもひとりでいるのとあまりかわらない。
いろいろ話しかけて来る客もいる。大抵は年配の…独居老人だ。荷物を運んだりもするので生活環境はなんとなくわかる。
世の中ひとりぼっちばかりだ。
相手が電話に出なかったようで、女はメッセージを送っている。
そのままじっと画面を見ている。
LINEだろうか?
既読がつかないのか?
沈黙が続いた。
走り慣れた市内の道ならまだしも、どんどん見知らぬ道を進むことになると、職業ドライバーでも緊張する。
薄化粧の女は若く見えた。でも確か、夫である議員先生は50代後半だったような気がする。
「普段は東京にいらっしゃるんですか?」
こちらの問いに女は顔を上げて力なく笑うと「いいえ。私は地元に残っているんですよ」と言った。
「東京はなんだか合わなくて。だから、父の跡は夫に任せたんです」
「そうなんですか?」
「母もずっとこっちにいました」
「はぁ…」
「父も婿養子でしたから、おいそれと離婚はできなかったのでしょう」
女は笑った。少し自傷じみた笑みだった。
なるほど。家庭的にはそう恵まれた環境ではないという意味か?とようやく気がついた。
自分の父親も、自分の夫も、どちらも遠縁にあたる人間なのだと女は言った。
そのあたりも複雑な理由があるのだろう。と思った。
自分が黙ると、女は俯く。
目的地に着くまでナビには1時間20分ほどかかると表示される。
「ラジオでも聞きます?」
「おかまいなく。あ、こんな時間の運転だと音があった方がいいですか?」
「そうですね」と答えて「でもどちらかと言うと誰かと話していた方が眠気覚ましになるかもしれません」
言ってからしまったと思った。
「眠気覚まし、だなんてすみません」
「いえいえ」
女は笑った。
今度は自然な笑みだった。
その後はあまり長く続かない会話をいくつかした。
選挙運動で、電話をかけることがめっきりなくなったので、選挙運動のためのアルバイトの人数がぐっと減った話は興味深かった。
あと10分ほどで目的地という時に「夫の兄嫁の母親が危篤なんです」と女は言った。
「間に合うでしょうか?」
女は少し首を傾げて「危篤で呼び出されるのは3回目なんです」と言った。
「それに亡くなったら連絡があるでしょう?」と言ってスマホをチラリと見た。
そういえば、先に送ったメッセージには返信はあったろうか?既読はついただろうか?
「ねぇ」
女は少し前に体を寄せた。
「少し待っていただいていいかしら?」
「え?ここで?」
何もない田舎道である。
「違うわ。お寺…着いたら少しの間、待っていてもらえます?」
「はい。構いませんが」
「帰りも乗せていってくださいません?」
「え?戻るんですか?」
「えぇ」
「えっと。明日、いやもう今日か…ご主人いらっしゃるんですよね?」
女は、それが何か?という顔をした。
そして、ずっと手にしていたスマホを鞄に仕舞った。
「帰りがおひとりじゃ眠くなってしまいますよ」
女は言った。
そうかもしれない。
「いいんです。私が来たという事実があれば。今夜は帰ります」
こちらとしては売上が増すので嬉しい話だ。と素直に口に出したら、女は「じゃあ、待っていてくださいね」と言った。
目的地に着くと女は一度精算して車を降りた。
思ったよりも大きな寺だった。女の夫はこの寺の三男だと来る途中の会話で聞いた。
女が教えてくれた寺の駐車場に移動する。
車が3台並んで停まっていた。
車を停めると、一度降りて背伸びをした。
少し生温い空気だが、深呼吸もした。
しんとしすぎて少し気味が悪かった。
慌てて車の中に戻った。
エンジンをかけて、ラジオをつけた。
周波数が違うのだろう。ザーという音しか聞こえない。
世界にひとりだけ残されたような気になった。
慌ててラジオ局を合わせる。
不意に歌が流れてきた。
「ひとりぼっちで踊らせて」
ハスキーな声がそう歌う。
少しだけ女の声に似ているような気もした。
おそらく、女が送ったメッセージは夫に宛てたものだろう。と思った。
そして、最後まで既読はつかなかったに違いない。
今夜帰ることを決めた女もこんな気持ちなのかもしれない。
「ひとりぼっちで踊らせて」
歌に合わせて掠れた音の口笛を吹いた。



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