【続・ソファーの下の浜辺】#妄想レビュー返答
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海が消えた部屋はなんだかとても味気なく思えた。
ソファーの下を覗いても、手を伸ばしても、もう海はそこにはいなかった。
僕と弟はいつかあの海を探しに行こうと約束した。
僕たちの部屋には、拾った貝殻も、救った白い砂も、転げて出てきたあのボトルもある。だからあの海は幻なんかじゃない。
ならばあの海はどこへ行ってしまったのだろう。
「おにいちゃん」
もうすっかり眠ってしまっていると思っていた弟がドアを開けた。
「どうした?眠れないのかい?」
その問いには答えず弟は言った。
「うみのおとがきこえるよ」
「どこから?」
自分の口から思いも寄らぬ言葉が出た?僕は何を訊いているのだろう。
「こっち」
いつも一緒のぬいぐるみを抱えた弟が廊下の向こうを指差した。
向こうには確かリネン室がある。
秋も深まり、朝晩はかなり冷え込む。
弟は体が弱くすぐに熱を出す。それもあって、弟の部屋は一階にある。こうして二階に上がってくることはまずない。
だからこれは夢なのだろう。そう思った。
それでも、弟がきちんと靴下を履いていることを確かめ、パジャマの上に羽織ったガウンの上から自分のガウンを羽織らせる。
自分もまたパジャマの上からカーディガンを羽織ると、弟の手を繋ぎリネン室を目指した。
リネン室というけれど、そう呼ぶのはお手伝いの御園さんだけだ。他の人は「二階の隅部屋」と呼ぶ。御園さんは今年の春にメイドスタッフに加わった女性で、看護師の資格も持っている。大きな病院に勤めていたらしい。他のメイドスタッフさんたちが噂をしていた。看護師と聞いて体の弱い弟のための補強要員なのだろう、と思った。
御園さんはリネン室の他にも御園さんだけが使う言葉がいくつかあった。
リネン室のドアノブを回す。
僕たちはここに滅多に来ることがない。
弟など初めてではないだろうか。
ドアノブが擦れる音がすると、弟の手が僕の手の中でキュッと力が入るのがわかった。
部屋の電気をつけて中を見回す。
予備のシーツの棚。季節で変わるカーテンの棚。ガラス戸の付いている棚の中にあるのはタオルなどの小さめの布物だろうか?
くいっと握っていた手を引かれる。
「ん?どうした?」
弟がぬいぐるみを抱えたまま腕を伸ばしている。
カーテンが置かれた棚の下の段に、あの青いカバーがあった。
弟の部屋のソファーに夏の間掛けられていた青いフリーカバー。
少しざらりとした肌触りを思い出す。
弟が僕の手を引く。
ふたりで棚の前に立つ。
「うみ」
弟が言う。
僕は青いカバーを取り出すと左手に持ち、右手は再び弟の手を繋いだ。
電気を消してリネン室を出た。
廊下を歩き考える。このまま弟の部屋に行こう。
弟は僕に手を引かれたまま黙って歩く。
右手に抱いているぬいぐるみが一度落ちそうになって立ち止まった。
抱え直すのを手伝いながら「お部屋に戻ろう」と言うとこくりと頷いた。
階段を慎重に降りる。
おそらく家の者たちは弟は部屋で寝ていると思っている。
弟の部屋は電気がついたままだった。
一緒に住んでいる弟の主治医の先生が、自身が寝る前に弟の様子を見に来る。その時に電気が消されると聞いたことがある。
そうか。先生はまだ起きているんだ。と妙なことを感心する。
弟の部屋のドアを閉めようとしたら、弟が「あ!」と小さく声を上げた。
ドアの向こう。廊下の床に白い貝殻が落ちていた。
どういうことだろう?
弟が貝殻を拾う。
「さぁ、もうベッドにお入り」
弟のベッドは子ども用ではない。自分のもそうだが普通のセミダブルサイズのベッドだ。自分のベッドは部屋の壁際に置いてあるが、弟のベッドは部屋の真ん中寄りに置かれている。
これは時折、ベッドの周りに医療機器が設置されるからだった。
天井の照明からはずれているが、部屋のほぼ中心にベッドが置かれ、窓の近くに窓を向いてソファーが置かれている。
この青いフリーカバーは夏の間そのソファに掛けられていた。
ソファに向かおうとする弟をベッドに寝かしつける。
「このカバーを上から掛けてあげるよ」
そう言うと弟は、それまでの不機嫌そうな顔に笑顔を浮かべた。
弟はまだ本当の海を知らない。
「いっしょ」
上掛けを持ち上げて、弟は僕も一緒に寝ようと言う。
ベッドには十分スペースはあるし、弟が眠ったら自分の部屋に戻ればいい。
「わかった。でもその前にこれを掛けてあげる」
弟はお気に入りの獏のぬいぐるみを枕元に置いて、上掛けを口元まで引っ張り上げた。
ベッドの上に立って、青いフリーカバーを広げ、上掛けの上に掛けた。
「おにいちゃん」
早く中に入れと言うようにこっちを見ている。
弟がこんなに何かを主張するには珍しい。
ベッドの中に入ると、弟の手を握った。
「おやすみ」
そう言って弟と一緒に目を閉じた。
そろそろ弟は眠っただろうか?
目を開けると、そこは深い青色で包まれていた。
自分も眠ってしまっていたのだろうか?
先生が電気を消していったのにも気が付かなかったのだろうか?
青色は時々微かに濃淡を変える。
部屋じゃない?
夢を見ているのだろうか?
僕は起き上がった。
掛けていたはずの上掛けが見当たらない。
そして隣に寝ているはずの弟の姿がなかった。
これは夢?
「おにいちゃん」
パジャマ姿の弟が、ぬいぐるみを片手に現れた。
「おっきなおさかな」
そう言うと僕の服…パジャマを引っ張った。
弟に引かれるままついていくと、そこには大きな鯨がいた。
鯨は床に腹這いになっている。
これは夢だ。そう確信した。
「おやおや珍しい。こんなところに人間がいる」
鯨が言った。
鯨は髭鯨の仲間だった。口がほとんど動いていないのに、鯨の声は僕たちに伝わる。少し低めだけど優しいふんわりとした声だった。
「ここはどこなんですか?」
そう訊ねると「海の底だ」と鯨が答える。
「あなたはここで何をしているんですか?」
鯨の目が少しだけ細くなった。笑っているのだ。
「もうすぐ死ぬんだ」
鯨が言うと、弟は僕の後ろに隠れるようにして、そして少しだけ震えた。
「小さい坊や。怖いことでも悲しいことでもないんだよ」
鯨は弟に言った。
「やりたいこともやるべきことも皆やったからね。魂は海から空へ。そしてこの体は他の命にくれてやるんだ」
鯨は話を続けた。
「私を生かすために今までたくさんの命を食らって生きてきた。だから、最後はお返ししなくちゃダメだろう?」
そうなのだろうか?
「この体だったものが全てなくなった頃、再び鯨として生まれ変わるんだ」
だからここで死ねるのは幸せなことなのだ、と鯨は言った。
「地上の天使は白い羽があるんだろう?海の天使は、煌めく青い鱗を持っているんだ」
青色がゆらめく。
「そろそろ時間だ」
鯨が言う。
「そうだ。これをあげよう」
鯨が海底についていたヒレを動かした。
ふわりと空間が揺れ、青い巻貝がふたつ現れた。
「最後に小さい人間と話すことができて楽しかったよ。それはお礼だ」
漂う貝殻をつかむと、ひとつは弟に渡した。
「ずっと未来で、君たちを待っている。その貝を持っていてくれたらすぐにわかる」
鯨の輪郭を包むように青色が濃くなった。
「君たちを天国へ連れていくのは天使でなくこの鯨の背中だ」
鯨は言った。
ハッとして目を開けた。
電気がついていた。
やっぱり夢だったんだ。
弟の寝息が聞こえた。
その寝顔を見ようとそっちを向いてドキリとした。上掛けから少しのぞいていた手が青い巻貝を持っていた。
「まさか」
そう言いながらも、自分も青い巻貝を持っていた。
どういうことだろう?
青い貝をじっと見つめた。
ドアノブが静かに回って、弟の主治医の先生が入ってきた。
僕がいるのを見て少しだけ驚いていたが、弟にせがまれたのだろうと思ったのか、「お疲れ様」と言った。
そして、ベッドの上の青いフリーカバーを見るとやれやれというように苦笑した。
「夏物だからと片づけられた時にとても怒ってたんだ」
小声で言った。
弟が怒るのは珍しい。
「もしもよかったら、今夜はこのままここで眠っていってほしい」
先生は言った。
「明日の朝、きみがいないとがっかりするだろうから」
確かにそうだ。
「先生。今何時?」
「真夜中12時過ぎている」
そんな時刻だとは思わなかった。
電気を消して先生が部屋を出ていった。
上掛けを被った。
青いフリーカバーも一緒だった。
目を閉じると海の音が聞こえてくる…ような気がした。
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自分のキャラクター使って書きました。
こちらのシリーズに出てくる蒼月と青藍です。