見出し画像

脚本家-【忙しいのにアンニュイ】#青ブラ文学部

白樺東子しらかんばとうこはプロデューサーからのメッセージを読んで溜息をついた。
プロデューサーの汐出の注文は相変わらず抽象的である。
東子の書く脚本で当たらないものはないと言われている。ミステリー色が強い作品が多いが、東子はオリジナルしか書かない。映画監督の中には自分の構想を是非にも東子に書いてもらいたいという者もいて、白樺東子は売れっ子脚本家のひとりである。
Q局のプロデューサーである汐出太一郎しおでたいちろうも東子を重用する者のひとりである。
汐出と東子の付き合いは長い。
長いが決してよい仲ではない。
少なくとも東子にとっては厄介なクライアントである。
「主人公だけど、なんていうか忙しいのにアンニュイな感じのキャラでお願いできるかな?」
「いそがしいのにあんにゅい」
東子は声にしてそれを読み上げた。
「イミフ」と言ってメッセージ画面を閉じた。
忙しいけどアンニュイ。やる気が出ない。それは今の自分ではないか?
主人公は探偵の秘書を自称している電話番。狂言回しの役目をする。
基本的に暇な探偵事務所ではなかったろうか?
汐出は何を言っているのだろう?
東子はそう思っても、こちらから連絡はしたくないと思った。
話せばきっと丸め込まれて、ここまで練り上げたプロットが総崩れすることもあり得る。今までどれだけそれに泣かされてきたか。
東子はため息をついた。
机の上にはノートパソコンとプロットメモを書き留めたノートと三色ボールペン。そこに手にしていたスマホを置いて、席を立った。
濃いめのコーヒーにスティックの粉ミルクを2本入れてスプーンでかき混ぜる。
東子はその作業を真剣にする。
いや。側から見ればひどく真剣にかき混ぜているように見えるのだ。
奥歯を食いしばり、カップの底とスプーンが擦れてゴリゴリと音を立てる。
ミルクが完全に溶けるまで混ぜ続ける。
スプーンを置くと、東子はカップを両手で持ち、ダイニングテーブルに座った。
コーヒーをひと口飲む。
・・・そういえば、展覧会の招待券が来ていた。
新しくできる美術館のオープニングイベント。トークショーを行う女優からもらっていたのを東子は思い出した。
女優は画家としても有名だった。
もっとも、人気女優である彼女が描いたから、絵がよく見えるという効果もあるのだろう。と、絵の良し悪しのわからない東子は思っていた。
その女優とは仕事上でとても相性がいい。
東子が脚本を書いたドラマに何度か出ている。
その女優が演じるとわかると当て書きするほどだった。
「机に入れてたかな?」
コーヒーをテーブルの上に置いたまま東子は書斎に戻った。
「ない」
壁のホワイトボードに貼っていたかもしれない。
東子は机の反対側の壁のホワイトボードを見た。
「あ、あった」
どうせ行くなら彼女がトークショーをする日に行こうかな?などと思いながらチケットと一緒に貼り付けている案内のチラシを見る。
「明後日じゃん」
東子は着ていく服をどうしようか?と考えた。
「いや。その前に」
汐出の話だ。東子は思い出すと、また少しイライラしてきた。
詳しく話を聞くべきだと思っても、やはりこちらから連絡をするのは癪だった。
その時、机の上のスマホの着信音が鳴った。
東子は慌ててスマホを手にする。
汐出だった。
「あ、東子ちゃん?」
汐出の声が奇妙に響く。どこにいるのだろう?と東子は思った。
「キャラ設定なんだけどさ」
東子はそのままデスクチェアに腰を下ろす。
「メッセージ見てくれた?」
東子は汐出の年齢に似つかわしくない若い話し方が嫌だと思った。
スピーカーボタンを押して、スマホを机の上に置いた。
「えぇ。見ました」
東子は美術館イベントのチラシを見ながら返事をした。
全国6ヵ所でほぼ同時期に完成する美術館の合同イベントだということを知った。展示内容はその6ヵ所での巡回展となるらしい。
「ふーん」
思わず声が出た。
「ん?どうした?」
汐出はそれを聞き漏らさなかったようだった。
「いえ。何でもないです」
特に慌てるふうでもなく東子は答える。汐出とのやり取りはいつもこんなふうだった。
「まだキャスティングは決定じゃないけど、僕としては東子ちゃんのイメージだからさ。セワシイケドアンニュイって」
「え?」
東子は思わず聞き返した。
「だってそうでしょ?東子ちゃんって、なんか落ち着きなくせわしい感じだけどなんか心ここに在らず的な?アンニュイな感じ。僕は好きなんだよね」
東子はノートに「忙しい」と書いて「せわしい」とふりがなを振った。
紛らわしい。
かろうじて声に出さなかった。
「自分のことイメージして書いて…っていうのもおかしいだろう?」
汐出が電話の向こうで笑っている。
東子はペンを置くとコーヒーを探した。
・・・ダイニングむこうじゃん。
舌打ちをした。
「まぁ、そういうわけだから。また連絡する」
汐出がいい終わるか終わらないかのタイミングで東子は電話を切った。
そして立ち上がるとダイニングに向かう。
・・・自分が探偵事務所の電話番?
「ないない」
呟きながらダイニングテーブルの前に立ち「そうだ。頂き物のチョコケーキ」と冷蔵庫に向かった。

東子はふと、テーブルの上のコーヒーが、やれやれとため息をついた…ような気がした。



いいなと思ったら応援しよう!