天使のはなし
蒼月はいつものメンバーでいつもの店で久しぶりの近況報告をしていた。
「天使だって、それほど神を信頼しているわけじゃないんじゃないの?」
騒つく店の中でその声がやたらと鮮明に聞こえたのは、以前同じことを聞いたから。
「天使は、あんまり神様のこと好きじゃないんだって」
「何それ?」
「好きじゃない…違う。あんまり信頼してないんだって」
ミルクセーキを啜りながら青藍が言ったのはまだイギリスにいる頃だった。
「なんだって…って誰が言ったんだ?」
「天使」
青藍は当たり前というような顔をした。
「青藍は天使と話したことがあるの?」
周りはみんな現地の人間で日本語など理解できない、と思っても蒼月は声をひそめた。
「あのね。僕、子どもの頃から何度か天使と話をする夢を見るんだ」
青藍はそういうとにっこりと笑った。
夢か…と蒼月は少しホッとした。
2歳下の従弟は天使と本当に話をしていそうだし、もしも天使と話をしているとしたら「キミもこっちに来ないか?」と勧誘されていそうだ。反面、リアルに考えたら、長いこと話すこともできないでいたこの大事な従弟の心は少し病んでしまっているのかもしれない。どっちに転んでも、「天使と話している」はあまりいい印象ではない。
「それはどんな夢なんだ?」
蒼月はあえて訊いた。
ミルクセーキを再び啜っていた青藍が上目遣いで蒼月を見る。2歳しか違わないのに、表情は随分と幼い。あまり丈夫ではないし、この頃ようやく普通に会話ができるようになった12歳の従弟は学校にも通っていない。
「僕のベッドの縁に腰を掛けているんだ。僕が目を覚ますまでじっと待っていたみたいで、僕が目を覚ますと、『こんばんは』って言うんだ」
その天使の夢を最初に見たのは、はっきりと覚えていないがイギリスに来る前だったと思う、と青藍は言った。
「まだお祖母様の家にいる頃だったかもしれない」
よくは覚えていないけれど、と付け足した。
「夢だから、僕が言葉にしなくても、天使は僕が訊きたいことになんでも答えてくれるんだ」
「へぇ」
「それだけの夢」
再びミルクセーキのグラスに刺さるストローを吸い上げる。
そんなに大きなグラスでもないが青藍にとってこのミルクセーキを飲むという作業は大変そうだ、と蒼月は思った。
「それだけ…って、おまえは天使に何を訊いたんだい?」
「んー。最初はね。どうしてここに来たの?だったかな?」
天使は「不思議な魂がいるような気がしたから」と答えた。
「人に似ているけど人とは違う。何だろうと思ったら、キミだった」
「ボクはヒトではないの?」
「そうだね。少し違うみたいだ」
「じゃあ、ナニ?」
「何だろう?でも、キミが死んでもキミの魂は、悪魔も僕らもどこにも連れて行くことは出来なさそうだ。案外とキミは僕らととても近いものかもしれない」
「それはナニ?」
「何だろう?でもね。天使が死んだら、やっぱりその魂はどこにも行けない。消えてしまうんだ。キミと同じ」
青藍はそこまで一気に話すとまたミルクセーキを飲んだ。
蒼月もつられたようにアイスレモネードを口にした。
「僕、何だか悲しくなって目が覚めたんだ」
それからしばらくしてまた同じ天使が夢に出てきた。
「この間はごめんね。キミを悲しくさせて」
天使は前回と同じようにベッドの縁に腰を掛けていた。
「悲しい顔をしているのは天使の方なのにな、って思ったの」
その後も同じ天使が出る夢を見るのだと青藍は言う。
「こっちに来てからも同じ天使が夢に出て、『随分と遠くに引っ越したね』って笑っていたこともあったんだ」
夢はいつも同じ感じで、天使が青藍のベッドに腰を掛け、ふたりで話をするのだという。
青藍は少しずつだけど天使からさまざまな話を聞いたという。
「堕天使っているでしょ?天使が神様を裏切るの」
「うん」
「堕天使のが悪いことになっているでしょ?」
「うん」
「みんなね、神様に愛想をつかして堕ちて行くんだって」
「その天使が言ってたのか?」
「うん、そう」
青藍が頷く。
「あのね。神様はちょっと困った人なんだって。あ、神様だから人じゃないのか?」
青藍はふふっと笑った。
「自分が世界を、人を作っておきながら、それに対して文句ばかりなんだって」
「まぁ、神様は世界を7日間で作ったといわれているからね」
「ふうん。7日間が早いのかどうかはわからないけど、文句を言っていないで少しずつでも手直しをすればいいのに」
「しているんじゃない?ノアの洪水の話とか、やり直しというか浄化というか…神様のお気に入りに世界を作ろうとするけど」
「けど?」
青藍が首を傾げる。それに対して蒼月は再び声をひそませた。
「それで今の世界があるなら、神様のセンスを疑うよな」
「そう。天使もそう言ってた」
青藍が少し驚いたように目を丸くして言った。そして「お兄ちゃんも天使みたい」と言ってクスクス笑った。
「俺が天使なわけないだろう?俺、そんなに神様を信じてないから」
蒼月は、目の前の可愛い従弟に試練ばかりを与える神を全幅に信じるつもりはなかった。
「ふふん」
青藍は面白そうに笑った。
「それも天使と一緒だ」
「天使が神様を信じてないとか?」
「信じていない…あのね、神様のことあまり信頼していないって言ってた」
「そうなのか?」
「うん。でも、みんなが堕ちてしまったらそれはそれで大変だから、神様と人の間のいろいろな役目のために天使はいるんだって言ってた」
「へぇ」
天使にも気苦労やストレスがありそうだ、と蒼月は密かに思った。
「ん?どうした?」
隣の夕輝がパスタフライで蒼月の頬を突く。
「え?」
「ぼんやりしていたから」
「あ、ちょっと、よその話に聞き耳立ててた」
「おいおいなんだよそれ?」
夕輝がちょっとムッとして見せる。
「あのさ、おまえ神様って信じてる?」
蒼月が言うと斜向かいに座っていた行介が「俺は信じるよ」と答えた。
「神は細部に宿るってね」
「なんだ?」夕輝が言う。
「七日間で世界を作ったなんていう大雑把な神はあまり信じていないってことさ」
行介の答えに蒼月は目を丸くした。
「おまえも天使派なんだ」
「なんだそれ?」と夕輝。
「行介に同意」
と蒼月の向かいに座る星嗣が言う。
「おまえはどうなんだ?」
と行介が蒼月に訊ねる。
「俺も大雑把な神様は信じてないな」
「ふうん」
行介がパスタフライを摘んだ。
「なぁ、それと天使となんだっていうんだ?」
夕輝が言うのに対して、蒼月は「俺たちは天使だということさ」と答えた。
「わけわからん」
夕輝が呆れたように言った。
行介と星嗣は笑った。
蒼月も笑った。
今夜もひょっとして天使が青藍に会いに来るかもしれない。
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