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隣人(001)

入り組んだ道を入って古い家がいくつか並んでいるその一番奥の行き止まりの一個前の家が僕の住む家だ。
築50年の古さと、通りからそこまで来る入り組んだ道のせいか家賃は破格だった。建物は見た目は古いが内側はきちんとリフォームされ、システムキッチンもユニットバスも最近のものだし、何より外観からは想像できない完全防音の建物だった。
この家の東隣。行き止まりの家にその人が越してきたのは桜の花がすっかり散った頃だった。
この家に通じる路地の手前には神社があり、そこには大きな枝垂桜がある。
染井吉野よりも後に後に咲く枝垂桜も花が終わり、なんだか少し寂しい姿をしていた。
引越し業者が狭い道を台車に乗せて運んできた荷物はそう多いものではなかった。
それを見て自分同様の独身者だと思った。
隣の家も僕の住んでいる家と同じ大家で、家の形もほとんど一緒。家を借りる時にどちらにしようか見比べた。
ひとりで暮らすには十二分過ぎる広さだが、果たしてどんな人が越してくるのか少し気になった。反対隣の家は画家がアトリエとして使っていると聞いたがいまだにその家に人がいる気配を感じたことはない。折れ曲がった通りはそこから通りまでは家がない。向かい側は塀や生垣に囲まれているたてものの裏側で向かいといっても住人と顔を合わせることはない。
そういう環境なのに完全防音というのは何か理由があったのだろうか?
そんなことを考えていたのは昼のことで、その人が訪ねてきた夕方にはすっかり隣家に運ばれていた荷物のことも忘れていた。
「隣に越してきたKと言います」
僕と同じくらいだろうか?
僕もそんなに背は低くないが相手は180cmより少し大きいかもしれない。モデルのように頭が小さく脚が長い。笑うと少し笑窪ができる整った顔。黒っぽいスーツ姿の彼は男の自分から見てもカッコよかった。
「昼間の引越しは親戚に頼んでいたので」
小さな包みを差し出しながら彼は言う。
「え?」
戸惑う僕に「お米券です」と言って笑窪を見せる。
「仕事柄出張が多くて家を空けていることが多いのですが、よろしくお願いします」
アルバイトで食いつないでいる自分ならまだしも、きちんとした仕事に就いていそうな彼がどうしてこんな安い家賃の家を借りたのだろう?駅からも少し離れているし、駐車場もない。
「こちらも作りは一緒なんですね」
玄関を見回して彼は言った。
「そうなんだ」
知っているくせに僕は初めて知ったような返事を返した。
「こちらも完全防音なんですか?」
「そうですね」と頷いて「ギターの練習をするのによくて」と言うとKさんはパッと表情を明るくして「音楽をやられているんですか?」と言った。
「えぇ。まぁ。インディーズですが」
「いいなぁ」
「あ、少しいいですか?」
今はダウンロードが主流だがそれでも名刺がわりに作ったCDを持ってきて手渡した。
「え?いいんですか?」
「名刺がわりに以前作ったものです」
Kさんはとても喜んでくれた。
「気に入ってもらえたら、いろいろダウンロードしてもらえたら嬉しいです」
と僕は正直に言うと、Kさんは「はい」と頷いた。
「あぁ、そうだ」
Kさんは僕を見る。
Kさんの目は不思議な目をしていると思った。黒目が濃いというか、瞳が本当に真っ黒に見える。笑顔になると目は細められるが、僕は笑窪と同じくらいその黒い瞳が気になっていた。
「差し当たって明後日から出張なんです。留守の間、親戚がたまにくるかもしれません」
「親戚の方?」
「えぇ。鍵を持たせてあるので勝手に出入りするかもしれませんがお気にせず」
その従兄は何のためにに来るというのだろうか?それを訊くのは少し野暮かもしれない。
Kさんは「それでは」と帰って行った。
Kさんの従兄と思われる人に会ったのは5日後の午後だった。
Kさんの家から男の人が出てきた。
鍵をかけ、振り向いたその人と目が合った。
Kさんよりも5、6歳、いやもう少し上だろうか。
スーツ姿だったがKさんとはだいぶ印象が違う。
営業職か何かだろうか?その人は僕を見るとにっこりと微笑んだその顔は、人に接することにとても慣れているという感じがした。
「お隣の?」
その人は僕の家を指して言った。
「はい」
「Kがお世話になります。これからどうぞよろしくお願いします」
と頭を下げる。
「いえいえ。こちらこそ」
僕も慌てて頭を下げる。
「Kさんはまだ出張なのですか?」
ふと、疑問をそのまま口にした。
「そうですねひと月ほど。中央アジアの方に行くと聞いてました」
「中央アジア?」
僕は勝手に関西か少なくとも国内を想定していた。
「え?Kさんはどんなお仕事をなさっているのですか?」
「僕も詳しいことはわかりませんが」従兄さんはそう前置きをしてから「資源開発関係のエンジニアの仕事です」と答えた。
そう言われても僕にはピンと来なかった。
それでもこんな安普請を借りなければいけないような給料でないことだけは確かだ。
従兄さんはフッと笑って「平屋に住むのが憧れだったようで」と言った。
「はぁ」
「僕もわからなくはないですけどね」
「はぁ」
僕は間の抜けた相槌を返すしかなかった。
「では。Kのことよろしくお願いします」
そう言って従兄さんは歩き出した。
僕は去っていく従兄さんを思わず見送った。
一度、従兄さんは振り返り、僕を見て頭を下げた。
僕もつられて頭を下げた。
頭を上げると従兄さんの姿はなかった。
驚いたが折れ曲がった路地である。
僕はそのまま自分の家に入った。
「足音がしなかった」
僕は従兄さんに対して感じた違和感を口にした。
顔立ちも声もKさんとは全く違う。それは従兄弟という関係ならばあり得るかもしれない。Kさんも人当たりは良かったが従兄さんは人に会うプロのような感じがした。
そして、平日の午後にここに来た。
営業職だとしたら仕事の合間かもしれない。
「でも・・・」
そして何より、Kさんの親兄弟ではなく、従兄なのだ。
「本当に従兄なのかなぁ?」
なんとなくだがそう思った。
従兄でないとしたら誰だというのだろうか?
「やめやめ」
頭を振る。
「Kさんが早く出張から帰って来るといいのに」
そう思ったが、帰ってきたところで、Kさんに何を訊くというのだろう?


僕の人生に大きな影響を与える出会いだとはこの時は全く気付いていなかった。

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