砂ぼこりの舞う日に
砂ぼこりの舞う日に 一昔前のカフェで 楡の万年筆を 欲しいものリストに入れました。 (一行作家 より)
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第三区域の耐風ドームの扉が歪んでしまったようだ。
おそらく一昨日の強風だろう。
今回風の運んできたものは大きかった。大きいというか重いというか。
道路標識のヘッドの部分。
今回の強風は朝から吹き荒れ、昼過ぎから道路標識がいくつか飛来。そのまま夜になっても風は強く、丸かったり三角だったりするそれが朝にはかなり積もっていて、いくつかはドームにぶつかった勢いでひしゃげていた。
丸々1日かけて道路標識を撤去したと思ったら、今日はまた少し風が強い。
「このくらいだったら、まぁ妙なものは飛んでこないと思う」
末永課長の言う通り、妙なものは飛んでこないが、砂ぼこりが酷かった。
風向きがいつもと違う。
今の季節、何も作付けされていない畑の土が風に舞い上がる。
「視界が悪い状態です。市民の皆さんは本日も地下道を利用してください。万が一、地上を移動する場合には事故に遭わないよう、十分にお気をつけください」
各自にメールと、各家庭に設置されたスピーカーから防災メッセージが流れてくる。
歪んだ扉の写真を撮りながら、どれだけの勢いで道路標識が飛んできたのかを想像してゾッとする。
本来ならば今日は休みだが、後始末の後始末で午前中は出勤の予定だった。
扉付近には、わずかな隙間から入り込んだ土埃がたまっている。
「やれやれ」
風が止んだら掃除をしなくちゃ、と思いながら地下道に降りる。自然研究所の電動アシスト自転車を押しながらゆっくりとスラロープを降りる。
エレベーターもあるが自分ひとりだし、休日出勤だし、歩きで十分だ。
一昨日の強風は前の夜から強くなる気配を見せていた。
地下道を使って出勤する際は自転車がマストアイテムなのに、修理に出していた。
「役場の使えよ。折角もらったんだ」
今まで回収した放置自転車を使っていたが、電動アシスト自転車が自然研究所に5台寄贈された。
車体が市のイメージカラーである碧色に塗られ、自然研究所の名前が白字で入っている以外は最新のモデルだ。
研究所には上司である末永課長も来ていた。
「おはようございます」
「悪いね。休みの日なのに」
「課長こそ」
今朝までに新たに送られてきているであろう被害の状況を加えたデータを県と国の機関に送信すれば業務は終わる。自分ひとりでも十分な作業だがそこは責任者として出てこないわけにはいかないのであろう。…そう思っていた。
「今回ドームのシャッター部分の破損が多いだろう?」
「そうですね。自分のところ、第3ドームの東側のシャッターも歪んだらしく砂埃が入り込んでいました」
「そう!」
末永課長は書類をパンっと弾いた。
「その砂埃も飛来物かもしれないんだ」
「え?」
もしもそうだとしたら未だかつてない地味な飛来物だ。
「砂埃の正体を今調べてもらっている」
課長の話によると、見たことがない砂埃だという。そういわれてみれば少しベージュがかった、テレビで見る砂漠の砂を連想させるものだったような気がする。
パソコンに向かってしばらく作業を続けていると、末永課長の書類にペンを走らせる音が聞こえてきた。
ペーパーレスだなんだといっても、最後は紙がものをいう。
問い合わせに対しての回答の有無や、一度送った資料の訂正箇所などの履歴が一目でわかる課長の資料は、主に手書きだ。
保存する段階になって、スキャンしてデジタル化こそすれ、過程はみんな紙の上にある。
自分の作業がひと段落したので、コーヒーを入れて課長のデスクに向かった。
「あぁ、ありがとう」
課長の机の上の革製のペントレーに2本の万年筆が置いてある。
赤い軸と青い軸は、普段の課長のイメージとは少し違うような気がした。
「面白いだろう?最近、万年筆のインクの色も増えてね、赤ペンと青ペンも万年筆にしたんだ」
僕の視線に気がついたのか、末永課長が言った。
課長は署名用に黒インクの入った万年筆を使っているのはここに来てすぐに知って、カッコいいと思った。自分の周り、自分の親も万年筆など使っていなかった。
そして、今手にしているまさに愛用の万年筆にはブルーブラックのインクが入っている。
普段のメモも、こうして書類に書き込む時も、この万年筆を使っている。
「文字の色で俺だってすぐにわかるだろう?」
課長の文字は急いで崩して書かれた文字でも読める、書写のお手本のような文字だった。
この文字だったら、いや、この文字だからこそ、万年筆で書いてほしい。そう思う文字だった。真ん中にくびれがある木製の軸は使い込まれていて光っている。
「これは初めて自分で買った万年筆。署名用のごっついのは親父から就職祝いにもらったものだ」
課長は三十代後半。
「ずっと使われているんですか?」
「途中、ペン先とかメンテナンスしながらね。それくらいしてもいいお値段だし」
ペントレーの中のものを指差して「10本近く買えるね」と言った。
内ポケットから署名用の黒インク万年筆を出す。よく見るとそれにも木が使われた部分がある。
「こっちはオーダーらしい。どちらも使われているのは楡の木でね。父親曰く俺の誕生花なのだそうだ」
父親曰くがついたのは、後に課長が調べた本では別の花が載っていたのだという。
来週以降はドームの修繕も入って忙しくなりそうだ。
とはいっても、自分達自然研究所は直接修理には関わらない。市の役場の管轄だ。
「ところでどう?電動アシスト乗りやすい?」
「乗っている分にはいいんですが、押して歩くとかなり重いです」
「そうだろうなぁ」
片付けを済ませて、何とか昼前には出られそうだ。
課長も自分もそれぞれ地下駐車場に置きっぱなしになっている車に乗って帰った。
地下道通勤は2日だけだったが、随分久しぶりに外の風景を見るような気がした。風はまだ少し吹いていた。時折風向きで砂埃が飛んできた。
部屋に帰る前に、自分の部屋の下にあるカフェに向かった。
「休日出勤お疲れ様」
マスターがカウンターに座る僕に言う。
「ランチ、大盛りにしてやるからな」
そう言われて改めて本日のランチメニューを見ると、ウインナーたっぷりナポリタンだった。
「やった」
思わず声が出た。
いつもカフェにいる眼鏡屋の主人の姿が見えない。
「さっき、客に呼ばれて行ったよ」
マスターが笑う。
商売っ気のない眼鏡屋の主人は、客に呼ばれない限り、店の向かいのこのカフェにいる。
マスターが支度を始めると、話し相手もなくなり、僕はスマホを立ち上げた。
そして「万年筆 楡」と入力して検索ボタンを押す。
「うわっ」
思わず声が出たのは一番最初に見えた万年筆の値段のせいだ。
万年筆素人の僕には違いがわからないが1500円から100万まで様々な万年筆があった。
課長のはどれだろう?
全く同じものは見当たらない。
「何を熱心に見ているんだ?」
マスターが野菜サラダの置きながら訊ねる。
「万年筆です。マスター、万年筆持ってます?」
「持ってるさ。大事な書類は万年筆を使う」
「例えば?」
「例えば?」
フォークを置くマスターが、スマホの画面を覗き込む。
「最近万年筆で書いた書類は何です?」
マスターは一度チラリと僕を見たが、すぐ視線を自分の手元に戻した。
「息子の出生届だ。その前は自分達の婚姻届」
息子さんは僕より2歳年上だと聞いた。
「その万年筆は今もあるんですか?」
大盛りのナポリタンの皿を置いて、カウンターの中に戻ってから、マスターは「あるよ」と答えた。
「インクを入れると書ける状態だ」
少しぶっきらぼうな口調だった。
「親父からもらった万年筆だからな。いつか、息子にやろうと思っているが、まだ手元に置いている」
末永課長もお父さんからもらったという万年筆を大切に使っている。課長は毎日使っているが、マスターはその万年筆をハレの日に使っている。
大切なものの使い方は人それぞれなんだ。そう思うとなんだか擽ったくなった。
そして自分も父親から万年筆を貰いたくなった。
「いや、そもそもウチの親父は万年筆とか使うんだろうか?」
今度訊いてみようと思った。
「坊がさっき見ていた万年筆、いいな」
「軸が楡の木で出来ているらしいです」
「ほう」
マスターはいつものマスターの顔に戻っていた。
「万年筆を最初に買うときは実際書いてみてから買うのを薦めるよ」
「そうなんですか?」
握りもだけど、ペン先の硬さや線の太さなど人によって適したものが違うのだという。
「親父からもらった万年筆も、親父と一緒に買いに行ったんだ。何本も試して決めた一本だ」
「へぇ」
若かりしマスターとマスターのお父さんを想像する。末永課長も案外とお父さんと一緒に店に行っていたのかもしれない。
「じゃあ、最初の一本は自分を知るために店に行った方がいいんですね?」
「そうだ。あぁ、俺の同級生が文房具屋をやっているんだ。ちょっと遠いけれどもあとで紹介するよ」
マスターの「ちょっと遠い」は覚悟した方がいい。
「でも、さっきのもいいよな」
スマホの画面をタップすると、先ほど見ていたネットショップのページが出てくる。
「ですよねぇ」
もう一度、画面の中の万年筆を見る。末永課長の万年筆に似たものだ。
「それが似合うような男になったら買えばいいんじゃないか?」
確かに今すぐは予算的にも難しい。課長がペントレーに置いてある万年筆が10本くらい買えると言っていたのを思い出す。
「ほしい物リストに入れる」をタップする。
マスターがアメリカンコーヒーをカウンター越しに置く。
「さあ、食べた食べた。いい男になるには食もまた大事だ」
ほしい物リストの一番上にある万年筆を見ている。
万年筆でサラサラと書く末永課長を思い出す。
そして一字一字をゆっくりと、緊張した面持ちで書いているマスターの姿を想像する。
自分はどっちになるだろう?
どっちのオトナも素敵だと思う。
顔を上げて窓の外を見る。
窓の外、少し向こうのドームの透明壁の向こうを砂ほこりが舞っているのが見えた。
マスターからもらったメモには、マスターの同級生の経営する文具店の住所と電話番号が書いてあった。
ここから車で2時間弱のところにある店に、明日風が止んでいたら行こうと思う。
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