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暗号解読

「待たせた」
Mがコーヒーを淹れて部屋に戻ってきた。
「いいのかい?水物なんて」
とKが言うと、「そのためのコーヒーテーブルだ」と言って小型の折り畳みテーブルを指した。
Kはそれを自分の椅子の近くにセットする。
「悪いな」
Mはひとつをそのテーブルに置くと、自分の分は予備のPCが置いてあるデスクに置いた。
「地味ィな作業に付き合ってもらうからさ。今夜の飯は奢るよ」
つまりはMの予想は半日はかかる作業だということか。と、Kは思った。
KとMは清掃人としての同期だ。同じ年に複数の人間が入ることは近年では珍しい話のようだった。ただ清掃人といえど、ふたりは全く違う部署で、仕事において同じ現場になることは滅多になかった。
Kはここでは現場作業員と呼ばれる、所謂、工作員。Mは分別人と呼ばれる解析班に所属する人間だった。解析班は現場作業員や、諜報員(清掃局特有の呼び名が唯一ない)が集めてきた情報を管理する部署で、その中でもMは暗号解析を担当している。
Mの言う地味な作業とは、カードに書かれた暗号の解読だった。
一見ランダムな数字で作られたQRコードに似た図形が書かれたカードがある。
ランダムに見えるそれはとある法則で読むとカードを並べる順番が記載されていることがわかる。
「カードはすでに順番通りに揃えてきた」
「今回は外注なし?」
暗号解読のスペシャリストの外部協力者がいる。Mだけでは到底手が回らない状況だった。急ぎのものからMが片付ける。新手の暗号や時間が掛かるものを外部協力者に依頼する。
「カードを送るのに時間がかかる」
このように紙などのアナログなものに描かれた暗号は、書かれている素材そのものにも意味がある場合があるために、現物を送るのが基本となっている。
「それに今回は、すでに博士にヒントを頂いてね」Mは言う。
「ヒント?」
「このカード暗号はどうやら博士が子ども用のゲームとして作ったシロモノらしい」
数学者であり、論理物理学博士でもあるその協力者にカードを見せたところ「それは僕のだ」と言われたとMが言う。
「QRコードを読ませて出てくる言葉を組み合わせて遊ぶ論理パズルらしい」
そのパズルを元に再編されたものではないか?カードを見ただけで博士はそう推測した。
「一応、そのパズル用にソフトも送ってもらって読み込ませたら、確かに言葉が出てきた」
Mはそう言って画面を見せた。
『はしをつかう』『けいとうなし』
「え?」
「そう。日本語なんだ」
Kは自分が呼ばれた理由がわかった。
「しかもひらがな」Mが言った。
「博士曰く、3歳から5歳くらいの子ども向けの知育ゲームらしい」
「なるほどね」
Kが頷く。そう。博士は日本人だ。
「日本語というのは同音異語が多すぎる」
Mがぼやく。
Kは椅子に座って、コーヒーを飲んだ。
「せめて漢字だったらなぁ」
Kはウンウンと頷いた。漢字仮名交じり文の方が、意味が通じやすい。
「日本語はただでさえも、文法は違うし、ひらがな、カタカナ、漢字。しかも英単語をアレンジした新語もほいほい作るし、方言?あれも厄介だ」
「方言は僕も全てを把握してないよ」
「でも、俺よりかは、いや、清掃局の連中の中では一番精通しているだろう?」
「どうだろうね」
清掃局の職員は100人程度だ。そのうち清掃人と呼ばれるのはアルファベット26人。26人の中には確かに日本人はKだけだ。日系人となると技術の最古参QとK同様現場清掃人のFも該当する。国籍はそれぞれドイツ人とイギリス人だ。
清掃人以外のスタッフには日本人も何人かいるはずだ、とKは思った。確信はないが。清掃局内では英語が公用語だし、見た目だけでは国籍などわからない。清掃人以外は一応名前で呼ばれているが、それが本名かどうかもわからない。
「Fも詳しそうだけど、残念ながら今日は現場に出てる」
Kは再びウンウンと頷いた。Fは今日は大掃除だ。今日中に終わるのだろうか?Kは思った。
Kも一昨日まで現場に出ていた。昨日今日とは局内での待機。しばらく現場が続いていて昨日は一日報告書作成だったし、今日も午前中は新しい装備の説明を受けていた。
Mがカードを手にした。ゲーム用カードより少し大きい厚めのカードだった。
まだ新しく見えるそのカードは諜報部のエースが手に入れたものだという。
「256枚?」
「大した枚数だろう?」
「そうだね」
「大昔の手品用のトランプ知ってる?」
「いや」
「模様をよく見ればカードが何かわかる。今回はカードの順番がわかる」
すでにカードは順番に並べてある。最初はそこに出てくる順番にこそ意味があるものだと思われていた。でもそれは単なるカードの順番でしかなかった。逆に、この256枚のカードに欠番もなかった。これらを1枚ずつアプリを使って読み取っていく。そこに出た言葉を読み解く。
「一体何の暗号なんだ?」
「某国に武器工場の製造ロボットの制御だ」
「ロボットの制御?」
そんなものが256文字で済むわけがない。一枚の中の本当の情報量を想像するとゾッとする。
「化学兵器工場。人が作るには危険だからな。ロボットに作らせているそうだ」
「それが日本語?」
「安心しろ。その某国は日本ではない」Mは言う。
「こんなふうに外に出ても日本の知育ゲームだと思わせるのも向こうの作戦かもしれないけど、作った本人が、あっさり偽装を見抜いてくれたからね」
Mはニヤリと笑った。
本物のゲームは、名詞と動詞がそれぞれ別に表示される。『はしをつかう』というように一枚で文が成り立つことはないし、一枚の中に『はしをつかう』『けいとうなし』というようにふたつのものが含まれることもないのだと博士は言った。
「カードを読み取り出てきた言葉を単純にアルファベットに置き換えるだけで済むことを祈っているんだけどね」
一見意味のない文である。
どんな国でもプログラミングにはアルファベットを用いることが多い。日本のひらがなの数とアルファベットの数を比べると圧倒的にひらがなの方が多い。過去にもその国の言語を暗号表を使ってアルファベットに置き換える暗号は多い。その逆のパターンもよくある。
「意味があるような、ないような思わせぶりな日本語が憎い」
モニターの文字を見ながら、Mは少し冷めたであろうコーヒーに口をつけた。
「でも、そんなまどろっこしい真似するかな?」
「それだけ隠したいんじゃないの?」
Kの問いに肩をすくめ、Mは手にしたカップに息を吹きかける。どうやらまだMには熱かったようだ。
「ひょっとしたらなんだけれど、ロボットにもこうして命令を与え絵いるのかもしれない」
本来ならば携帯端末のカメラを使っての作業だが、読取機にカードをセットして一気に読み取る。カードをセットしながらMは言った。
「そのモニターに結果が出てくるから」
PC用のモニターにしては少し大きいそれをMが指す。
「おまえを呼んだのが無駄足になってくれよ」
そう言いながら読み取り開始のボタンをクリックするMにKは苦笑するしかなかった。

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