#3 選択肢の量
1月の初め、久しぶりの友達と三人でお酒を飲む機会があった。そこでこんな会話になった。
友達A「30年後みんな何してるかな?」
飲み会の定番トーク。たぶん1年前にも同じ会話をした気がする。
友達B「お前は何か変わったことして大成功してそう」
素直に嬉しかったので反射的にありがとうと返した。
最近、高専の後輩の女の子や大学の同期からも同じ様なことを言われた。だけど、なぜだか自分では”変わったことして大成功”のビジョンが見えない。
そこで友達Aが言う。
友達A「いや、意外と慎重派だから安牌狙ってある程度のポジションで落ち着きそう」
もちろん悪意はない。たぶん。
でも、なぜか妙に納得してしまった。
思えば自分は、周りからよくチャレンジャーだと勘違いされる節がある。
中学卒業の段階で地元を離れ、高専での寮生活を始めたり(地元の友達は高専が5年制であることさえも知らなかった)、求人倍率が20倍を超え、クラスの8割が就職するのにも関わらず東京の大学に編入したり、入学したと思ったら半期で休学届をだしたり、、
自分の周りの友達と比べるとあまり王道とは言えない選択をしてきた。
でも、別に「人と違うことはカッコイイ!」とか「少数派に逆張りして希少性を上げた方が良い!」みたいな尖った考えは微塵もない。
高専に決めたのは理系科目に傾斜配点が掛かるから&センター試験を受けたくなかったからだし、編入する大学を決めたのも推薦が使えたから、休学を決めたのはオンライン授業が身体に合っていなかったからだ。
(名誉のために書くと、もう少し真面目に考えている)
では、なぜ少し変わった進路を選択してきたのか?
おそらく、自分は「少数派=不安」の感覚がバグっているのだと思う
振り返ると、地元から少し離れた変わった幼稚園に行っていたり、マイナーな習い事やスポーツをしていたり、高専では周りに留年・退学する人がたくさんいたりと環境のせいで徐々にバグっていったような気がする。
あと、少し変わったことをしているだけで、人から興味を持ってもらえたのが成功体験として残っているのもあると思う。
最近、高専生や編入生以外と絡むことが増え「少数派=不安」と感じる人が意外と多いことに気が付いた。
考えてみると当たり前だが、少数派の道に進んでも必ずその先で同じ選択をした人と出会うことができる。意外と独りにはならない。
もっとたくさん選択肢があるのに、「少数派=不安」の感覚を持っているだけで、無意識に選択肢を狭めている人が多い。
自分はこの感覚がバグっているおかげで(せいで?)、人より少しだけ選択肢が多いのだと思う。だから、自分は失敗の少ない楽な進路を選んできただけなのに傍から見るとチャレンジャーのように写る。
ただ、「選択肢が多い状態」は幸せな事だけれど、そこから「1つを選択すること」は一概に楽とは言えない気がする。どうやって選択するのかはまた別で書こうと思う。
2022/02/02
[追記]
周りからの見られ方にギャップを感じ、その原因が分かったということが書きたかったのに、よくわからない終わり方になってしまった。
ちなみに、友達Aの方が友達Bより少しだけ付き合いが長く、もう10年近くになる。よくわかっている。本人には言わないけれど。