【小説】懺悔の葬送 2 ーもう一通の手紙ー
(2) -もう一通の手紙-
「じゃあ、お母さんの願いとやらを始めますか」
開始にあたりこれは誰から話すかは決まっているのかと孝子が問うたので、私が「特に順番などの指定はなかった」と返すと、じゃあといって孝子はまとめた。
「一人ひとつ〝最も心に残ってる罪の懺悔〟。
先に子供たちが私から順に話して、最後にお父さんでいいかしら?」
一同に異論はなかった。
私は内心、娘の祐子の居る前で話すことになる私だけがこの場で唯一不利であると感じていた。
だが、かといって祐子に席を外すようにこれ以上強く言えもしないし、自分だけ懺悔を免除してもらう訳にいかないことは理解していた。
孝子の告白は、中学生の頃に学校行事の日程について母にことごとく嘘を伝えた、というものだった。
一見可愛らしい内容に、懺悔はそんなもんでいいのか、みたいな安堵が一同に流れたが、プリントまで改竄していたという孝子の母に対する徹底的な反抗に、残酷めいた何かを感じてだんだんと母が気の毒に思えてきた。
「だからね、お母さんが遠足だと思ってる日は、なんでもない日なわけ。
お母さんははりきってお弁当を作るけど、別に私はなんでもない授業の日だし早弁してさっさと食べちゃうのよ。だってお昼は友達と購買で買いたいから」
孝子はことさらに強調して言った。傍にいる母に聞かせるかのように。その表情は楽しげですらあった。
そうだ、昔から孝子は母に対して冷たい人だった。
小学生の頃、孝子に言われて私も母に嘘をついたことを思い出した。
町内のお楽しみ会でもらったおやつの数を誤魔化したとかそんなレベルの話だったと思うが、当時の私は罪悪感で苛まされた。
あの時も孝子はどこか楽しそうであった。
「さあ、次は義雄よ」
孝子は特に反省を述べるでもなく、さらっと話を終えると、私に手を向けた。
「姉さんのは終わりか?」
「そうよ。告白すればいいんでしょ?」
……それは懺悔と言えるのか?
私はその言葉を呑み込んだ。
そして、場の空気は私に集まった。次は私が懺悔をしなければならない。
私は娘の祐子の手前、下手に誤魔化さずにここは離婚のことを触れるのが適当だろうと判断した。
「私は……過去に自らの意思の弱さで家庭を壊したことだ」
やや早口で言い終えると、孝子は口の端をゆるめた。
俊雄はひとつ頷くと視線をそらした。
ちょうど私から直接視線が交わせない背後に祐子がいるので、彼女の表情は見えない。
そもそも、見る勇気もない。
離婚の直接的原因は、私の不義によるものだった。
「今思えば気の迷いだった」
それで? 孝子が次を促した。
嗜虐心が見て取れる姉の振る舞いに私はだんだんと苛立ちが募ったが、とはいえ流れ的に謝罪せねばこの場をやり過ごせないことを認識した。
「離婚後も、あまり父親らしいことは出来なかった。
祐子には苦労をかけたと知っている」
覚悟を決めて祐子のほうを振り返ったが、彼女は相変わらず冷えた眼差しを向けていた。私は胸元に痛みを感じた。
「申し訳なかったと思っている。
言い訳でしかないが、家業のことでいっぱいいっぱいでどうかしていた」
祐子の表情には変化がなかった。彼女がどう感じ、何を考えているのか検討がつかない。
これ以上は耐えられない。私はどうにか話を終わらせようと考え始めた。すると空気を察したかのように、俊雄が口を挟んだ。
「まぁ……家業に関しては、俺たちには荷が重たかったんだよな」
俊雄は何も言わなくなった私を見てそのまま自分の番とばかり話を続けた。
「まぁそうだね。俺は懺悔するならやはり家業のことかなぁ。
だってね、兄貴と俺で潰しちゃったようなもんだしな。経営学部まで行かせてもらったのに!」
俊雄は両手を広げると戯けた表情をした。
「なに開き直ってんのよ...…」
孝子が呆れたように言うが、その目は俊雄の言動を口ほど悪くは思っていないのが窺える。
俊雄はそのまま母に向かって正座すると頭を下げた。
「代々続いた会社を繁栄させられなくて申し訳ありませんでした!」
言葉こそ謝罪であるが、まったく悪びれもしない態度。
孝子は俊雄の姿を見て笑っているが、私は到底穏やかな気持ちにはなれなかった。
何を言うか……。
お前は反省などしていないだろう?
家業がうまくいかなかったのは、俊雄のこの性格だって要因の一つであった。
自身の罪をぼやかして、私との連帯責任のように話すのは卑怯ではないか。
私の内心などお構いなしに、ノルマは終わりとばかり俊雄は再び胡座をかいて座り直した。
続いて視線は父に向けられた。
父はそれまで黙って聞いていたが、一言ぽつりと呟いた。
「儂はあれじゃ、あいつを一度裏切ったことじゃ」
えっ……と孝子が小さく声をあげた。
「裏切ったって不倫ってこと……?」
父は拗ねた子供のように口を尖らせた。
「過去に一度だけだ。お前達が生まれたばかりの頃」
「それで、どうなったの?」
「お母さんにバレて、女とは別れた。それっきりだ」
場に沈黙が生まれた。
孝子が再び口の端をゆるめてこちらを見た。その目は、親子ねぇと語っている。
なんなんだ、この場は?
まるで針の筵ではないか。
皆、父の告白に驚きつつも、私と父では大違いであると内心感じているだろう。父は最終的に母に赦されているが、私は家庭を壊すに至った。結果が大違いなのだ。
私は母から来た手紙を無視してしまえば良かったと後悔していた。いつも母の指示に従ってきたが今回ばかりは間違いであった。
この懺悔によってもっとも傷を負ったのは間違いなく私ではないか。
母は一体なんのために、こんなことをさせたのか。
翌日の告別式が終わるまで、私は祐子に再び話しかけることが出来なかった。
そして祐子は帰り際に一言こう話した。
「お父さんは知っていたのね」
*
四十九日の法要の前に生家の片づけを行うから来てほしいと孝子から連絡が入った。
仕事の調整をつけて戻ると、そこには孝子はおらず居間に父がひとりでぽつんと座っていた。
「親父」
声をかけたが、反応がない。様子を見ると、父は母の葬儀のときと比べてさらに痩せたように見えた。前より眼窩が落ちくぼみ、瞳に生気が感じられない。
生ける屍……そのような言葉が脳裏に浮かんでしまって、私は首を振った。縁起でもない。
「姉さんはどこへ行った?」
訊ねたが父は首を振った。
「疲れているのか? 親父」
そう訊ねると、父はようやく首をこちらへ向ける。
「儂にも手紙があったんじゃ」
「え? 手紙……って。お袋から? なんて?」
父は再び首を振った。内容は話したくないとの意思に見て取れた。
「儂はもう疲れた。お母さんも儂を遺して逝くのが嫌だったみたいだから、もう早くあちらへ行きたい」
ここ最近としては驚くほど明瞭に父が言葉を述べた。だが、内容が内容だけに私は返答に詰まった。
長年連れ添った妻を喪った相手に、そんなことを言うなと安易に声をかけるのも違うように思うし、かと言って同意することではない。
孝子はどこへ行ったのだろうか。呼びつけておいて不在なら一言連絡くらいは欲しいものだ。
十二月になり五時前でもすっかりと辺りが暗くなっている。
そろそろ夕飯を考える時刻だが、父と自分だけなら店屋物でも取るかとなるが、姉が戻るのなら勝手をする訳にもいかない。
私は孝子に電話をかけた。
何コールかのあと、孝子は電話に出た。
「義雄? いまちょっと大変なことが分かって……」
「え?」
「とにかく今から戻る。そのままそこに居て」
孝子は珍しく慌てているような声であった。
しばらくして孝子は玄関を勢いよく開けて居間に入ってくると、開口一番にこう言った。
「お母さんの口座に一円も残っていないの……!」
孝子は眉を寄せ唇を震わせていた。ボブの髪の毛が風に煽られたなりでばさついている。
いつも小綺麗にしている孝子らしくもなく、私はどこか他人事のようにその話を聞いていた。
そんなことがあるのだろうか?
母は倹約家であったし、母名義の不動産を所有していたときもあった。晩年は売却したが、手元に一円もないことはない。
父が小さい声で呟くように言った。
「お母さんの金はもうない。全額寄付したそうだ」
「はっ? どういうこと?」
孝子がほとんど絶叫のような声で言った。
「贖罪のためだそうだ。儂も寄付した先は知らん」
「お父さんそれ本気で言ってるの? ...…意味がわからない!」
「分からないといっても、それがあいつの遺志だから仕方ない」
「仕方ないわけないでしょ!」
私は思わず孝子と父の間に入った。孝子は収まりがつかないようであった。
「理解できない。そんなの勝手すぎる!
これまで私がどんな思いをしてきたと……。
少なくとも! 少しは私たちにだってもらう権利が!」
孝子はスマートフォンを取り出すと、ぶつぶつと言いながら検索を始めた。
「そうよ……遺留分……。
全額寄付するとかいっても遺留分はもらえるはずよ!」
父と私に言い聞かせるように孝子は説明を続けた。
「本人の意志だとしても、法定相続人の私たちは保証されている遺産取得分があるのよ。私ちょっとお母さんの寄付先を調べるわ」
「やめておけ」
小さい声で父は言ったが、孝子は受け入れられないとばかりに首を振るとそのまま再び家を出ていった。
数日後、孝子からメッセージがあった。
〔お母さんが寄付した先が分かった。交通遺児のNPOだった〕
〔交通遺児のNPO? ……なんでそんなところに? うちとなにか関連がある団体なのか?〕
〔関連はないと思うわ。理解できないけど、歳をとっておかしくなったのかしらね〕
孝子はすでに弁護士に相談しており、相手方のNPOと遺留分侵害の交渉を進めているとのことだった。
私は詳しい話を聞くために週末に帰省することにした。父の様子が気になったというのもあった。
土曜日の昼下がり、朝一で特急に乗って帰ってきた私は生家の玄関を開けようとしたが、珍しく鍵がかかっていた。
孝子が物騒だから鍵をかけるように幾度となく父に話をしていたことを思い出した私は鍵を取り出した。
ガチャリと施錠を外して玄関扉を開けると、すうっと冷たい空気が流れてきた。
どうやら誰も居ないようだ。
孝子は弁護士とのやりとりがあると連絡があったので、まだ戻っていないだけかもしれない。
だが、父は家にいるはずだった。
「親父?」
居間に続き寝室も覗いたが、どこもがらんどうであった。
私は背筋を嫌なものが走るのを感じた。あの、認知症気味の父が独りで外出して大丈夫だろうか。
出ていったら、ふらふらと道に迷ってしまう気がした。認知症の高齢者が行方不明になるニュースが頭を掠めた。
私は慌てて家の近所を一通り探した。
だが、自宅周辺の範囲内には父は見つからなかった。
家に戻ってきて、孝子に電話をした。ところが孝子は弁護士とのやりとりが長引いているのか、コール音ばかりで繋がることはなかった。
「畜生……!」
仕方なく私は市町村の行方不明高齢者に関するサイトを確認しようと考えた。
スマートフォンをタップしたその時、電子音が室内に鳴り響いた。固定電話の着信であった。
詐欺対策ですぐに留守番電話に繋がる設定になっているため、自動応答アナウンスが流れ始める。発信音の後に電話の相手が話し始めた。
「こちら✕✕総合病院でございます。齋藤八郎様のご自宅でよろしいでしょうか。本日11時、齊藤様が当病院に救急搬送されまして……」
慌てて電話に出た私は電話口の担当者から言われた通り病院へ駆けつけた。どうやら父は交通事故に遭ったとのことだった。
病院に着くとすでにオペは終わったと案内された。父はオペ後ICUに運び込まれていたが、高齢者のためあちこちの骨折と頭部外傷があり意識不明であった。
その後の警察とのやりとりで、父は赤信号の横断歩道をふらふらと歩きだし車にはねられたようだった。
私の悪い予感は的中してしまったのだ。
孝子が病院に駆けつけるのを待ち、医師から詳しい状態の説明を受けた。医師からは脳挫傷を起こしており今晩が峠だから覚悟するようにとの言葉があった。
孝子は項垂れていた。自分が出かけてなければと口にし、私は姉の責任ではないと慰めることしか出来なかった。
父はなんとかその晩を持ちこたえたが、それからも小康状態で意識を取り戻さないまま数日が過ぎたある日症状は急変した。
医師と看護師の懸命な処置も虚しく、父はその数時間後に帰らぬ人となった。
私たちは母に続き父までも続けざまに見送ることとなってしまった。
「男の人は奥さんに先立たれるとすぐついていきたくなっちゃうのよね」
母の従姉妹がそう言って私たちを慰めたが、さすがに私も俊雄も気を落としたまま頷くのみしか出来なかった。
姉の孝子だけが気丈に振る舞って万事を取り仕切っていたが、火葬場で呟くようにこう言った。
「お母さんが亡くなった病院で半年も経たないうちにお父さんまで亡くなるなんて……」
孝子はその後、疲れたから遺品の整理はせずしばらく休みたいと話した。
私は孝子に片づけは私が行うと話した。姉にばかり負担をかけられないと考えたのもあるが、実はもう一つ理由があった。
孝子に伝えていないことがある。
父は一度だけ意識を取り戻し、一言だけ言葉を遺していた。
それはICUから一般病棟に移った日、父の身の回りのものを取りに戻ると言った孝子に代わり私が父の様子を見守っていた時のことだ。
父は驚くほど静かに横たわっているだけだった。
「親父、なんで赤信号なんて渡ったんだ。そんなにお袋のところにいきたかったのか?」
私は思わず声に出して呟いた。独り言のつもりであった。
ところが、静かであった父が呻くように動いた。
「親父!」
父は瞳を開いた。
「親父! 聞こえるのか?」
私の呼びかけに目線のみをこちらに向けると、父はにこう呟いた。
「祐子には悪いことをしたな……」
「……え?」
一瞬、私は聞き間違いかと思った。父の言葉が呑み込めない。
父は虚ろな表情に戻りそのまま再び目を閉じた。
「親父! しっかりしろ! いま先生を呼ぶからな!」
私は慌ててナースコールを押した。ナースステーションからの応答に対し私が状況を伝えると、医師と看護師がすぐさま病室に入ってきた。
しかし結局父は再び意識を戻さなかった。
病院に戻った孝子には父が一瞬目を開けたことを伝えた。
「お父さん、なんか言ってた?」
しばし逡巡した後、私はこう返した。
「いや……なにも」
私は父が受け取ったという母からの〝もう一通の手紙〟のことが気になっていた。
何故、母の葬儀に祐子は来たのか。私とは言葉すら交わそうともしない娘があの場に来たことを、私はずっと引っかかっていた。
祐子に母が亡くなった連絡を入れたのは孝子であったが、孝子は生前母が残したリストにあった親族に連絡をしたと言ってた。
つまり、あの葬儀の場に祐子を呼んだのは母である。
そこへ今際の際に父の遺した言葉。父は祐子のことなど私が離婚してからここ数年口にしたことはなかった。
母は父に対して何か祐子の事を手紙で告げたのではないか。
私は父母の寝室、箪笥や押入れなどを順番にじっくりと片づけていった。
若いころの父母や幼い自分たちが使っていた衣類までも母は丁寧に残してあり、それらは膨大な量であった。
そしてついに、父が書籍を入れていた戸棚から一通の封筒を発見した。
「齋藤 八郎 様」
それは、まさしく母から父にあてた最期の手紙であった。