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【小説】懺悔の葬送 1 ー母からの手紙ー

【あらすじ】
——齢85歳の母が亡くなった。
「母が罪を背負っていくので、母の亡骸の傍で各々の罪を告白させて欲しい」
 亡くなる数日前に、母から〝最期の願い〟という手紙を受け取っていた義雄は、困惑しつつも葬儀のため帰省する。
 父や姉弟にのみ母からの手紙について打ち明けようとしたところ、集まった親族のなかに離婚した元妻との一人娘である祐子が参列していることを知る。
 後ろめたさから積極的に祐子に声をかけることが出来ない義雄だが、祐子同席のもと母の〝最期の願い〟を家族で実行することとなる。
 義雄は仕方なく罪の告白に自らの離婚について触れるが……。

あらすじ

全3話の短編で、こちらは1話です ⇒ 2話3話

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(1) -母からの手紙-


——間もなく10番線に特急あずさ9号 松本行きがまいります。危ないですから黄色い線までお下がり下さい。この列車は11両です。ご乗車には乗車券の他に特急券が必要となります……。

 新宿駅のホームに、特急列車の接近を知らせるアナウンスが入った。十一月というのに秋晴れで気温は高く、足早に階段を上がってきたため額に汗がにじむ。私は思わず礼服のジャケットを脱いだ。

 昨日の昼過ぎに姉、孝子から母逝去の報せを受けた私は、仕事の調整をつけ帰省の手配をした。
 新宿駅から乗る特急列車は連休の行楽シーズンでほぼ満席だったが、何とか一人分の席を確保できた。

 母は享年85歳。胃がんとのことだった。

 私は指定席に腰を掛けると、ハンドバッグから一通の封筒を取り出した。
 この手紙が自宅に届いたのは、先月の中頃であったか……。
 年老いた母からの手紙を受け取ることになるなど想像もしていなかった私は、ポストに投函された懐かしい母の筆跡が目に入るとネクタイを緩める間もなく手紙を開封した。
 毛筆で丁寧に書かれた便箋には、母からの〝最期の願い〟が書かれていた。


母は余命があと僅かのようです。
義雄にしか頼めないことがあり筆をとりました。


 母に余命宣告されるような病があると聞いていなかった私は、驚いてすぐに姉の孝子に電話をした。姉にとっても寝耳に水のようであった。

「私も最近知ったのよ。
 夏頃から調子が悪いとは言って時々病院には行ってたわ。でもまさか癌とはね。なんかもう末期らしいのよ。急に悪くなってね。お見舞いにいってもほとんど会話が出来ない日も多いのよ」

 孝子はあっけらかんとした感じだった。もともと母娘おやこ仲はいい方とは言えなかったが、あまりに何でもないことのように孝子が言うのを私は少し無情に感じた。

 私から見た母は年齢にしては身体機能も衰えてはおらず、父と共に家業を支えていた頃に比べれば物忘れは増えたが、それでも明瞭な言葉で意見を述べてしゃんとしていた。

 家業は戦前に私の曽祖父が創業したアルミ鋳造を主とする小さな町工場だった。機械部品などの緻密な製造を得意としていた。
 祖父の代には軍事需要もあり、第二・第三工場と規模を拡大した時期もあったようだが、私が物心ついた頃には、本社社屋のみとなり祖父から代替わりして表向きの社長は父であった。

 母はそんな中家業を支えた。支えたといっても、それは裏で父をという意味ではなく、文字通り母が居なくては家業は瓦解するという意味でだ。
 風流で粋なことが大好きな父は〝遊び〟に余念がなく、よく外で散財してきては母を困らせたようだ。父は先代から家業を継いだものの、仕事そのものにはあまり関心が無かったように見えた。

 取引先との関係構築、商品の品質管理や工夫改善、従業員の採用や給与・労務管理、その全てを母が取り仕切っていたといっても過言ではない。

 私は大学卒業後、弟の俊雄とともに家業を継いだが、私も弟もどうにも経営に才が無いらしく、結局は母を頼りきっていた。
 五年ほど前に古株の従業員であり工場長をしていた源さんが退職し、顧問をしていた母自身も年老いてきたこともあり閉業することになった。

 私は取引先のツテでとある中小企業に就職して、今は都内で会社員をしている。


 車窓からの眺めに徐々に住宅が減っていき、畑や樹木が増えてきた。私は再び母からの手紙に目を落とした。


余命僅かの私に出来ることが何かと考えたときに、最期に皆の罪を背負っていこうと考えたのです。

私が亡くなったら亡骸の傍で各々の罪を告白させて欲しいのです。
これまでで最も心に残っている罪の懺悔です。
皆、嫌がるでしょうがこれが母の「最期の願い」と思い、なんとか聞き入れてもらうよう説得をお願いします。
義雄になら出来ると思っています。


——亡骸の傍で各々の罪を告白させて欲しい

 この風変りな願いは一体どういう意図なのだろうか。
 葬儀の日に懺悔など聞いたことがない。本来葬儀というのは、故人をおだやかに送り出すためのものではないのか。
 死を前にして、自分が懺悔をするならともかく、人に罪を告白させるとはどういうことなのか。そもそも他人の罪を肩代わりなど出来るのだろうか。

 手紙の内容について孝子に話すと驚いた様子で「そんな手紙を書ける元気があったのね」と言った。現在の母はとても手紙を書く元気はなさそうだと言う。

 私は居た堪れなくなった。最後の気力を振り絞って私に手紙を書いたのだろうか。
 手紙を受け取る一ヶ月くらい前に、生家から何度か携帯に着信があったことを思い出した。おそらくその着信は母だったに違いない。

 何とか調整してお見舞いに行き、母にこの風変りな願いの意図を聞こうとしているうちに、母はあっけなく旅立った。私は今更ながら、着信に折り返しをしなかったことを悔やんだ。

 葬儀社につくと、すぐに孝子と父の姿を見つけた。

「あ、義雄!」
「姉さん久しぶり。いろいろありがとう」

 昨日、病院での医師による死亡宣告のあと、孝子が葬儀社との打合せなど諸々を行ってくれていた。

「まぁ葬儀社は、お母さんが全部決めてたのよ。半年くらい前に突然呼びだされて『孝子、私が死んだら葬儀はここでやって。費用は××信金の口座に用意してある。大仰なのは嫌いだから家族葬にして頂戴』とかって。
 らしいでしょ?」

 孝子はそう言ったあと、口の端を少し上げ苦笑した。

「決めてたって、そのときは余命の話は出ていなかったんだろう?」
「そうよ。だってお母さんずっと元気だったもの」
「だよな……」

 孝子は少し声をひそめるような仕草をしてこう私に耳打ちした。

「どっちかっていうと、お父さんのが先に逝くって思ってたわ。後で分かると思うけど、最近本当にやばいのよ」

 親族控室に父がぽつんと座っているのを孝子は横目で見た。
 父はここ最近、認知症の症状が以前よりも進んできたようだと孝子から聞いていた。こうして実際の父の姿を見て、私もその見立てに納得した。
 妻を亡くしたショックもあるだろうが、憔悴しているというよりは、空中を眺めぼーっとしているに近い。
 こちらから声をかけなければ、微動だにせずそのまま居そうな雰囲気だ。

「13時から湯灌の儀と納棺するから義雄も立ち会ってね」
「わかった」
「お顔みる?」

 霊安室へ入り手を合わせて面布をめくると、母は穏やかな表情をしていた。母は本来こんな表情だったのだろうか、厳しかった母を考えるとどこか他人のような気がする。

「俊雄は夕方来るって」

 孝子が事務連絡のように告げた。

 弟の俊雄に会うのはいつぶりだろうか。
 家業を閉めてから、俊雄はほとんど生家に戻らなくなった。もともと飄々として働くことが好きではない男だった。いまはどうやって生計をたてているのか私もはっきりとは分からない。連絡がつくのは、孝子くらいだった。

「通夜から来るってだけ、俊雄にしちゃ上出来ね」

 孝子は、意味ありげに微笑んだ。
 私は同意とばかりに頷くと、そのまま親族控室に入り父に声をかけた。

「親父。いま来たよ」

 父は目線だけこちらを向けたあと、すぐさま宙に戻した。小さく「ああ」とだけ言ったが聞き取れるか聞き取れないかの声だ。

「あんまり急で、驚いたな」

 父の気持ちを慮って私はその一言だけ声をかけたが、父は何も答えなかった。
 近年、父は耳もかなり悪くなった。もしかしたら聞こえていないのかもしれないな、そう思った私はいくらか大きい声でこう訊ねた。

「珈琲でも淹れてきますか?」
「いらない」

 視線を宙に向けたまま父はそう返事した。

 湯灌まで少し間があるため、私は控室に置かれた珈琲ポットから珈琲を注ぐと砂糖をひとついれた。昼食は駅前の立ち蕎麦で済ませていた。

 控室を出て脇にあるベンチに腰掛け、葬儀を行うホールのほうに目をやると、入り口近くに一人若い女性が座っているのが見えた。
 喪服姿で、腰まである長い黒髪を後ろにひとつポニーテールにしてまとめている。

 あんな若い娘うちの親族にいたか? 私はそう思って手に珈琲を持ったままそちらに近づいた。若い女性の顔が視認できる位置まで行き、私は息を呑んだ。

 色白で、睫の長い切れ長の瞳と鼻筋の通った顔...…。離婚した元妻の時子が居ると思った。
 いやいや……。
 私は心のうちで思い直した。
 あれは時子ではない。時子は私と同じ歳だ。こんなに若い訳がない。

「祐子……。来てくれたんだな」

 そこに居たのは私と時子の間の娘、祐子だった。時子との離婚後、養育費のみのやりとりで、一度も二人には会っていなかった。最後に姿を見てから、十五年近く経つ。
 私のイメージの中ではまだ小学生の姿だったが、もう今年二十七歳のはずだ。すっかり成人した大人の女性であるし、母親に似て見えるのも当然であった。

 祐子は私の呼び掛けに、首だけを向けた。無表情だった。
 無理もない。祐子は私を恨んでいるのだ。
 あんな形で家族を捨てた私を恨まないわけがない。

「おばあちゃんのお葬式に来てくれたんだな。わざわざ遠くからありがとう」

 私はそう声をかけるのが精一杯だった。これに対しても祐子は何も言わなかった。

 13時から予定通り、湯灌の儀と納棺が行われた。その後、私は訃報をききかけつけてくれた母の兄弟や従兄弟などの親族を孝子とともに出迎えた。
 その際、祐子も香典を恭しく出すと記帳をした。気まずさから声をかけられない私に代わり、孝子が声をかけた。

「わざわざ遠いところありがとうね」

 孝子の声がけにも祐子は頭を下げたのみであったが、そこで姉らしく動じることもなく香典を見てこう続けた。

「相変わらず祐子ちゃん、字が達筆ね」

 少しの間があって後、祐子はこう返した。

「亡くなったおばあちゃんに子供のころ習っていましたので」

 そうして再びぺこりと頭を下げ去って行った。

「久しぶりの親子再会? ずいぶんと素っ気なかったわね」
「……。祐子の字のことなんて、姉さんはよく覚えていたな」
「なんかお母さんお習字やってたなーと思って。うちの息子にも教えようとしてたけど、全然乗り気じゃなくて、その点、祐子ちゃんは義雄の娘だけあって従順に習っていたから印象に残ってたのよ」

 そんなことがあっただろうか。私は記憶を呼び起こしたがあまり思い出されるものが無かった。
 祐子が幼いころは、家業を覚えるのに必死だったため無理もなかった。

「でも……。上手だけどいま一歩惜しいわね。
 だってこの祐子の「口」って部分、最終画の横線は少し出すんじゃなかった?
 お母さん、すごくトメハネとかに厳しかったのよねー」


 18時になり、ホールにてしめやかに通夜が執り行われた。
 焼香でも父は覚束ない足取りで、孝子が付き添った。父は通夜の間もずっとぼんやりとしており、父に代わり孝子が喪主挨拶をした。

 通夜振舞いとなり、寿司やオードブルが用意された別室に移動した。家族葬とはいえ、久しぶりに集まった親族もいるため、話題は尽きなかった。

「和子ちゃんはね、本当に頭が良かったのよ。学者だった伯父さんに気質が似ていたわね」

 母の従姉妹が懐かしむように母のことを語り始めた。母方の祖父は私たちが生まれる前に亡くなっていた。学者であったらしいというのは、母から聞いたことがあったが、あとは遺影で見たことがあるくらいのものだった。

 私は末席のほうに一人で腰かける祐子のことが気になったが、さきほど一言も言葉を交わせなかったことを思うと積極的に声をかける気になれなかった。
 情けないことだが、リアクションすら返されないことに私は少なからずショックを受けていた。

 もう一人の母の従姉妹が続いた。

「そうね。和子ちゃんは子供の頃からなんだか難しい本をたくさん読んでいたわね」
「学校もね、旧女学校の名門でね」
「そうそう。しかも確か首席卒業だったのよね」
「結婚してからは子供達の教育にも熱心だったわね」

 孝子がこちらに目配せをしてきた。自分達に話が及びそうだから何とかしろの合図だ。

「僕らにとっては厳しくて怖い母でしたよ」

 少し冗談めかして私はそう言葉を挟んだ。それを聞いた二人が笑った。

「それはそれで分かるわー。ちょっと、自分にも他人にも厳しいところがあったものね」
「でも八郎さんにとってはいい奥さんだったんじゃない? あれだけ家業にも精を出して頑張っていたもの」

 一同の視線が父に集まった。父は相変わらずぼんやりと宙を見るばかりで、その様子を見た母の従姉妹達も苦笑した。

「では私たちは今日はこの辺で。明日の告別式は10時からよね?」
「そうです。敏江さん、寿美子さん遠いところありがとうございました」

 そのタイミングで孝子の夫も仕事を残して来ているとの理由で帰宅すると言い出した。
 そうだ、そろそろ祐子も帰してやらないと……。
 私はそう思って周囲を見回したが、いつのまにか祐子は居なくなっていた。

 親戚があらかた帰ったところで、私は例の〝最期の願い〟について、父と姉、弟に話をした。

「つまり今晩、寝ずの番とともにごめんなさいをしろってこと? お母さんは本当に厳しいわね」
「けど、やらなかったらやらなかったで、この先俺たちがあの世に行ったときまで説教されるのはたまったもんじゃないな」

 孝子の呟きに対して、俊雄が続いた。
 母の亡骸は通夜の後、親族控室へ運ばれていた。あけすけな物言いの孝子と俊雄を制止したくなったが、母が聞いているなどと口にすれば笑われるに決まっていた。

 少なくともこの懺悔は家族以外に聞かせるものではないな、そう判断した私は立ち上がった。

「もう皆さんお帰りになったよな? 念のため、確認してくる」

 すると時を同じくして一人、親族控室へ入ってきた。腰までの黒髪が目に入り私はぎょっとして顔を上げた。

「祐子……。帰ったんじゃなかったのか?」

 祐子はじっと私を見つめるとこう訊ねた。

「私ももう少しここに居ておばあちゃんとお別れをしていい?」

 ほとんど言葉も交わしてくれなかった娘の真剣な眼差しに、私は躊躇した。強く拒むことも出来ないが、かといってこれから話す内容は祐子に聞かせることではない。

 私は明日も告別式があるから、と暗に帰らせようとした。ところが横から孝子が口を挟んできた。

「いいじゃない。居てもらえば? 孫が寝ずの番に立ち会っていけないなんて決まりはないし、実際これが本当に最後のお別れになるんだから。
うちの子たちなんて、理由をつけて葬儀にすら顔も出さないのに、律儀に祐子ちゃんだけ来てくれて、お母さんも喜んでると思うわ。
 別に、例の懺悔は私たち姉弟とお父さんだけがすればいいんでしょ?」

 優しげな言葉遣いではあるが、孝子の目を見て私は「余計なことを」と内心苦々しく思った。
 孝子は面白がっているだけだ。私の懺悔を聞く姪の姿を見たいだけだ。

 私は姪に懺悔など聞かれたくないであろう俊雄が助け舟を出してくれるのを期待した。が、私の期待に反して場の空気は孝子の意見に同調していた。
 仕方なく私は元の場所に戻り胡座をかいて座った。
 それを了承と受け取ったらしく、祐子は黙ったままついてくると部屋の端に腰をかけた。

 こうして、娘の祐子が立ち会いのもと、父と姉、弟と私の懺悔が始まることとなった。

(つづく)

全3話の短編で、こちらは1話です ⇒ 2話3話

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慎野たつき
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