三橋龍起はUnpackedの社長を退任します
今まで、何度か突発的な発信しかしてこなかったのですが、久しぶりの長文投稿です。この度、株式会社Unpacked 代表取締役を退任いたします。
2020年2月にUnpackedの起源となる、U18キャリアサミットの構想を始め、2020年12月24日に株式会社として設立をし、現在に至るまで約1年9ヶ月の間携わらせていただきました。
理由、背景、思いなどは後に書きましたが、まずは結論から。
注:PC画面に対応して書きました。スマートフォンの方は少し見にくいかもしれません。
退任の理由ときっかけ
時代の変化や会社の成長に伴う、周辺環境の移り変わりと今後予想される環境や組織体系の変化に、わたし自身が馴染み、適応することが苦しいと感じるようになったためです。
もちろん、社内のお仲間や社外のお仲間の評価も熟考しましたが、やはりわたしの感情としては「むつかしい」「しんどい」と感じております。理論や会社の今後の将来性を考えると、キラキラしており、わたしの望みとしては適応できる力や将来の会社の成長に合わせて必要なものをあらかじめ揃える事ができたらなら、共に歩みをそろえたい。そう思っております。
しかし、世の中は「いくさ」であります。やはり、「今の時点での適材適所」というのは少なからず、あると思います。しかし、今の時点でのわたしではついていくので精一杯であろうと、半年ほど前より感じていました。
初めは、現副社長に「30人規模の中高生向けのイベントをやらないか」と誘っていただいたのが始まりでした。それまでの出会いも、偶然とたくさんの方々のお繋がりが奇跡的に重なって生まれたものでした。
はじめは、5人から。その5人が今の役員です。それから、まだ何も開催してもいない段階から「国内最大級のキャリアイベント」と掲げ、予想人数を30人から150人と大きく上回ったのが記憶に残っております。
それから、自由奔放に、色々な人と場に出会い、今ではプロジェクトやイベントを創る仲間たちが50名を超え、アルバイトも5人ほど。オフィスもシェアオフィスではありますが、虎ノ門ヒルズビジネスタワーのCICという素敵な場所に所在地を置かせていただいております。
もちろん目に見えるものだと、他にもたくさんたくさんありますが、1番嬉しく、そしてわたしのエネルギーとなっていたのは、プロジェクトやイベントに運営や参加してくれたお客さま、お仲間が夢中になったり笑っている姿を常に最前線で見られたことにありました。
然しながら、今後会社の売り上げや規模が大きくなる中では、自己評価はもちろんのことあまり、うまくいかず空回りをし続けてしまいました。
小さな脳みそでもちろん足りないとは思いますが、頭のネジが捩れるほど考えました。時には周りの「声」に頼りを出しました。
思い返せば、2019年の6月になんとなく湘南でバスケをしてタピオカを飲んでいた私がこんな素敵な環境にいられたこと、本当に「奇跡」だと思っております。
だからこそ、大きくなっていくからこそ、僕の予測や世界線を超えているからこそ、現状の体制は少なからず変えるべきであると想っております。それは、いずれ起きるであろうと昨年4月。まだ会社にもなっていない頃から感じておりました。
それをなんとか軌道修正できないか、なんとかならないかと思いわたしなりに考えて動いておりましたが、やはり時が来ました。遅かれ早かれです。会社はやはりトップの力量や思想が大きく反映されるものです。もちろん最近そうでは無い組織も出てきておりますが、大抵はそうでは無いでしょうか。
だからこそ、わたくしは決めて参りました。
これからのUnpackedは
新しい代表取締役に関しましては、会社設立時より、わたくしと共に代表取締役を行ってくれている方がそのまま行います。元々、私はエヴァンジェリストとして会社の良さを伝えたり、お仲間やいろいろな資本を集めてくるのがお仕事です。創業してすぐの時はやはり、「高校生社長」という小さいですがキャラクター性もあり、顔として出ていました。
右も左もわからぬ中で、ここまで会社が成り立っていたのは前に出ることがなく陰ながら常に支えてくださったCEOがいたためです。会社のブランディングの観点を含め今まで取引先の皆様等の前でしか出ていなかったため、知らなかった方のためにも、こちらにて記載いたします。感謝しております。実はそのため、会社の組織等はあまり変わらずといった感じに今後もなるかとわたしは思っております。ありがとうございます。
そもそもわたくし、三橋龍起は誰なのか
そもそも私はなぜ、株式会社Unpackedにいたのか。またそれまでの経緯や背景のリアルを伝えます。わたしがそもそも、起業を仲間たちとして現在の中高生に向けたキャリア教育事業を始めるに至るまでの過去に遡ります。
幼少期はイタズラばかり、なぜそれをやってはいけないのか。「ダメなものはだめ」とはよくわかっていなかった。そのため、日々親や幼稚園の先生、近所の方々からは怒られてばかりだった。
小学校時代はやはり周りと価値観が合わず、精神的にも幼く、いじめに遭っていた。生意気で頑固だったので喧嘩ばかり。両親が小学四年生の後期に学習塾に入れてくれてから、いわゆる学校の勉強は急激にできるようになった。
中学生時には、勉強や読書から得られた思想や、幼少期に怒られてばかりだったため、人の目をよく気にしていたことから、周りとの人付き合いを少しずつできるようになった。バスケットボール部では部長とキャプテンを兼任。夏の大会の激励会にて選手宣誓を行なったり、学習面では教師から何も言われないほどであった。友人も多種にわたり増えて、色々なタイプの友人が学年や性格、性別関係なく形成されていった。
人生奈落の底。生きる意味を失う。
然しながら、中学3年生の受験期、11月に父を突然無くしてから高校2年時の6月まで毎日、夜寝る前に「なぜ俺が生きているのだろう、死にたい」と泣き続けていた。夜に寝ると毎日毎日、後悔と途方のなさから泣いていた。その時、当たり前は当たり前でないと痛感した。
日々、死にたいと思っていたことが、周りにも伝染したのだろうか、他者との人間関係も次第に悪くなった。さらに、アレルギーで高校2年生の6月に3週間の入院をした。入院生活で、自分とは何かを見つめ直し、現状を変えたいと切望した。その時たまたまネットサーフィンをしているとNPO、NGO、インターンシップやボランティアなど僕らには関係ないだろと思うようなことをやっている同年代の存在とそれらを取り巻く環境を知った。
どうせ生きる意味を感じていないため、まぁとりあえず動いてみるかと、退院後は小遣いを全て交通費に回し、人から学ぶために毎日東京のイベントやフォーラムに参加し、同年代、経営者、教育者などたくさんたくさんの人々と会って話をした。
それから、ご好意で企業でのインターンシップを4ヶ月ほどさせていただいたり、さまざまな学びの機会をいただいた。今振り返ると、たくさん人の気持ちを踏み躙り、気がつきませんでした。
加えて、世界青少年志プレゼンテーション大会という場では人生初のプレゼンテーションというものを行い、300人の前で語った。私の現状を変えたいという思いは消え、「父に、そして母に、会場に来てくれた方、関わってくれたすべての人へありがとう」と感謝を伝えた。そして夜寝る前に明日も楽しみだなと思える人を増やすという志を立てた。私はこの経験から起きてしまった過去の事実は変えられないが、過去の捉え方は変えられると学んだ。そして、1度きりの人生をわたしたちが楽しめる社会を作れるようにしていきたいと思うようになった。
夜寝る前に明日も楽しみだなと思える人を増やす。これが生きる活力だった
以下その際の動画です。
志プレゼンテーション大会二次審査の動画↓
志プレゼンテーション大会紹介動画↓
志プレゼンテーション大会本番の動画↓
これが全ての始まりでした。
今までの振り返り。
いろいろありました。わたしなりにたくさん考え、たくさん動いてきたのだと思います。TV番組や取材をいただくことも、考えられませんでした。TikTokをやってみるなんても。発信だけが全てではありません。発信の仕方ももっと工夫したり、報告・連絡・相談はもっとすべきです。その点はとても反省しております。至らない点ばかりでしたが、本当に「楽しい」「ワクワクする」かけがえのない日々でした。幼稚園から高校3年生まで、教育機関に属してきて、初めて教育機関に所属しない1年を過ごしました。自分で予定を決めたり、本などから学びを得たり。うまくうまく本当にいきませんでした。
また時には、目の前のことに前のめりになりすぎて、地面しか見えておらず、MTG中に突然寝てしまったり、骨折した状態で病院に行かずに放置したり、耳が半分聞こえなくなった時も2週間ほど放置してしまったりしていました。今しかない。今頑張らねばと。そう思っていました。
健康。体と心は健康であるべきですね。少なからず努力はし続けるべきです。自分をいつまでも若い機械だとは思ってはいけませんでした。
反省すべき点、多々あります。その振り返りさえしていませんでした。うまく行ったことだけ報告していました。うまくいかなかったことは自分で抱え込み、そして言いづらく、言いづらくなっていました。周りのためやと思いながらも、自分本位だったのだと自負しております。
できるようになった点もたくさんあるかと思います。まずは自分が他者を信じる。来るもの拒まず去るもの追わず。何かお願いするときは自分が何ができるかを考える。情けは人の為ならず。悪口や噂話は関わらない。そして言わない。などなど、教訓となったものを念頭に置いております。いつもメモをしているのですが、やはり人間とは弱いもので、短期的な感情や情動に飲まれることはたくさんありました。これまで培ったものは、必ず糧になる。そしていつか笑い話に、必ず糧にしてみせます。
これから
株式会社Unpackedの役員は退任いたします。業務としてやるものは無くなりますが、1個人として今後もわたしができることはできる形で応援させていただきたいなと感じています。
本文章を書いた理由は今まで株式会社Unpackedに関わってくれた方々へのご報告とありがとうございますを伝えることです。
それと、もう一つ。個人的なことですが、
「みなさん、助けてください!」
「HElPです!」
助けて。僕がこの1年間1番言えなかった言葉であります。そして、1番言いなさいとたくさんの方々に教えをいただいた言葉になります。ほぼ言った覚えがありませんでしたが、2021年最後の最後に伝えたいです。
「助けてください!」
次のキャリア。。。。探してます。明日から何をするかです。。
あなたの力が必要です。わたしは約2年と半年、
「世界中の人々が夜寝る前に明日も楽しみだなと思える社会」という志、想い、ビジョン、目指したい指針の元、歩んできました。ようやく気がつきました。2年間全く持って見つめ直したり、解像度を高くしたり、具体的な数値目標を掲げたりしませんでした。もちろん本心で、「皆が毎日笑える」「明日も生きようと」思える社会。ディズニーのような世界観を夢見心地で見ております。しかし、もっと具体的に、頂上と登る山を考え考え、歩み歩み、見定めたいです。僕が死んだ後もずっと続いていけるように300年は続く組織を立てたい。
しかし、今の私は、まだ今後どうしていこうかを「これだ!」と決められておりません。正直な話、自分の体調管理や目の前のことだけに一杯一杯になってしまっておりました。今月12月、休みをいただき、体調やメンタルヘルス面はたくさんの方々の支えの元、安定して参りました。
今まで出会い別れた方々、過去に関わってくださっていた方々、現在関わってくださっている方々、これから出会う方々。皆様の話を聞き、出会い、いろいろな経験や体験をその目で一緒に「Live」で味わいたいです! それは過去の歴史やこれからの世界線だけではない、「Live」を感じたいです。
頂上を描くのと、そのために登る山を決め、登山を始めるためにです。
正解は分かりませんが、そのために、もしよろしければ、お気軽なお誘い待っております!また、お願いをたくさんさせてください!ダメなら、断ってしまって構いません。それはもちろん重々承知です。遠慮や謙遜、控える。やめておくは一切しないように努力します!(等身大で頑張る)また、盛ったり、強くみせたり、そういうのもしないようできるだけ、「Live」そして、「等身大」をみせられるようにします。
また、今年10月に設立していた、株式会社高校生を今後関わる仕事ではとりあえずの形で箱として使う予定です。この会社は1社目が司法書士の方が登記手続きをやってくださったため、会社の作り方がわからず、高校生らからの質問に答えるため、1から自分でもう一社建てました。笑 もちろん、株式会社だけで考えず、横断的に組織を考える予定です。
具体的に今の時点で決めたことを書きます。
・海外という場所に行き、日本の良さやその逆を知る
・日本国内の行ったことないところに行く
・知らない領域や最新技術に触れる
・研究機関や学問と学人に触れ、大学を知る
・出会った場所や環境を等身大の自分を通し、記録、発信する。
これらを行う上で、もし共に時間を過ごせる方に「助けて!」を発信します。2022年3月14日で19歳となります。節目として、最後の10代、わたしなりに皆様と生き抜きます。
Unpackedを応援してくださった皆様へ
株式会社Unpackedに関わってくださった全ての方へのご報告と「ありがとうございます」を伝えること。また、わたし自身の気持ちを整理する目的で書かせていただきました。
改めて、今後ともよろしくお願いいたします! 三橋龍起