大人の小学校に入ってみた
今、話題の芸能人の「オンラインサロン」に入ってみた。僕が入ったサロンは、田村淳さんの「大人の小学校」というサロンだ。
入った理由は田村淳さんのTwitterをフォローしていて、音声メディアが配信されてきたので、それを聴いていたら、オンラインサロン「大人の小学校」についてのお話しされていた。
特にオンラインサロンに入ろうとしていた訳ではなかったけど、言っちゃえば「たまたま」淳さんのサロンに出会った。
オンラインサロンの毎月の会費が4180円と手の届く価格だったのも大きかったかな。
決定的だったのは、大人の小学校の「有疑無創」という淳さんの造語を掲げているのを見て、入会を決意した。
僕は事故って、障害者になってからずっと「ある」と「ない」の間にいると思っている。
どういうことかというと、僕はバイク事故で「中途障害者」になったので、健常者と障害者の間にいると思っている。
「健常者」か「障害者」か、というのは二極論だと思う。
◯か×か、みたいな。
常に健やかな人が「健常者」で、健康でない人が「障害者」とくくられている。
では、健常者は常に健康なの?
病気になることもあるじゃん、常に健康な人なんかいるのか?
僕はめったに風邪引かないし、内蔵系は健康だぞ?と。
内部疾患を抱えている人より、ずっと健康ですぜ?と。
いろいろと障害を知っていく中で、障害にも「身体障害」と「精神障害」と区分があるみたい。
自分が障害者になる前から「障害者」って人たちがいることはなんとなく知ってはいたし、小学生の頃は「みどりの学級」ってのもあったし、母と同じ職場に車椅子の女性が働いているとも聞いていた。
けど、まさか自分が「障害者」になるなんて夢にも思わなかった。
事故って、初めて知った様な気がするけど、「先天性」と「後天性」って言い方もあるらしい。
僕は「後天性」だ。
事故っても、自分がその「障害者」になってしまったことを、そんなに深刻に受け止めることはなかった。
「そんなに」なかったというか、「全く」なかった。
むしろ後天性障害の“天”とかなんか神秘的じゃね?笑
くらいに思ってた。
“障害”の受け止め方を「障害受容」っていうこともいつのタイミングだったか、知った。
僕は「落ち込んでても、仕方ない」し、「できないことを悲観してるよりも、今できることを楽しもう」と思っている。
たぶんそれは事故前から。
僕は歩行困難、左半身麻痺、構音障害、記憶障害になってみて「ある」ことの有り難さを身に沁みて思い知らされている。
けど、淳さんはなんで「有疑無創」という考えに至ったんだろう?
「“ある”ものを疑う」というのは、難しい。
何故なら“ある”ということは“当たり前”になりやすいから。
今、目の前にスマホが「ある」ということに「有り難い」なんて誰も思わない。
僕もいちいち思わない。
スマホを触って反応しなかったら壊れたと不満を言うはず。
たぶん僕も健常者のまま生きていたら、「ある」ことに対して、何にも感じていなかったはずです。
以前に読んだ本、「デザインドリアリティ」に書いてあった文章を共有します。
それは、「今、当たり前になっている欲求は過去には想像もできなかったものである。通常、人間の文化は後戻りしない。
今まで築き上げたものの上に次代を築いていくものである。
〜〜〜〜
私たちが創り上げた今“あるもの”≒“当たり前”は大きく変化した。
故障や事故や天変地異で“あるもの”≒“当たり前”を失って初めて、私たちがいかに“当たり前”に依存していたのかを知る。生まれつきの身体からずいぶん遠くまできてしまった、という後戻りのできなさを感じるのである。」
とありました。
僕も健常者のまま生きていたら絶対に“ある”ことに疑問は持たなかったはず。
昔のお医者さんの井村和清さんの「あたりまえのこと」という詩があるのを知った。
その詩は「あたりまえのこと、井村和清
こんなすばらしいことを、あたりまえのことを、なぜみんなは喜ばないのでしょう
〜中略〜
ありがたさを知っているのはそれをなくした人たちだけ」
といったものです。
僕はこの詩に深く感銘を受けました。
井村さんも淳さんも何故「ある」ことに疑問を抱いたんだろう?
僕は中途障害者になって、初めて「ありがとう」は「有る+難う」なんだなぁ、と感じた。
それからは「ありがとう」という言葉を心を込めて言うようにしている。
それだけのことを、しっかり言うようにしている。
星野富弘さんという作家さんの作品に「私にできることは小さなこと、でもそれを感謝してできたら、きっと大きなことだ」という作品がある。
僕は「ありがとう」を言うように心がけています。
それが、「健康な身体」を失って思い知ったこと。
大学の教授から「人にはそれぞれの“当たり前”がある」とお聞きしたことが深く胸に残っている。
「当たり前・それが意外と・有り難い」