パーキンソン病の父親との向き合い方
ぼくの父親は一年ちょっと前にパーキンソン病と診断された。
たまに実家に帰ると、たしかに昔よりも動きがゆっくりだったり、声がか細かったり、昼間も寝ていたりと活発とは言い難かったけれど、元々持病が多い人でたくさん薬を飲んでいたので、その副作用なのかなと母親もぼくも思っていた。
だからパーキンソン病と診断されたときは正直驚いたし、一年以上たった今も気持ちの整理がつききれていない。
時々実家に帰るたびに、少しずつ変わっていく父の姿を見ることはやっぱり心がざわざわする。
でも、これを不幸だとか悲しいと思うのはなんかしっくりこない。
いや、そりゃ悲しいし悔しいんだけど。
子供の頃は恐いお父さんだったな。すぐ怒るし。
でも、釣りとかキャンプとかたくさん連れて行ってもらった。テレビゲームも一緒にやった。母親に比べると、父親とはあまりたくさん話した記憶はないけれど、それでもたくさん愛情を注いでもらったのは強く感じる。
そんなお父さんが、定年退職してこれから老後ゆっくり過ごしてほしいと思ったらほぼ寝たきりになって、大好きな釣りももうできないし、簡単に旅行にもいけない。自分の体がこれからどうなっていくのかもわからない。
そんな状況は、そりゃ悲しいし悔しい。
でも、本人が1番悲しいし不安に決まっている。
それでもお父さんは今一生懸命生きている。
ぼくが実家に帰ると、自分の方が大変なくせに、いつもぼくの心配をする。
できることは減ったけど、それでも笑うこともあるし、楽しんでいるように見えることもある。
それに、それを支えている母親のことも考えてしまう。
ぼくの母親は昔から悲しみを本当に見せない。
元々さっぱりしていて明るくて強い性格なんだと思う。
じいちゃんが死んだ時も「おじいちゃん死んじゃった。あさってお葬式行くから学校休まなきゃね」と顔にパックしながらサラッと伝えてきた。
今だって、たくさん悲しい思いしているだろうし、日々父親のフォローをするのも大変に決まっている。
それでも「お父さんが子供みたいになっちゃった、かわいいよね」とか言いながらにこやかにしている。
だからぼくは、この状況が不幸だなんて思わない。
むしろ、悲しいことになっても変わらず淡々と生きていて、その中で楽しみを見つけて仲良く過ごしている2人を本当に尊敬する。
思ってた両親の老後とは違うけど、今のこの状況で何をしたら喜んでくれるか、自分に何ができるかを考え続けていきたいと思う。
こないだ、父親の免許を返納してきたらしい。
父と母はそれが悲しくて2人でたくさん泣いたらしい。
これまで普通にできていたことが、これからもう絶対にできない、と思うことはやっぱりつらいよね。
最初聞いたときは、たかが免許返納、そんなに気にしなくていいって思ったけど、やっぱり悲しい。
子供の頃、毎週のようにキャンプに連れて行ってもらった。父の車は大きいファミリーカーでキャンプ用品たくさん積めてキャンプ場に向かった。
父はたまにふざけてスピードだしたり、広い空き地でドリフトしたりした。
恐いけど、でっかい車を操っている強いお父さん。
そんなイメージがあったと思う。
そういうのを思い出したら、やっぱり悲しいし泣きたい。
こうやって、いろいろ悲しいけど、悲しいと思いたくない、でもやっぱり悲しい、と行ったり来たりしながら向き合っていきたいと思う。
またそのうち実家に帰ろう。