鬼滅の刃で考えるなんでもハラスメントにする風潮
アニメで考える社会問題
本日は「鬼滅の刃」を通してなんでもハラスメントにする風潮について考えていきましょう。
「鬼滅の刃」は2019年から放送が続いているアニメです。
舞台は大正時代。
主人公の少年「竈門炭治郎(かまどたんじろう)」は炭焼きとして家族の暮らしを支えていました。
炭治郎が家を空けた日、家が鬼によって襲われてしまいました。
母と兄弟の多くが殺された中、妹の「竈門禰󠄀豆子(かまどねずこ)」のみいきがありましたが、何故か鬼になっており、炭治郎に襲い掛かりました。
その場に居合わせた剣士「冨岡義勇(とみおかぎゆう)」に助けられ、彼の導きで「鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)」の元を訪れ、禰󠄀豆子を人間に戻す方法を求め鬼を退治する剣士の集団「鬼殺隊」に入隊することを決意するところから物語は始まります。
アニメではそこから第1期「竈門炭治郎 立志編」がはじまり、劇場版「無限列車編」、2期「遊郭編」、3期「刀鍛冶の里編」、4期「柱稽古編」と続いていくわけです。
本作は近年の作品の中でも特に人気のあった作品です。
オープニングの「紅蓮華」もさることながら、作画のクオリティーの高さや、ジャンプ特有の「努力・友情・勝利」といった要素が非常に上手に描かれていました。
劇場版も非常に人気があり、興行収入は日本で400億円、海外でも117億円と日本のアニメ映画の中でもずば抜けた功績を残しました。
当時は深夜アニメ枠だけで見たら初代ラブライブの劇場版が28億、ソードアートオンラインの劇場版が30億ほどと、それでもすごいと言われていた時代でしたが、それを簡単に超えていってしまいましたね。
今では大人にも子供にも大人気な作品です。
さて、そんな社会現象の鬼滅の刃ですが、劇場版が爆発的に人気だった当時、「キメハラ」という言葉が話題になっていたのを覚えていますか?
「キメハラ」とは「鬼滅の刃ハラスメント」の略であり、社会現象化する『鬼滅の刃』について、映画やアニメ、漫画を「まだ観てないの?」「観るべきだ」などと押し付けること、「鬼滅が面白くないなんて、わかってない」などと好みを否定すること、また「鬼滅に興味がない、好きではない」と他人に言えない同調圧力的な雰囲気を指します。
当時の私は(正直今もなんですけど)鬼滅の刃アンチをやっていました。
それは、別に作品そのものが嫌いだったというわけではありません。
社会的に「鬼滅の刃は面白い」という風潮になり、普段アニメを見ていない層が誇らしく本作の面白さを語っているのが気に食わなく想い、アンチをしていました。
正直、自称オタクの私からしたらもっと面白いアニメは山のようにあります。
それが話題性だけで超人気になったのはいささかもどかしい気持ちです。
とはいえ、どの層にも刺さる作品だったのは、それはそれですごいことなんでしょうね。
話がそれてしまいましたが、「キメハラ」みたいになんでもかんでも「ハラスメント」にしてしまうのは、現代日本の大きな問題だと思います。
ちょっと上司に叱責されたら「パワハラだ!」、性的な発言を受けたら「セクハラだ!」、ちょっと傷つくことを言われたら「モラハラだ!」と、ちょっとの感情の起伏だけでハラスメントになってしまいます。
なかには、社内などでエアコンの設定温度によって他人の体調を損なわせてしまう行為を「エアハラ」、においで他人に不快な思いをさせてしまう行為を「スメハラ」、単身者に対して交際や結婚することを必要以上に勧めたり強要する行為を「マリハラ」とちょっと極端なものもあるように感じます。
確かに世間では、「ハラスメント」としか表現できない事象も多々あります。
「パワハラ」等で法的に裁かれている人がいるのは事実で、社会的に改善がされようとしているのもまた事実です。
しかしながら、それをいいことになんでも「ハラスメント」にして言った側を抑圧するのはいかがなものでしょうか?
このように抑圧が続いてしまうと、会社とかでは上司が部下に注意することさえ難しくなってしまいます。
勿論、昔のように罵詈雑言と体罰が当たり前の社会に戻るべきとはさすがに思えませんが、適度な緊張感と健全な体制を維持するためには、多少の注意と叱責は必要です。
上記はパワハラを例にしましたが、ほかでも似たようなことが言えます。
ハラスメントと呼ばれるものの多くは、本来は些細な事のはずなのに、「ハラスメント」という言葉を使ってしまったばかりに大事になってしまっているのではないでしょうか?
ハラスメントという言葉は決してそんな都合のいい武器にしていいものではないと考えます。
本当にそれ以外の言葉が出ないときの最終兵器であるはずなのに、ポンポン使われると、今後本当につらくて声を上げた人が「そうでもないんじゃない?」って思われてしまいます。
なので、なんでもハラスメントとつけて糾弾する風潮は辞めるべきだと私は考えます。
今回はここまで。
次回もよろしくお願いします