ぼくたちは勉強ができないから考えるFラン大学
アニメで考える社会問題
本日は「ぼくたちは勉強ができない」を通してFラン大学について考えていきましょう。
「ぼくたちは勉強ができない(以降:ぼく勉)」は2019年に放送されたジャンプ原作のラブコメアニメです。
一ノ瀬学園に通う高校3年生、主人公の唯我成幸(ゆいがなりゆき)は貧しい家庭の育ちで、それを少しでも楽にしたいという想いで、学園制度である、大学進学にかかる全ての費用を学校側が負担する「特別VIP推薦」を獲得するべく日夜励んでいたものの、それぞれ理系科目と文系科目で後れを取っていました。
そんな中、学園長との面談で条件付きでの推薦を許可されました。
それが、「緒方理珠と古橋文乃の2人の教育係に就き、志望する大学に合格させる」というものでした。
緒方理珠は理系分野において敵なしと言われる逸材で、「機械仕掛けの親指姫」と呼ばれています。
古橋文乃は対照的に文系科目を得意としており「文学の森の眠り姫」と呼ばれていました。
それぞれが成幸が後れを取っている存在で、本来は逆に教えを乞う立場にあるのですが、なんと2人とも逆の分野においては壊滅的でした。
しかし、理珠は文系の大学、文乃は理系の大学に強いあこがれを抱いており、それを克服させるために成幸は2人の教育係を任されたわけです。
途中からスポーツ特待生だが勉強全般が苦手な「武元うるか」の面倒も見ることになったり、理珠と文乃の元教育係の桐須真冬ともかかわっていくようになります。
そして、作中では文化祭を起点にそれぞれのヒロインと結ばれるルートに分岐されます。
本作で最も特徴的だったのは、なによりもルートの分岐があったことでしょう。
従来であれば一人のヒロインだけが幸せになるのが一般的なラブコメの結末なのですが、本作では4人のヒロインがそれぞれ別の世界線で結ばれる結末を見ることができます。
よくある、「推しが幸せにならない」という読者の不満がないとても良い作品だと思います。
さて、本作の主要キャラは教師の真冬を除き、全員大学への進学を目指していたわけですが、日本にはどれだけ大学があるかみなさんご存じでしょうか?
実は2023年度時点で793校もあります。
単純計算で1県あたりに17校程度あることになります。
そう考えると、お金さえあればだれでも大学に入れる時代なんだなとも思えます。
そして、「誰でも入れる」というのを体現しているのが所謂「Fラン大学」です。
「Fラン大学」は「Fランク大学」の略語であり(略語というほど略せてもいませんが)、元々は2000年に河合塾が大学のランクに「Fランク」を追加したことから一般化されました。
Fラン大学の定義は様々ではありますが、
①入学しやすい
②日東駒専産近甲龍よりも偏差値が低い
③大学の中で最もレベルが低い
の3点が主になっています。
数字を踏まえて述べると、偏差値50未満の大学はFラン大学と呼ばれているそうです。
さて、そんなFラン大学に関して友人がこんなことを言っていました。
「Fラン大学は必要なのか?」
「Fラン大学の存続は大卒資格の安売りになる」
端的に言うと、Fラン大学はなくすべきであるという意見です。
実際、Fラン大学に入るメリットとして、卒業しやすいという点がよく上げられます。
学歴至上主義が若干色濃いとはいえ、結局は高卒か大卒かで就職先が一回大きく変わる世の中ではありますから、卒業したというステータスを手に入れられるのは非常に大きいです。
しかし、そうしたばかりに、高卒と同程度の知識量しかない、もっと言えば大学で何を学んだのかよくわからないような人間を増産するのはいかがなものなのかという友人の意見には賛同しなくもないです。
実際、昔の大学の進学率は戦後と比べても雲泥の差であり、今では高校卒業生の約60%が大学に進学できているのが現状です。
もちろんこれは日本の経済成長の一つの結果であり、他国と比較すれば相当裕福ではありますが、その裏では戦後すぐと比較しても劣るレベルの学生ばかりが生産されているのが現状です。
であるならば、大学の数を絞り、大学卒業というステータスの価値を上げるのは重要なのではないでしょうか?
しかし、友人は反対意見としてこのようなことも行っていました。
「Fランと定義されていても、ニッチな分野で尖っている大学もある。」
私はこのことばにも大いに納得できました。
例えば、身延山大学という大学は、事実ボーダーフリーの大学ではありますが、日本でも数少ない仏教系の学部を設置している大学です。
仏教系の勉強・研究においては他の有名な大学と比較しても秀でているわけです。
このように、Fラン大学という事実があったとしても、学べるものが唯一無二な場合もあるわけです。
であるならば、一概にFラン大学だからと言って切り捨てるわけにはいきませんよね。
日本にもFラン大学卒業でも社会で大いに活躍している人もいます。
私も実際Fランと言われたらそうかもしれないような大学卒業だったからこそ、Fラン大学は数は多少減らすべきでも完全になくすわけにはいかないかと思います。
若しくは、Fランの存在意義を「ニッチな分野を研究する大学」として位置づけることで価値をつけるべきなのかなと私は考えます。
私自身、ニッチな分野を突き詰めた身として、そういう場所が欲しかったようにも感じます。
今回はここまで。
次回もよろしくお願いします。