#6 Whatever
長い一日になるんじゃないかとは思っていたけど
11/14(木)の深夜から翌15(金)のお昼にわたって
様々なことがあり・・・、結果として我が家には娘が誕生した。
実質、昨日の日記『鈴々』の続きである。
ここで、我々夫婦に関して補足を入れておく。
【夫】
僕のこと。
1985年生まれの現在39歳。高知県出身・在住。
8月末に以前の職場を辞め、現在無職。
12月より新しい職場で就業予定。
【妻】
1998年生まれの現在26歳。同じく高知県出身・在住。
夫とは13歳差。現在は育休中。
櫻坂46が好き、というか坂道系全般に詳しい。
去年、同じお店の常連として9月ごろに知り合う。
12月に意気投合し付き合い始める。
3月に体調不良、妊娠が発覚。
5月に互いの両親にあいさつの上で入籍。
6月より同棲開始。
出産予定日は11/11だった。
2024/11/15(木)
00:00~05:30
【夫】
妻からの連絡を待ち、LINEが来たら即レスする。
まだ来るようには言われない。
mixiを書き終わった後は布団に入り、ちょっとでも眠るようにする。
LINEの頻度は30分に一回ほどになり、昼間より低下する。
02:00ごろ、妻からちょっとでも眠るように連絡が来る。
ちょっとずつうとうとし始め、02:58に返信した後に寝落ち。
【妻】
陣痛が5分に1回訪れ、痛みに耐えながら子宮口の準備を待つ。
昨日からあまり進展がなく、ただ痛いだけの時間が続く。
悲鳴を上げながら看護師さんに越しをさすってもらいつつ、
陣痛が収まったときに夫側にLINEをする。
05:30~06:30
【夫】
身体が痛くてふと目覚める。
布団に入ってはいたが、変な体勢だったようで節々がきしむ。
スマホを見ると最後の返信以降、妻から連絡がない。
それぞれの両親も心配している様子であったため朝のLINEをする。
【妻】
上記の通り、不眠不休で痛みにさいなまれた状態で僕の返信を受け取る。
看護師さんの許可の上速攻で僕に電話。
一緒に陣痛を頑張るため、救急窓口から入ってきてほしいとのこと。
ふたたび痛みに耐える時間。
いったん「陣痛を一時的に抑制する注射」を打ち小康状態に入る。
【夫】
TELを受け急いで準備。
まだ完全には目覚めていなかったのでコーヒーだけ飲み、
さっと顔を洗って着替えて出発する。
ぼんやりしてて危ない気がしたので
曲をかけ大声で歌いながら運転。
真っ暗な中運転したことがなかったので
車内灯を付けたまま出発していたようで到着後に気づいた。
早朝に熱唱してるので対向車は不気味だったろう。
病院に到着。救急窓口が意外と正門から離れていたのでまごつく。
ようやく見つけた出入り口で、姓名と妻のお産の件を説明し入館。
誰もいない院内を産婦人科のフロアまで向かう。
お腹がすいていたので、院内併設のローソンでウィダーインゼリー購入。
急いで吸い込んで病棟へ向かう。
06:30~08:00
【夫婦】
病棟のドアを開けると妻の叫び声が聞こえてくる。
今まで一度も聞いたことのないような悲鳴で面食らう。
腕に点滴を差し、ベッドのヘリをつかんで苦痛に顔をゆがめている。
点滴は出産の誘引剤がつながれている。
お腹にはモニターの装置をつなぎ、胎児の心拍数と陣痛レベルを計測。
いつも定期健診では5-10くらいの数値で推移する陣痛レベルが、30-99の間で目まぐるしく変わっていく。その数値の上昇に比例して妻の悲鳴が大きくなり苦しむ。2-3分でちょっと収まって呼吸を整え、また2-3分経つと強く苦しむ。
この繰り返しが80分続いた。
看護師さんがやっておられたように僕も腰をさすったりするがまったく妻の助けになっていないことがわかる。現場に来るのは来たが、痛がっている彼女の役に立っていない。一応妻は「ありがとう」と言ってくれているが陣痛は軽減していないだろう。
事前に参加したパパママ教室とかで、お産の時には
できるだけポジティブな声掛けをしてあげてください、とか
奥さんと一緒に旦那さんも一緒に深呼吸しましょう、とか習う。
が、涙を流しながら叫ぶ妻を見るとかけられる言葉が浮かばない。
情けないことに深呼吸の し の字も忘れていた。
ただ簡単な励ましの言葉をかけ、腰のあたりをさするのみ。
妻の顔を見るのがつらいから、陣痛レベルを測るモニター画面を見て冷静さを保っているふりをしていた。
人類は何万年も何百世代も出産してるはずなのに、この原始的な痛みがずっと続くって何なんだよ!とヒトの営みにイライラしたりもしていた。
一番親しい人が泣き叫んでいる様を見て、いたたまれなくなり隠れて僕も泣いていた。
その間も看護師さんは15分滞在しては10分席を外す、的なサイクルで陣痛の進行度合いのチェックと妻のケアをしていた。
08:00~08:30
【看護師】
ここまで一晩中妻の様子を見てくれており、苦痛の大きさから自然分娩と帝王切開の両面で医師と相談し検討することになる。ただ15日AMは帝王切開が2件入っており、最短で13:00手術開始であると夫婦に伝える。
【妻】
その見立てに対し大きく泣き叫びながら、それは絶対に無理だと直訴。このまま痛みに耐えながら自然分娩を待つのも無理だ。陣痛の訪れから17時間にわたる苦痛に心が折れてしまっており、一刻も早く帝王切開してほしい、と何度も繰り返す。
【看護師】
状況と、妻の心情を理解。いったん先生に相談するが、自然分娩をあきらめ帝王切開することで決定。自然分娩のため陣痛の間隔を短くするよう作用していた、妊娠誘発剤の点滴を終了。
どうしても手術の順番は、医学的見地から緊急性のあるものが先となる。なので今泣き叫んでいることはもちろん理解しているが早まらないこともある、と夫婦に説明し再調整に向かう。
【夫】
ここまでの流れをただうなずくのみしかできなかった。
このフロアで出産の一番外側にいるのは僕だった。
手術後に妻に与えるダメージを考えると本当は自然分娩がいい気はするが、
産むのは何より妻である。彼女がそうしたいということを遮らない。
妻と一緒に泣き叫んで帝王切開の順番を早めてくれ、というのは
心情的にはしたいけどそうはいかないことも理解している。
ただただ言われるがままに、手術のリスク説明と
場合によっては実施される背中からの麻酔に許可のサインを書いた。
08:30~08:40
【夫婦】
看護師さんが駆け足で病室に戻ってくる。
ここまではずっとお一人だったのに、突然ほかの看護師も来る。
協議の結果このあとすぐ帝王切開することになったとのこと。
妻は手術着に急いで着替える。その間にも陣痛は押し寄せてくる。
痛みに耐えつつキャスター付きのベッドに移り横たわる。
手術は一つ下のフロアで行うようで、妻はエレベーター移動。
僕は上のフロアで待機。エレベーターまで見送る。
別の看護師さんから、手術跡を保護するための腹帯を買ってくるよう言われ朝寄ったコンビニまで移動、腹帯を買って戻る。
ナースステーションにそれを渡し、産婦人科外来待合室で一人待つ。
08:40~09:30
【夫】
帝王切開の手術は1時間程度で子供をとりあげ、その後もう1時間ほどで母親の縫合を行うらしい。
こんなこともあろうかと本も一応持ってきていたのだが、数ページめくってやめる。まったく頭に入ってこない。
まんじりともせずソファに座って過ごす。
この産婦人科の待合ソファはけっこう背もたれがきしむ。妊婦さんががっつり身体を預けるからか、多くの人がここに座るからなのかどっちなんだろうな、とかを考えていた。
早朝は暗かったのに、外はすっかり明るくなり、雨が降っていた。
さっきまでの、陣痛に苦しむ妻と過ごす時間は地獄だった。
この時間帯になって、助産師さんに教えてもらったことを思い出していた。
また、看護師さんたちの声かけも今更参考にしていた。
深呼吸しよう!とうながすこと、深呼吸出来たら上手上手!と褒めること。
何であんなシンプルなこと忘れてしまってたんだろうと悔いる。
それはたぶん、本番余裕でできるでしょうとナメていたからであり、家で振り返ったりしなかったからだ。結局僕は真剣にやっていなかったのである。この性分何とかしないといけないなぁ、と思いながら空を見る。
いつまでも反省していてもしょうがないが、やることが特にない。
手慰みにスマホでポケモンカードアプリをやったり、何故かわからんが男塾の画像検索したりしていた。
09:35~09:40
【父】
男塾の大威震八連制覇って誰と誰が戦ったんだっけ、とか調べてると
突然看護師さんから名前を呼ばれる。
09:19に無事出産が成功、娘だけ先に手術室を出てこのフロアに来ているとのこと。今ならお父さんと会えるのでぜひ来てくださいと言われた。
僕は男塾の画像を検索している間に父になっていたのだ。
生後15分でエレベーター乗っていることに驚いたが、とにかく急いで見たいので看護師さんについて娘と面会した。
保育器の中に入っている娘は思っていたより大きかった。
後から分かったことだが、身長50.0cm・体重3,048gである。
元気に泣いている様子を見て、僕はとにかく安心した。あんだけ妻が苦しんで、そこで子供に何かあっては報われなさすぎる。見たところ五体満足でしっかり健康そうだ。かわいいかわいくないとか重要じゃなくて、パートナーの苦労が報われていることに深く感動した。いやかわいいけどね。
写真を撮ったり動画を撮ったりして娘と離れる。このまま赤ちゃんゾーンで同級生たちと並んで眠るようだ。僕は引き続き待合室に戻り、妻の手術終了を待つ。
09:40~10:35
【父】
ふたたび待ち。それでもけっこう気持ちに余裕はできた。
ここまで詳細に振り返ることができるのはスマホのおかげだ。
双方の家族が気にしているのをいいことに、妻の陣痛を見ていた時以外は基本的に家族のグループLINEで状況を報告していた。
後から振り返られるように、ということもある。
が、これは僕の器の小ささも由来している。
僕はたぶん、今目の前で起きていることを自分だけで咀嚼することに背を向けている。真正面からぶち当たる勇気がないのだ。
関係者を増やすことで目の前の困難を肩代わりさせているようなものだな、と思う。今回のように取り合ってくれている人がいる分野はいいが、できないときどうするのか?
今後の物事への向き合い方でテーマになるような気がした。
10:35~11:00
【父母】
再び看護師から呼び出され、妻の手術も終了したとのことで個室病棟に移った妻と面会した。
厳密に言うと僕ら夫婦はそれぞれ【父】と【母】の実績が解除され、父母として初の顔合わせとなった。
ベッドに横たわる彼女は、朝方の阿鼻叫喚が嘘のように落ち着いていた。
おそらく麻酔がまだ効いていることもあるが、お腹から赤ちゃんが出れば基本的に陣痛は起きないのでそのおかげだろう。彼女の精神の安定は、僕にも大きなリラックスをもたらした。
ベタで恥ずかしいが、「よく頑張ったね」と僕は言った。
娘を連れて看護師さんが来る。
妻と僕と娘のスリーショットになる。
この状況が一番信じられないというか、現実味がなかった。
妻と僕とで始めた夫婦というアクションが、娘という点が増えて家族という図形になった。うれしいともちょっと違う。不思議すぎて実感が追い付かない。多分これはまだ理解にもう少し時間がかかる。今はまだ目の前の光景と新たに付与された役割を演じることにした。
娘が初めて母乳を飲む場面に立ち会う。
妻からスムーズに母乳が出て、娘もこれまたスムーズに飲む。
病院なんてなかった時代から何万年もこれやってんだな、と感慨にふける。
娘はここではあまり泣かなかった。母がいるからだろうか。
満腹になったのか眠りはじめ再び娘は退場。
看護師さんから僕の面会もタイムアップが告げられる。
明日は妻のご両親が面会に来る。
僕はまた来週と妻にを告げ病室を出た。
11:00~
【僕】
産婦人科のエリアを出る。
お見舞いの様子までを双方の家族に報告し、義母には電話して明日の段取りを伝える。僕は面会できないが一応病院まで行き、妻の洗濯物を預かったりする予定にした。
この病院で今日できることが全部終わり、やっと人心地ついた。
病院1Fの、皆が料金精算を待つロビーのソファーに腰を下ろした。
ここのソファは産婦人科とつくりが異なるのもあるが、きしまない。やはり産婦人科フロアのソファきしみは妊婦さんが深く体を預けることが原因なのだろうか。
そんなくだらない感想も含め、この数時間でいろんなことを考えた。
Whatever
朝ここに来たときは夫で、ついさっき父になって、久々に一人になった。
去年の今頃は彼女もいなかったのに、5月に結婚し、その半年後に出産。
変わったところと変わってないところがあるが、
本質はそんなに変わってないのに今の僕って何なんだろうな、と思う。
5分くらい座っていたが何も思いつかない。
ちょっと寝不足なのも影響している。
母子を守るという至上命題が自分に増えたことだけ肝に銘じ、家に帰って寝ることにした。
お腹もすいている。
昨晩の夕飯は18時ごろ、朝はゼリーのみですっかり胃が空だった。
妻は明日の昼まで絶食らしい。手術の影響でまだ水分も取れず点滴のみだ。
娘は当然だが母乳しか口にすることはできない。
二人には申し訳ないけど帰ったら味の濃いものを食べようかな、と思う。
一応僕だって頑張ったんだぜ、と心の中で言い訳をしながら。
いつも通り自分勝手な考えが最初に引き出されてくるので嫌になる。
結局僕が僕であることは、付与された立場や役柄にかかわらず変わらない。これから先だってそうだ。
もちろん立場に応じた振る舞いはできるようにするし、学習も反省もする。
だけど「~であるべき」を意識しすぎず、今まで通りでやるべきなのかもしれない。
とりあえず今日のところは自由にする。
明日だって自由にする。
妻と娘が帰ってきて、僕が父になったって自由にする。
彼女たちを幸せにするために一生懸命働くが自由にやるぞ!と決めた。
ロビーを出て、マスクを外しポケットに押し込んだ。
病院の自動ドアを抜けると外はすっかり大雨になっていた。
娘の誕生日なので、本当は晴れのほうがよかったがまあしょうがない。
僕は晴れやかな気持ちで、駐車場に走っていった。