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#02 常夜燈
通信会社au主催のガラケーを再起動するイベントに参加してきた。
https://www.au.com/omoidekeitai/
おもいでケータイ再起動
非常にいい取り組みだと思った。僕はiPhoneに変えたのが2008年ごろだった。メモリーカードとかもさせないので、ガラケーとスマホのデータのやり取りは断絶していて、そのままガラケーの中に閉じ込められたままだった。当時はそんなに気にならなかったが、後になって振り返ってみるとガラケーだった時期の写真が手元にぜんぜんないことに気づいた。ガラケー後期は画質もよく、そこで満足していたのである。何が困るって今準備を進めている結婚式にあたり、その頃の写真がないのでぽっかり空いてしまっていたのだ。なので一縷の望みをかけてこのイベントに申し込んだ。無料だったし。
ガラケーはタイムカプセル。その当時の僕のほぼすべての思い出があそこに収まっている。
・・・のだが、正直なところ写真や動画はあんまり入っていなかった。
ちょっと拍子抜けするほど少なく、感慨を呼び起こす依り代としてはちょっと素材不足だった。
<写真>
考えてみればあの当時、ケータイの容量には限度があった。
着メロ・着うたやゲーム、画像としての扱いだった特殊な絵文字とかとの競合で敗れ、写メっては消し、写メっては消ししていたのではないか。惜しい。
あと、今の感覚でもっと写真に残していると誤認してしまっていたのはガラケー卒業後しばらくしてから、スマホ所有以降の感覚がそうさせたのかもしれない。もっと細かく言うなら、大学のみんなで行った卒業旅行あたりが僕の写真撮影に関する意識が変化したタイミングかもしれない。あの時、写ルンですを買って持って行ったのだがあれが人生初のカメラだけ端末だ。そのあとすぐにデジカメを購入した。デジカメを買い、ガラケーほど容量を気にしなくても良くなってからやたらパシャパシャ写真におさめるようになった。翌年の卒業旅行は100枚以上撮影していた。
(僕は諸事情があってたくさん留年したので、卒業旅行も3回行ったのだがそれはまた別の話)
さらに深く思い出すと、あの当時の僕は友人にカメラを向けることに気後れしていた。当然だ。無防備な状態を撮影されることを嫌がる人は今より多かった。酒が入っていたり、深夜のテンションで撮っても許されそうなとき、他の皆もその人を撮影してるから一緒にシャッターを切る、みたいなのばっかりだ。今ではもう撮りすぎなくらいである。被写体の皆さんご協力ありがとう。
僕のガラケーに収まっていたのは卒業式など記念日の写真だったり、個々のソロ写真でその人を代表する(と僕が当時思っていた)写真ばっかだった。電話帳登録して、着信時に写真を表示したかったから撮らせてもらってたのだ。今の感覚だと何気ない日常も、SNSに乗せるかもしれないと思い撮影するので10年20年で感覚は変わってくるものだと感じた。
あの頃、僕は記録しなくてもみんなが集う日常が更新され続け、眼前の光景は人生において深く刻まれ色褪せず残ると思ってたのかもしれない。
その認識は半分外れてて半分当たっている。
日常は更新され続けるものの皆が毎回全員集合ではなくまばらになり、当時の光景は得難い刻印として色褪せるどころか妙に輝きを持ち青春として君臨し始めている。イベントに参加し郷愁を身を乗り出して摂取しに行っている自分に対し、つくづくおっさんになったものだな、と思う。
<手紙>
それより、どっちかっていうとキツいのは遺っていたEメールである。
どう考えてもダメージを食らう内容が残っていそうだったのでまだ見れてない。ちらっと見たメールでは、大学の先輩とPS2の初代龍が如くをプレイした感想を話していた。これはダメージがないのでほっとした。先輩ありがとう。
しかし、他のメールはおそらく憤死必至・致死量の恥辱が含まれている。
なんせ15年前のメールなんてまったく記憶がない。
誰かにとても青臭い主義主張を話してるだろうし、また別のメールではどんくさい恋愛相談を同級生にぶつけてたり、当時面白いと思っている言い回しが望まない真空パックで残されており、好きだった子には好意バレバレの浅いメールを送り付けている。気がする。
まだ見てないけど想像しただけで顔から火が出て焼死する。
無理なのは承知で21歳の僕を全力でどつきたい。無理だけど。
そんなメールの数々、一瞬消そうかとも思ったが、これはこれで残すべきである。僕は過去の僕の仕掛けた地雷を踏みぬいて恥ずかしさ大爆発しとかないと、なんだか先に進めない気さえしている。割礼だ。麻酔の役割を果たしてもらうため大酒を飲み、その際ガラケーが手元にあったら見てみようと思う。
<記録>
いろいろ書いたが、総じて再起動してよかったと思っている。
あの頃の風景はもうあそこにしかないし、
新しいものを積み重ねていくことも大事だと再認識できた。
あと4日ほどでうちには子供が生まれる。写真もたくさん撮る予定だ。
ジャパネットたかたの元社長が言っていた名言らしいのだが、
「子供が生まれたらその子だけじゃなくご両親も撮影しなさい」
「子供が大きくなったら、幼いころの写真でご両親は喜ぶだろうけど」
「一緒に映りこんでいる若いころの両親の姿に、子供は喜ぶものだから」
というものがあるそうだ。深く納得してしまった。
確かに僕も両親の結婚当初の写真を見て、髪形変だなとかメガネこんなのかけてたんだとか思って興味深く眺めた記憶がある。それを子供にも味合わせてあげられるよう、できるだけアクセスしやすい形で今後の記録を残していこうかなぁ、と思うのだった。