田舎で東京を思い出した話
朝、鉛色に赤いラインの入った電車が、予定より20分も遅れてホームに到着する。ドアが開いたが、足を一歩踏み入れる隙間もないくらい人がぎっしり乗っていて、誰も降りてこない。数秒の空白を置いてから、ホームで並んで待っていた10人くらいの人々が、1つのドアめがけて押し寄せていく。
膨れ上がったバックパックに荷物を詰め込むように、自分を車両になんとか押し込もうと踏ん張り身体をねじる。ホームには1車両に1人の駅員がいて、ドアから溢れそうになっている人の尻や腰を、外側から押し込んでいる。ドアが嗚咽を上げながら閉まっていく。
見慣れた光景だったけれど、16歳の秋のある日、突然に、「ああ、ぼくはこの電車に乗ることはできないな」と思い、学校を休んだ。
それまでは当たり前にできていたことが、なぜだか突然できなくなってしまって、途方に暮れてしまう経験は、あなたにも、あるのではないか。
他の人たちは、どうしてこんなに耐え難いことを、何年も続けられるのだろうと思ったけれど、16歳の自分の立場に置き換えてみれば、簡単なことだった。
偏差値の高い学校に入ろうとしたら、上り線に乗らなければいけない。
給料の高い大企業に入ろうとしたら、上り線に乗らなければいけない。
権限の大きな官僚になろうとしたら、上り線に乗らなければいけない。
「それなら、ぼくは上り線に乗らなくても楽しく生きていける方法を探そう」と決心するのに、これ以上の理由は必要なかった。
同じ頃、「東京は、金を使わないと居場所を持ち続けることができない町」なのかな、と感じていた。金があればなんでもできるというメッセージはぼくの周囲にありふれていたし、金がないとなんにもできないと、実感として感じていた。
当時読んだ、村上龍の昭和歌謡大全集というどうかしてしまっている作品の中で「蚊から血を吸われるように何かをボク達はいつもいつも生まれた時から抜き取られているんだよ」という台詞に、ぼくが感じていたことが凝縮されているような気がして、震えあがったのを覚えている。
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これは現実世界の考察としては「可」にも届かないほどの不出来さであり、大人のみんながこれを読んでおいおい16歳の筆者はなんてマヌケで偏っているんだと気付いたとしたら、それは自然なことである。
しかし、16歳が自分の生き方を選択する決め方としては、十分よくやったと思う。何より、当時のぼくには、それしか選択肢がないように見えていた。
やにわに昔のことを思い出してしまったのは、田舎に住んでいる今も、この状況と無関係でいられないからです。
「金を吸い取られ続ける場所」は田舎にも増え続けていて、しかもその変化は、地域の歓声とともに起きている。ということを、隣県に最近オープンした巨大商業施設を訪れて、改めて痛感した。
人を消費者としか見ていないということが分かる最も簡単な判断基準は、「だらだら座ったり過ごしていてもいい場所が用意されてるかどうか」だと思う。広大な敷地にも関わらず、ほとんどベンチが無かったり、「買う・食べる・泊まる・広報する」以外の機能がほとんど無い場所だと、ただ過ごすだけでも、お金が必要になる。
地代が高くて、誰もが負債を抱えているので、利益を回収しないと続けられない、というのは、都会だけの状況ではない。資本家のための空間であれば、田舎だって、都会だって、どこだってそうなる。
「そりゃ、ここは消費と利益回収を生むための場所ですから。あなたの居場所は、他所で探してください」と言い返されるかもしれない。それは、その通りだと思う。そういう空間が好きな「上り線」の人は、どうぞ楽しく消費すればいい。
「下り線」のほうが性に合うぼくのような人間が、どういう場所なら、心から満足して過ごせそうか、考えてみた。
他者の資本に寄与する消費ではなく、自己の資本に寄与する生産や再生産できる。個人単位で刺激を受けるのではなく、他者や環境と一体になって共振できる。一時的・一方的な収奪ではなく、持続的な循環が起きている。休むためのベンチや木陰、無限の選択肢がある森や川などの自然がある。
ぼくが「あったらいいな」と思うのは、そういう場所だと思った。